2022.11.16~2022.11.30

文字数 2,209文字

 家族の絵を描かせたら、画用紙を真っ黒に塗り潰した生徒がいた。家庭環境に何かあるかもしれないと自宅を訪問することに。
「どうぞお入りください」
 薄暗い玄関から廊下を進み部屋に入ると、中は真っ暗――いや真っ黒だった。
「いつもお世話になっています」
 声がする。黒が喋っている。
 (2022.11.16)


「万歳!万歳!」
 見送りに集まった連中は笑顔で旗を振り回し、声を限りに叫んでいる。誰も彼も狂っているとしか思えない。生きて本土の土は踏めまい。だからこの場は葬式なのだ。葬式で笑う馬鹿が何処にいる。泣けよ。悲しいなら泣いてくれよ。そうじゃないと、俺も泣けないじゃないか。
 (2022.11.17)


「誘拐だわ!」
 娘が病死して以来、正気を失くした妻の一人芝居に付き合っている。もはや悲しさより哀れみが勝っている。
「電話がかかってくる!」
 そこで本当に電話が鳴った。受話器を取る。
「もしもし」
「気づいてるよ」
「は?」
「奥さん、気づいてるよ」
 背後に妻の気配がない。
 (2022.11.18)


 牢から出された私の眼前に青磁の壺が置かれた。我ながら惚れ惚れする出来だ。しかしそれは名工を騙った贋作、贋作作りは斬手刑だ。覚悟を決めたが、意外にも手首の鎖は解かれた。刑吏は言った。
「王の名において命ずる。業を極めよ。偽りを超えよ。お前は真物――マモノとして生きるのだ」
 (2022.11.19)


 城下を騒がす辻斬り。幸い怪我人は出ておらず、火盗は見回りを続けていた。
「む!」
 同心は路地から覗く刀に気づいた。が、違和感を覚え、迫る刃をかわさなかった。刃が過ぎた瞬間、手は消え失せた。
「……傷はない。亡霊か。しかしぬるい太刀筋、虫すら斬れぬわ。満足して成仏したか」
 (2022.11.20)


 黄昏が這い寄る頃、鯨は岩礁に乗り上げ死んでいた。右脇を下にした姿は釈迦の入滅に似ていた。一切の煩悩を抱えず、ただ己の肉の重さに斃れた獣には愛らしさすら覚えた。敬虔な鳥や魚は早くも集い、円を描いて涎を垂らしている。誰も合わせる手を持たぬから、私が代わりに拝んでやろう。
 (2022.11.21)


 人間の政治家はロクな働きをしないので、人工知能を使った合議システムが導入された。これで合理的な判断ができるというわけだ。ところが非人道的な提案ばかりするので、あえなくお払い箱となった。
「もう少し融通が利けばなあ」
 小難しい顔をしながら、政治家は胸を撫で下ろしている。
 (2022.11.22)


 義母が死んだ。散々いびられ、臨終も恨み言を浴びせられた。針のむしろを耐えてきた今、悲しさより安堵を覚える自分を卑しく思う。周囲の音も虚ろに響く耳に、不意に医師の呼びかけが聞こえた。
「よく頑張りましたね。終わりましたよ」
 言葉は染み入り、堰を切ったように涙があふれた。
 (2022.11.23)


 溶けて水たまりになった雪女をバケツに集め、冷凍庫に入れてみた。数時間後に見てみると、バケツの中には氷があるだけだった。一度沸騰した脳が機能を失うのと同じ原理らしい。そのまま軒先に放置して忘れていたら、いつのまにか消えていた。土の湿った跡は『ゆきのふるひは』と読めた。
 (2022.11.24)


 長い間仕舞われていたから、ロードバイクは錆だらけだった。俺は汚れを落とし、タイヤを換え、サスペンションを調整した。丸一日かけて見違えるほど綺麗になった。それを見たじいちゃんは目を丸くし、ほろほろと泣き出した。
「また、あの日のこいつに会えるとはなぁ」
 俺も泣けてきた。
 (2022.11.25)


 船底が軋んでいる。悲鳴に似た音は霧に混じって、寛三(かんぞう)の鼓膜を震わせる。化け物鯨は真下にいる。寛三は銛を掴み、神経を研ぎ澄まして、浮き上がる瞬間を見極める。撃ち込むのは柔らかい腹だ。海面が隆起する。闇に巨影が轟く。波飛沫の幕を切り裂いて、老練の漁師は双眸をひたと据える。
 (2011.11.26)


 雲の上に住む怪物が王女を見初め、求婚した。醜悪な外見を嫌がり、王女は勇者に助けを求めた。勇者は怪物を退治して王女と結ばれた。怪物の涙は雨となり大地を濡らした。
 程なくして、王女は窓辺で愚痴っていた。
「子供ね、女の悦ばせ方をまるで知らない。怪物のほうがよかったかしら」
 (2022.11.27)


 山々は頭から雪をかぶって、夜の底にじっとうずくまっている。その足元に、ぽつぽつと足跡を刻む影があった。簑草鞋に身を固めた、壮年の男である。総髪が目にかかり、鼻から下は針のような髭に覆われ、いかなる感情も読み取ることができない。男は懐深く仕舞った書状の重みを確かめる。
 (2022.11.28)


 北から風が吹いている。その中にかすかな硫黄の臭いを嗅いで、
(お山が怒っている)
 と光央(みつお)は思った。
 火山の麓にある村に生まれた。人々は痩せた土地を忌み噴火の気配に怯えながらも、そこでの暮らしにしがみついている。それが嫌で村を出たのだが、ふとしたことで過去に戻る自分がいる。
 (2022.11.29)


 鋼だ――男の腕を見てそう感じた。ひと抱えもある岩が軽く触れただけで砂に変わる。男は流浪の武芸者で一宿一飯を乞うてきた。私は快諾した。家までの道すがら、私の目は男の腕に釘付けだった。皮膚はなめした革のように黒々と、太陽を照り返している。
 是非とも、その腕が欲しいと思った。
 (2022.11.30)
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