2023.10.1~2023.10.15

文字数 2,193文字

 明け方の街を歩いていると、路地から淡い光が漏れていた。覗くと、月がしくしく泣いている。
「月見団子とやらを買いにきたが、どこも売り切れでな……」
 私は持っていた団子をあげた。月は喜んで空へ帰ろうとした。
「待ちな」
「えっ?」
「それは契約の証だ。桃太郎って知ってるかい」
 (2023.10.1)


「神の指示で……」
 被告は異常だった。遺族は絶望していた。このままでは減刑か、無罪か……その時、一通のメールが届いた。

 翌日の法廷。証人台に立っているのは、“神”だった。弁護士はもちろん検察も戸惑いを隠せない。ざわめく傍聴席で、
「夢はうつつに」
 呟いた声を誰も知らない。
 (2023.10.2)


 タイマーが鳴り、火葬が終わった。職員は扉を開ける。台車を引き出す手が、不意に止まった。違和感。ご遺体に特段変わりはないが、
「変わりはない……?!」
 職員は悲鳴を上げた。確かに台車上のご遺体に変わりはなかった。生前の姿のまま、一千二百度の高温に晒されたにもかかわらず。
 (2023.10.3)


 生まれつき左足が無いのを、増川(ますかわ)治五郎(じごろう)は苦にしたことがなかった。出来ないことも出来るようにしてしまったからだ。体幹の使い方も独特で、片足だけでバランスを崩さずに走り跳躍した。これを生かし武術を興すも、余人には真似できぬものであったのだろう、後継者が育たず一代で潰えた。
 (2023.10.4)


『落雁』というのが絵の表題だった。黄昏に黒く連なる稜線を裂き、雁が一羽、嘴を下に墜落している。私は後退り俯瞰しようとする。やがて背が壁に当たるが、それでも絵の全貌は知れない。稜線は吹き抜けの展示室いっぱいに描かれているからだ。雁だけが遠ざかり、死をはぐらかしている。
 (2023.10.5)


「娘さんをください」
「初対面でいきなり何だ!しかも娘の留守中に……断る!帰れ!」
「……はい」
 しばらくすると娘が帰ってきた。事情を話すと烈火のごとく怒り出し、
「結婚を渋ってるから挨拶させようとしてたのよ。パパが許さなかったら諦めるって条件で……逆手にとられたわ!」
 (2023.10.6)


「うーん、違うな……」
「どうしたんですか?この映画、好きって言ってませんでしたっけ」
「4Kリマスターされてるんだけどさ、なんか違うんだよ。おれのイメージは何度もダビングされて画質が荒れたビデオテープのやつで。あれじゃないと――」
「ダビング?ビデオテープ?」
「ああ!」
 (2023.10.7)


 息子夫婦に誘われてキャンプ中。
「火起こしはこのファイヤースターターでやるんだよ」
「ほう、こりゃ便利だな。だけど何だかなぁ、キャンプって不便を楽しむもんじゃないのか」
「そりゃそうさ。でもストレス感じたら意味ないだろ。“ほどよく”不便なのがいいのさ」
「そんなもんかね」
 (2023.10.8)


 俺たちの青春を懐メロなんて陳腐な言葉でくくらないでくれ。つま弾きひとつに血を流し、ひと打ちごとに涙を絞った日々。紫煙に揺れる灯を睨み、名も知らぬ者たちと吠えるとき、おれの人生は退屈なんかじゃないと信じることができた。懐古じゃない。過去は昔ではなく、今へ地続く大陸だ。
 (2023.10.9)


 郊外の屋敷に住む老婦人は、若かりし頃プリマドンナだった。あるとき暴漢に襲われて足を折り、第一線から退いた――。
「と、世間は未だに信じている」
 自らの足に金槌を振り下ろした瞬間は昨日のことのように思い出せる。あの世界は狂っていた。抜け出すには、より深く狂うしかなかった。
 (2023.10.10)


 寒村の不審死は、一人の老人を残して終結した。老人に動機はなく、警察も匙を投げて村を去った。
 老人は焚き火に当たりながら、ぼろぼろの狐のぬいぐるみを眺めている。
「満足かえ?」
 ぬいぐるみが言い、老人は頷いた。迫害の代償を罪無き子孫に償わせる――それが神に願った犯罪だった。
 (2023.10.11)


「おれの銃とあんたの刀。どっちが早いか試してみるかい?」
「よかろう」
 3、2、1――。

「見ろ、おれのほうが先に眉間を撃ち抜いてる!」
「馬鹿者、拙者のほうが先に斬っておる!」
「ええい、つべこべ言わずにさっさと入獄せんかー!!」
 閻魔様も激おこ。達人とは厄介な人種である。
 (2023.10.12)



「あら、課長、そのネクタイ……」
「ん?まあね」
 すぐさま給湯室会議が召集される。
「あんなセンス良い品、選べると思う?」
「無理よ。まさか不倫?」
「それこそまさか!」
 そんなやりとりを遠目に、
(ふふ、ネクタイに目を奪われて、誰も私がウィッグを始めたことに気づいていない)
 (2023.10.13)


 仕事はつらい。客にも上司にも怒鳴られる、頑張っても認められなくて、少ない手取りで何とかやりくりしている。ただ、こうして同僚と馬鹿話で笑っているひとときだけは、仕事の嫌なこと全部、頭から消え去っている。むしろ楽しんですらいる。都合のいいように出来ているよな、人間って。
 (2023.10.14)


 かさぶたに爪を立てる夫を見て、和江(かずえ)は厭な気持ちになる。剥がせば治らなくなるのは子供でも分かる理屈だ。一時の痒みを我慢できないのは子供以下の精神で、呆れて物も言いたくなくなる。剥がれたかさぶたを見て満足そうだが、もう傷口に血が滲み始めている。頭が悪いのだと和江は思う。
 (2023.10.15)
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