2022.1.1~2022.1.15

文字数 2,192文字

 書き初めのお題は“今年の目標”。しかし息子の筆は動かない。半紙は白いまま、時間だけが過ぎていく。
 やがて息子は静かに筆を置いた。どうした?
「こんなところで立ち止まってる暇があったら、がむしゃらでもいいから行動すべきだと思う」
 良いこと言うじゃないか。でもその前に宿題な。
 (2022.1.1)


 賽銭を投げ込んで手を合わせる。周りが真剣に願掛けする中、私は何も願わない。そもそも、5円かそこらで願いが叶うわけがない。本当に願いを叶えたければ、自分で努力するしかないのだ。そんな冷めた人間がなぜ初詣に行くのかというと、
(神様、正月からお疲れ様です)
 労いのためである。
 (2022.1.2)


 卯吉(うきち)は駆ける。戦場から一歩でも遠ざかるために。抱えた風呂敷の中で、主人の首はまだ温かい。
 叢が責めるように肌を刺す。
(おらのせいではねえ)
 卯吉は使用人だ。刃物は包丁しか握った事の無い男に、武士を守れるはずもない。それでも、己に剣術が使えたなら……涙と洟が行く先を曇らす。
 (2022.1.3)


 部長から書類が戻ってきた。書き添えられたコメントが、
(読めん……)
 悪筆ではない、達筆なのだ。書道展で見るような字を書くのである。こんなときは後輩の出番。どんな難読文字も読み解くことができるスペシャリスト?だ。驚くべきことにこの後輩、悪筆である。世の中分からないものだ。
 (2022.1.4)


 バスは終点に到着した。乗客が全て降りた後、忘れ物がないか座席を見て回る。と、何かが動いた。屈んで覗き込む。座席と床の隙間に、三歳くらいの子供がうずくまっていた。
「お腹空いてるでしょ?早くおうちへ帰りなさい」
 子供の輪郭が薄まり、半透明になって、消えた。
 よくある話だ。
 (2022.1.5)


 ごう、と森が轟き、寛太(かんた)は思わず首をすくめた。家族と訪れた鎮守の森である。幼い寛太は神という概念を知らない。しかし都会では耳にすることのない“樹の声”に触れ、心が揺さぶられたのだ。彼はまだその情動を恐怖としか捉えられないが、いつか、それこそが畏れだと知る日が来るだろう。
 (2022.1.6)


 沖から吹く風が頬を叩く。真っ昼間から釣り堀で糸を垂れるなんて、正月にしかできない贅沢だ。ここは魚が適度に釣れるのが良い。入れ食いでは興醒めだしボウズでは何のための釣り堀だか分からない。長く暮らすと、魚でも接客術が解ってくるらしい。
 竿が動いた。引く。
 顔馴染みだった。
 (2022.1.7)


 別れの瞬間は実に静かだった。うぶな私はその時まで、きっと世界の終わりのようなどん底に突き落とされるのだと思っていた。しかしどうだ、近所の食堂から漂う匂いを分析する余裕すらあったではないか。失われた恋の何という軽さ。これならば、世界の終わりのほうがまだマシじゃないか。
 (2022.1.8)


 生姜湯を注文すると、目の前の男は渋いなあと苦笑した。こういう反応には慣れているが、渋いという感想は未だに理解できない。人それぞれ好みがあり、同年代の傾向と違うからといって呆れられる謂れは無い。デートに誘われて飲む物として相応しくないとは思うが、まあ、そういうことだ。
 (2022.1.9)


 父が死んだ。涙も出なかった。認知症になったのが五年前。脱け殻のように生きる姿を見たときはさすがに堪えたが、一年二年と続くうち、私の中で父の存在は薄れていった。灰となって骨壺に収まっても、娘は何の感慨も湧かないでいる。緩慢な死は、残された者から悼む権利すら奪うらしい。
 (2022.1.10)


「騙したな」
 拳を握ったきみは、ぼくを睨みつける。そう、騙した。優柔不断なフリをして、すっかり油断させて。目論見は完璧だった。
「誕生日祝いって、言ったくせに」
 ぼくは小箱の中身を取り出す。
 銀色の指輪。
 きみの腕をとる。
「結婚してください」
 拳が、ゆっくりと開いていく。
 (2022.1.11)


 ワイングラスの液体は、ランプの灯の下でとろとろと揺れる。これが果実から生まれるなんて、酒造りとは本当に驚くべき技術だ。不覚にも名前は忘れたが、口内に広がる芳醇な味わいは鮮烈に刻み込まれている。名前という個性も、極上の美味には一歩も二歩も譲らざるをえないという言い訳。
 (2022.1.12)


 私たち夫婦の関係は、とっくの昔に冷め切っている。会話を交わすこともなく、互いを妨げないように生活しているだけだ。他人から見ればなぜ離婚しないのかという話だが、今さらそれは違うと思っている。積み木崩しが危うい形で静止するように、この在り方は奇妙な平和を築いているのだ。
 (2022.1.13)


 無国籍なんですと女は言った。訛りの無さを表そうとしたのだろうが、私は別の意味で納得をした。女の外見は、角度によって、あらゆる種族の特徴を備えているように見えた。稀有な存在である一方で、女が何者でもないという悲しみに晒されていることを空想し、自慰的な同情に溺れてみる。
 (2022.1.14)


「きみ」
「何でしょう、警部」
「この事件の被害者だが、後頭部を殴られて意識不明なのによく証言が取れたな?」
「ああ、警部は今日から赴任されたんでしたね。被害者は身体の前後に顔があって意識は独立してるんですよ。殴られたのは後ろのほうで」
「なるほど」
 宇宙人係は奥が深い。
 (2022.1.15)
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