2022.2.1~2022.2.15

文字数 2,052文字

「恋は焦らず」……ショートカクテルのくせに生意気言うじゃねえか。バラライカは時間をかけて飲むもんじゃない。ラフマニノフのピアノ曲みたいに、減衰する酩酊を消さないように飲むんだ。うっ……そうだな、次はXYZを頼むよ。そう、「これでお終い」さ。おれは肝臓の忠告は素直に聞くんだ。
 (2022.2.1)


 愛を交わす勇気のないぼくらのあいだを、日に焼けた漫画本が行き来する。共通の趣味が結んだ縁は今にも切れそうだが、「面白かった」「これ読んで」で繋がっているのは奇跡に等しい。せめてぼくにもう少し情緒があればいいのだが、きみに勧めるのはまたも血なまぐさい暴力の世界なのだ。
 (2022.2.2)


 パパ、どうしたの?豆まきするんでしょ。鬼のお面もかぶってるのに、どうしてじっとしてるの?ほら、豆は持ってるよ。こうやって投げるんでしょ。おにはーそとー、ふくはー……ねえ、お返事してよ。何だか怖いよ。ママはどこ?さっきまで一緒だったのに。ねえ、聴こえてるの?パパ……パパ?
 (2022.2.3)


 画家の執拗な筆致は、画布の上に闇を顕現させる。影ではなく、闇だ。濃密な闇は光を反射し、きらめきは女のかたちを描き出す。そこで画家は愕然とする。自分はモデルもなしに一人の女を描いた。この手は闇の中に潜んでいた女を引きずり出したのだ。怪物だ――画家は呟く。どちらへともなく。
 (2022.2.4)


 ジャンプ台から勢い良く飛び出す。身体をひねり、反転する視界に雪原を見送って、ボードが太陽を裂いた――。
 ゴーグルを外し、たった今降りてきたコースを眺める。この700メートルにかけた4年を噛み締める。しかし耳の奥に拍動を聴く私は、それを都合よく解釈する。
 ここで終わりじゃない。
 (2022.2.5)


 技術が進歩し、記録が記憶によらず記録自体で成り立つようになり、事実との齟齬は著しく減った。しかしそれでも説明の付けられない記録は存在する。先の大戦の折、インド洋上で目撃された国籍不明の潜水艦について、全ての記録は同じ言葉で締め括られている。
 “同艦は空へと飛び去った”。
 (2022.2.6)


 ある朝、海岸に巨大な鯨が打ち上げられた。船を八艘並べてもまだ尾には届かない。すでに息はなく、心臓に当たる位置には銛のようなものが深く食い込んでいた。見物人が大勢集まるなか、流れに逆らい立ち去る老人がいた。手には小さな木彫りの人形が、そしてその鼻は根本から折れていた。
 (2022.2.7)


 目の前に、私が居た。まるで鏡を見ているかのようだ。ただひとつ違うのは、この鏡像は意思と無関係に動くということで、その事実がかろうじて私の認識を正常に留め置いてくれた。私は私の声を聴く。
「お互いの生活を交換してみませんか」
 返事の代わりに微笑んだ。鏡像は笑わなかった。
 (2022.2.8)


 男の陰気な姿は夕陽さえもくすませていた。足元から伸びた影が爪先に触れようとしている。私は然り気無く足を退いた。
「死にたいのです」
 男は呟く。勝手に死ねと思うが、善人を装った手前いたわる素振りをせねばならぬ。男は卑屈な笑顔を見せた。いつの間にか、影が足首を捉えていた。
 (2022.2.10)


 掻き出された嬰児はトレーの上でむしろ清らかに見えた。人としての知性を喪ったことで、純粋な命のかたまりへと昇華したのだ。妻の肉に潜む極彩色を一身に纏い、嬰児は朝の光のなかに燃えていた。私は葡萄酒の栓を抜き、静かに注ぎかける。浮き上がった血脂が蛇のようにのたうち始める。
 (2022.2.11)


 刑事は河原に仰臥した二つの骸に手を合わせた。若い男女だった。互いの手首を紐で結わえ、懐中に遺書を呑んでいた。よくある心中だが、刑事は一抹の不審を抱いていた。心中した人間の貌には幸福が読み取れるものだが、この二人にはそれが無かった。薄目の奥に暗い恨みの色を孕んでいた。
 (2022.2.12)


 気づいたのは三日前だ。その女は家の前を通るたび、軽く会釈していった。全くの見知らぬ他人だ。こう何回も続くと落ち着かなくなってきて、私は夫に相談した。
「誰なのかしら?」
「放っておけよ。悶着になったら嫌だろ」
「それもそうね」
 しかし気のせいか、夫の顔が青ざめて見える。
 (2022.2.13)


 バレンタインアピールしてくるニヤけ顔を張り飛ばす。たかがチョコに浅ましいったらない。コンビニで買えるものに、材料さえあれば作れるものに気持ちなんかこもるもんか。深呼吸して胸ぐらを掴み上げる。気持ちってのはこうやって伝えるんだ。覚悟しろ、あたしの想いは半端じゃないぞ。
 (2022.2.14)


 ワンカップのプルタブを引き抜いて、一気に流し込む。うまい。思わず天を仰いで――ランドマークタワーのきらめきに目を焼かれた。在りし日の走馬灯……窓際の席でディナーを楽しんでいた自分は、遠い日の幻だ。安物のアルコールが胃の中で嘲笑う。いけない、早く今夜のねぐらを探さなければ。
 (2022.2.15)
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