2022.7.16~2022.7.31

文字数 2,336文字

 学校の帰り道、いつもの場所にあいつはいた。サーファーになる夢を事故で失い、一時は波の音さえ避けていたが、最近また海岸に来るようになった。唇を噛み、砂に爪を食い込ませる姿は痛々しい。苦悩の先に光はあるはず――勝手に憧れていた女の勝手な応援は、胸の中でこだまするばかりだ。
 (2022.7.16)


 彼氏と歩きながら、目的もなくぶらつくのってこんなに楽しかったっけと浮かれ気分だ。向こうは一方的にしゃべりまくるあたしにクールな素振りだけど、さりげなくあちこちチラ見してるのは気づいているのだ。あたしってばサイコーにいい女。前に回ってハグした。いいぞ、好きにしたまえ!
 (2022.7.17)


 資格を取ろうと思ったのは、自分の中に誇れるものを持ちたかったからだ。利己的な理由だ。だけど誰かのためを思うより、自分のためを思うほうが力が出た。諦めずに続けられた。合格通知を前に人生の地図を開く。白紙に近かったそれに新たな道筋が見える。私はようやく『私』から旅立つ。
 (2022.7.18)


「ベンツじゃん!カッコいい!」
 彼女は目を輝かせる。本当は親父のだけど俺のってことにしておく。ドライブの前に給油していこう。
「満タンで!」
「お客さん、給油口、逆っすよ」
「えっ、すんません……えっと、ハイオクね」
「これ軽油車っすよ」
「……」
「だっさ。あたし帰るわ」
 (2022.7.19)


 広野のど真ん中で人が撲殺された。しかし凶器は見当たらない。やがて捕まった犯人はこう自白した。
「地球で殴った」
 呆れる刑事だったが、そこに鑑識が飛び込んできた。
「犯行時刻に、地球の位置が周回軌道からずれています」
 刑事は怖気立った。俺たちは何を相手にしているんだ……。
 (2022.7.20)


 希代の名優は役作りにストイックだ。減量増量はもちろん、行動を実践してみるほどの徹底ぶりだ。
「ただひとつ、動物の虐待だけはしない。とても正気で出来ることじゃないから」
「なるほど。さて、次に控えている役はありますか?」
「うん」
「それは?」
「殺人鬼。上手くやれそうだ」
 (2022.7.21)


 本家の床の間にある達磨には両目が無い。祖母が言うには大昔、邪な願いをかけられたために怒り、目を閉じてしまったのだそうだ。
「もうどんな願いも叶えてはくれない。あれは戒めなんだ。二度と愚か者を出すまいというね」
 祖母の肩越しに達磨が見える。真っ黒な瞳がこちらを視ている。
 (2022.7.22)


 書かなきゃ食えないわけじゃない。気の向くままに筆を執る日曜作家だ。生きるために血眼で文字を刻む御仁からしたら、ぬるま湯もいいところだろう。だけど私は私、自分のペースでやらせてもらう。趣味はあくまで趣味、生きる術にはしない。力を抜いて、逃げ道もあるからこそ続けられる。
 (2022.7.23)


 大失態だ。身代金の受け渡し役が指定された建物を間違えるなんて。クビだ――人質の安否より自分の将来を心配する余裕はある。ようやく廃屋に着いた。息急き切って駆け込むと、覆面をした犯人がいた。
「遅くなった、五千万円だ」
「えっ、三千万じゃ……」
 固まる両者。まさか、こいつも?
 (2022.7.24)


『¥1,000』
 給与明細に謎の数字が載っている。普段は明細など見ないが、興味本位で開いてみたらこれだ。課長に訊くと首を傾げ、給与担当に訊きに行った。やがて戻ってきた課長の顔は真っ赤だった。他人の金額を水増しして、差額をちょろまかしていたらしい。悪いことはできないものだ。
 (2022.7.25)


 酒をこぼしたのはわざとじゃない。酔いに呑まれた己の不始末だ。穀潰しの分際で何たる醜態か。屈み込み床を拭く叔母は、今日に限って襟ぐりの深い服を着ていた。貧しい膨らみが目を刺した。僕が視線を反らすより、叔母が顔を上げる方が早かった。知らぬふりをされたのが何よりも堪えた。
 (2022.7.26)


 女の首吊り死体には殴られた痕があり、知人の男が捕まった。女の好意に付け込み多額の借金をしていた。男は混乱していた。殴ってロープで首を絞めただけだと言う。結論、女の死は自殺だった。男は犯行に及んだが失神しただけだった。目を覚ました彼女は事実に絶望し首を吊ったのだった。
 (2022.7.27)


「ですから、何度も説明したように――」
 最後まで聞かず、客は主張をまくし立てる。クレームの切り返しは習ったが、理性のない相手には無力だ。そのとき、子供が客を指差して、
「お外では静かにしなきゃダメなんだよ!」
 客は退散した。子供に感謝すると共に、強くならなくてはと思った。
 (2022.7.28)


 あまりに月が生意気だったので、ナイフで顔を削り取ってやった。これでもう笑うことはできない。月は顔を奪い返そうと向かってきた。僕はその身体を乱暴に突き飛ばすと、顔をゴミ箱に捨てた。とうとう月は泣き出した。うろたえた僕を涙のきらめきが串刺した。惨めなのは僕のほうだった。
 (2022.7.29)


 付き合うと、相手の見えなかった部分が見えるようになる。よそ行きの仮面を脱ぎ捨てた、ありのままの個人と向き合うことになる。覚悟していたつもりだけど、やっぱり無理だった。ごめん、わたし、別れようと思います。ありのままのあなたより、よそ行きの仮面のほうがきれいだったから。
 (2022.7.30)


「あら、きれい」
 そう言って、初江は道端の花を手折った。私はその無神経さに苛立つ。美しいものを独占しようすることは傲慢である。美は自然に在ってこそ。だから己を律し、眺め愛でるだけに留め置かねばならない。
「いい匂い、ほら」
 花を差し出しながら初江は笑う。そう、これもだ。
 (2022.7.31)
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