2022.5.1~2022.5.15

文字数 2,190文字

 グラスを呷ったが酒の味はなく、喉が焼けただけだった。滲む視界に息子の姿が浮かぶ。夢など追わず全うに生きるよう諭したら反発された。挫折は目に見えているのになぜ。
「親の言いなりにはならない!親父にもそんな頃あっただろ!」
 私にはなかった。だから息子の気持ちが分からない。
 (2022.5.1)


 勘が良く要領がいいのが取り柄だった。だから入社してすぐトップの営業成績を取るまでになった。しかし今、耐え難いストレスを抱えている。プロジェクトリーダーを任されたが、メンバーは低レベルな連中ばかり。計画は遅々として進まない。一聞いたら十知れよ。一人のほうがまだマシだ。
 (2022.5.2)


 包装された小箱を抱えて、妹はご機嫌だ。彼氏の就職祝いを一緒に選んでと言われたときは仰天したが、じゃじゃ馬娘の成長を垣間見れて良かったと思っている。
「助かったぁ、男物って難しいんだよね」
「感謝しろよ」
「今度お礼します」
「ステーキな」
「高いー!」
 にぎやかな帰り道。
 (2022.5.3)


 話がうますぎると思ったのだ。だが後悔しても遅い。悪い女に引っかかった結果がこれ――事務所で強請られているわけなのである。私は洗いざらいしゃべった。女がうっかり漏らした愛人への不満も含めて。
「てめえ、そんなこと考えてたのか!」
 修羅場が始まる中、私は逃走経路を考えている。
 (2022.5.4)


 黄昏時。西日差す部屋の空気がすっと冷えて、青ざめた人影が立った。かつてこの場所に安アパートが建っていた頃、貧しさに耐え兼ねて自殺した男だと言われている。時代が移ろい、安アパートは富裕層向けの高級マンションへと姿を変えた。彼は今、どんな思いでここに現れているのだろう。
 (2022.5.5)


 悪人を倒したヒーローは何処へと去っていく。その正体を探ろうと、野次馬が尾行を企てた。ヒーローは山奥の廃屋に辿り着いた。胸躍らせる野次馬の眼前で、彼は血を吐きながら悶絶した。力の代償に死ぬほどの苦痛を堪えながら戦っていたのだ。野次馬は恥じ入り、逃げるように立ち去った。
 (2022.5.6)


 肉は高らかに鳴った。打った掌に感覚はなく、後輩は頬を押さえているが、それすら演技に思えてしまう。だがそれでいいのだ。恋人を寝取られて、なぜ私が痛みを感じなければならないのか。無痛は正当である証なのだ――と、腕を掴まれた。私は振り返り、
 思い出したように、掌が熱を帯びた。
 (2022.5.7)


 今や娯楽とコスパは切り離せない。動画は倍速、切り抜き視聴が当たり前、1000ページを超える名著も5分で読了だ。その到達点として現れたのが、あらすじの販売。起承転結・要点凝縮で一切の無駄は無し、空前の大ヒットになった。そして派生したブームは、
「あらすじから物語を考えよう」
 (2022.5.8)


 大富豪の遺言書には、
『全財産を愛人の玉枝(たまえ)に渡す』
 非難に動じず女は相続したが、突然失踪した。置き手紙には財産を寄付したこと、それは故人の望みだったことが記されていた。
『人間は金に目が眩むから、私に頼んだのです』
 数日後、愛猫タマが主の墓前で死んでいるのが見つかった。
 (2022.5.9)


 殺し屋は伝説の拳銃を手に入れた。撃てば必ず誰かを殺すという。何を当たり前のことを――冗談半分に空へ向けて撃ってみた。しばらく待ったが何も起こらない。ただの箔付けかと思った次の瞬間、世界が揺れ出した。殺し屋は巨大な人影が天から落ちるのを見た。その額には銃痕が刻まれていた。
 (2022.5.10)


 反戦デモはエスカレートし、市民と軍隊の衝突はついに死者を出した。倒れ伏した死体を囲み、両勢力は言葉を失くした。この街の人間ではなかった。この国の人間でもなかった。戦争と平和の摩擦の中で、無関係な命がすり潰されたのだった。間もなく戦争は去った。しかし平和は来なかった。
 (2022.5.11)


 江戸を騒がす殺し屋一味がお縄となった。詰問する町奉行を愚弄し、打ち首獄門となった。

 その夜。荒れ寺に処刑されたはずの一味の姿がある。
「うまくいきやしたね」
「役人の目など節穴よ。これでお前たちは死人、好きにやれ」
 そうほくそ笑むのは、町奉行。彼が一味の首領だったのだ。
 (2022.5.12)


 妻はどんな植物でも枯らす。サボテン、ガジュマルさえも……まるで死神だ。動物に手を出していたらと思うとゾッとする。しかし今度は大丈夫と胸を張る。
「育てようとするからいけないの。自然のままに任せるのよ」
 その思想は欠片も理解できないが、庭の雑草は鬱陶しいほどに茂っている。
 (2022.5.13)


 初めての音楽体験は親戚の運転する車の中だった。8センチのCD。言葉も覚束ない幼児の耳は、純粋な音の波に震えた。何度もリピートしては呆れられた。時が流れ、あんなに聴き込んだ曲はタイトルすら忘れてしまった。しかし探すことはしない。幸福な空白を抱えて、私は生きていこうと思う。
 (2022.5.14)


 学者の言葉は嵐のように、村長の胸中を引き裂く。彼の血筋は崇められていた。一族が村のために尽くし築き上げてきた証であった。しかし学者は嬉々として、学問の刃で神話を解体した。神性は剥奪され、凡百の事例の一つに貶められた。やがて空っぽになった胸に灯がともった。殺意だった。
 (2022.5.15)
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