2019.6.16~2019.6.30
文字数 2,309文字
鳩が庭を歩き回っている。私はそれをリビングから眺めている。音の断たれた映像はさながら無声映画のワンシーンのようだ。ならばあの鳩は喜劇俳優か。見慣れた窓が銀幕に早変わる。翼あるチャップリンは観客に向かって恭しく一礼、地球儀をぽんと蹴飛ばして、湯だった革靴にかぶりつく。
(2019.6.16)
『能ある鷹は爪を隠す』
『火のない所に煙は立たぬ』
これらの諺は21世紀の半ばに死語となったものだ。能ある鷹は無能な鳥どもに蹂躙されて絶滅し、電脳空間では毎日のように火の手が上がる。時世は諺から教訓的機能を奪ってしまったのだ。
はてさて、次はどの諺が姿を消すのだろうか……。
(2019.6.17)
おいしい酒には天使の取り分がある。だけど彼らも全部飲みきれるわけじゃない。ふらふらで飛べなくなるからね。残った分は返してくれる。グラスに一滴、ちょっとずつ。カウンターで他人同士が仲良くなれるのは、この一滴のおかげなんだ。今日もどこかで、見知らぬ誰かの縁を結んでいく。
(2019.6.18)
「人を斬ることは、その者に連なる全てを断ち切るに等しい。受け継いできたもの、受け継ぐはずだったもの……わしはそんな簡単なことに、十と四人斬るまで気づかなかった。楽しすぎてな。あの感触は手に染み付いて消えなくて……だからこうしたのよ」
持ち上げる両腕には、手首から先が無い。
(2019.6.19)
つばめが巣作りに励む軒下に、枯れ草の束が置かれていた。つばめは次々と抜き取って巣に運んでいく。
言うまでもないが、人間は見返りを求めているわけではない。つばめだって意味を理解してはいないだろう。損得勘定のない気づかいは、種族を超えたところにこそ生まれるのかもしれない。
(2019.6.20)
「燕」より「つばめ」と書きたい。ひらがなこそが、彼らの名を綴るにふさわしい文字だと思うのです。ほら、じっと眺めてごらんなさい。この佇まいは、青空に描く曲線そのものではありませんか。あるいは電線の上で、かちかちと歌う姿だって浮かんでくるでしょう。愛らしきかな、つばめ。
(2019.6.21)
土手に咲いた白いユリたちは、空を見上げて風に吹かれている。まるで飛び立つときを見極めようとする鳥のようで、その可憐な容姿にそぐわぬ勇ましさに胸を打たれる。
大気がひと際大きくうねり、ざわりと叢 がそよぐ。
花弁を離れた芳香は私の鼻先をかすめて、六月の空高く舞い上がった。
(2019.6.22)
「お前んちのウォシュレット、ボタン押したら全然違う位置洗い出したんだよ。もうびっくりしてさ……もしかしたら俺たちは、ケツってもんをまだ理解してなかったんじゃなかろうか。このままだと、いずれはとんでもないことになるかもしれないぜ」
「もうなってんだよ。さっさと掃除しろや」
(2019.6.23)
沈黙は一杯の貝だ。
今日も饒舌の口撃を
殻に籠って耐えている。
しかしこの貝には
ひと振りの爪がある。
饒舌に悟られぬよう
音を殺して研いだ爪が。
饒舌が嘲りに高笑った
その瞬間
研ぎに研がれた爪は
白い喉笛を引き裂くだろう。
沈黙は一杯の貝だ。
その殻の中に
獣を綴じた貝だ。
(2019.6.24)
江口 老人を宿から送り出すと、女は階段を登って杉戸を開けた。白い娘は布団の上に眠ったままだ。その右腕を掴み捻る。ぱき、と腕は外れた。次いで左腕、右脚、左脚、最後に首が胴から離れた。娘が目覚める気配はない。女は娘の部品を抱えると部屋を出た。静寂の中に冬の海が響いている。
(2019.6.25)
「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、ひとつ私にくださいな」
犬猿雉は、老いた桃太郎を囲んで歌い踊る。きび団子を食べた獣たちは不老不死となった。一方の桃太郎は人間のまま臨終を迎えようとしている。三匹は涙を流しながら踊り続ける。見守る老爺の顔は実に穏やかである。
(2019.6.26)
僕は右から、きみは左から。会話の線 は重なって層になり、塔を成す。
きみからの返事を待ちながら、指を滑らせ塔を登る。てっぺんで、初めて交わした言葉に再会する。懐かしさに緩む頬。震えた指を思い出す……
通知音。
僕は塔を駆け降りる。今のきみを目ざして、一気に指を弾く。
(2019.6.27)
汚したくないから、抱かれるときには指輪を外す。だけど貴方はお構いなしに、指輪を嵌めたまま私をなぶる。刻まれた名前が膚の上を這い、汗に濡れる。自分自身に穢されていると思うと、昂りはひと際大きくなる。サイドテーブルに乗った私の指輪は、軋むベッドに合わせてかたかたと喘ぐ。
(2019.6.28)
ヨットハーバーは梅雨真っ只中で、海の男達の快活な笑い声が絶えて久しい。
その代わり、港はいま、コンサートホールに姿を変えている。デッキ、マスト、桟橋、バケツ……あらゆるものが楽器になって、奏でるは雨粒とのコンチェルト。波のあいだでかもめが一羽、ばたばたと拍手をしている。
(2019.6.29)
欲しいのは「愛してる」なんて言葉じゃない。誰でも口にできるものに価値なんかない。欲しいのはあなたのにおいとか、ぬくもりとか、くちびるとか、あなたじゃないと手に入らないものなんだ。そばにいるときは私にちゃんとさわってよ。隣りに立ってるだけじゃ、いないのと同じなんだよ。
(2019.6.30)
(2019.6.16)
『能ある鷹は爪を隠す』
『火のない所に煙は立たぬ』
これらの諺は21世紀の半ばに死語となったものだ。能ある鷹は無能な鳥どもに蹂躙されて絶滅し、電脳空間では毎日のように火の手が上がる。時世は諺から教訓的機能を奪ってしまったのだ。
はてさて、次はどの諺が姿を消すのだろうか……。
(2019.6.17)
おいしい酒には天使の取り分がある。だけど彼らも全部飲みきれるわけじゃない。ふらふらで飛べなくなるからね。残った分は返してくれる。グラスに一滴、ちょっとずつ。カウンターで他人同士が仲良くなれるのは、この一滴のおかげなんだ。今日もどこかで、見知らぬ誰かの縁を結んでいく。
(2019.6.18)
「人を斬ることは、その者に連なる全てを断ち切るに等しい。受け継いできたもの、受け継ぐはずだったもの……わしはそんな簡単なことに、十と四人斬るまで気づかなかった。楽しすぎてな。あの感触は手に染み付いて消えなくて……だからこうしたのよ」
持ち上げる両腕には、手首から先が無い。
(2019.6.19)
つばめが巣作りに励む軒下に、枯れ草の束が置かれていた。つばめは次々と抜き取って巣に運んでいく。
言うまでもないが、人間は見返りを求めているわけではない。つばめだって意味を理解してはいないだろう。損得勘定のない気づかいは、種族を超えたところにこそ生まれるのかもしれない。
(2019.6.20)
「燕」より「つばめ」と書きたい。ひらがなこそが、彼らの名を綴るにふさわしい文字だと思うのです。ほら、じっと眺めてごらんなさい。この佇まいは、青空に描く曲線そのものではありませんか。あるいは電線の上で、かちかちと歌う姿だって浮かんでくるでしょう。愛らしきかな、つばめ。
(2019.6.21)
土手に咲いた白いユリたちは、空を見上げて風に吹かれている。まるで飛び立つときを見極めようとする鳥のようで、その可憐な容姿にそぐわぬ勇ましさに胸を打たれる。
大気がひと際大きくうねり、ざわりと
花弁を離れた芳香は私の鼻先をかすめて、六月の空高く舞い上がった。
(2019.6.22)
「お前んちのウォシュレット、ボタン押したら全然違う位置洗い出したんだよ。もうびっくりしてさ……もしかしたら俺たちは、ケツってもんをまだ理解してなかったんじゃなかろうか。このままだと、いずれはとんでもないことになるかもしれないぜ」
「もうなってんだよ。さっさと掃除しろや」
(2019.6.23)
沈黙は一杯の貝だ。
今日も饒舌の口撃を
殻に籠って耐えている。
しかしこの貝には
ひと振りの爪がある。
饒舌に悟られぬよう
音を殺して研いだ爪が。
饒舌が嘲りに高笑った
その瞬間
研ぎに研がれた爪は
白い喉笛を引き裂くだろう。
沈黙は一杯の貝だ。
その殻の中に
獣を綴じた貝だ。
(2019.6.24)
(2019.6.25)
「桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけたきび団子、ひとつ私にくださいな」
犬猿雉は、老いた桃太郎を囲んで歌い踊る。きび団子を食べた獣たちは不老不死となった。一方の桃太郎は人間のまま臨終を迎えようとしている。三匹は涙を流しながら踊り続ける。見守る老爺の顔は実に穏やかである。
(2019.6.26)
僕は右から、きみは左から。会話の
きみからの返事を待ちながら、指を滑らせ塔を登る。てっぺんで、初めて交わした言葉に再会する。懐かしさに緩む頬。震えた指を思い出す……
通知音。
僕は塔を駆け降りる。今のきみを目ざして、一気に指を弾く。
(2019.6.27)
汚したくないから、抱かれるときには指輪を外す。だけど貴方はお構いなしに、指輪を嵌めたまま私をなぶる。刻まれた名前が膚の上を這い、汗に濡れる。自分自身に穢されていると思うと、昂りはひと際大きくなる。サイドテーブルに乗った私の指輪は、軋むベッドに合わせてかたかたと喘ぐ。
(2019.6.28)
ヨットハーバーは梅雨真っ只中で、海の男達の快活な笑い声が絶えて久しい。
その代わり、港はいま、コンサートホールに姿を変えている。デッキ、マスト、桟橋、バケツ……あらゆるものが楽器になって、奏でるは雨粒とのコンチェルト。波のあいだでかもめが一羽、ばたばたと拍手をしている。
(2019.6.29)
欲しいのは「愛してる」なんて言葉じゃない。誰でも口にできるものに価値なんかない。欲しいのはあなたのにおいとか、ぬくもりとか、くちびるとか、あなたじゃないと手に入らないものなんだ。そばにいるときは私にちゃんとさわってよ。隣りに立ってるだけじゃ、いないのと同じなんだよ。
(2019.6.30)