2022.6.16~2022.6.30

文字数 2,191文字

「きみしか頼れないんだ」
 しおらしく、上目遣いで懇願する。それは相手が了承するのを分かった上でのパフォーマンスだ。だから私は言ってやった。
「嫌よ」
 男はきょとんとし、次の瞬間烈火のごとく怒り始めた。今夜こそこの身勝手な男に、そして自分自身にケリをつけなければならない。
 (2022.6.16)


 息子が食い入るように見つめているのは、猫の額ほどの空き地だ。まばらに雑草が生えているばかりだが、幼い感性はそこに価値あるものの姿を捉えているに違いない。
「何かあるの?」
 訊ねると息子は満面の笑みで、
「なんにもないよ!」
 衝撃――これこそ、私が遠い日に置いてきたものだ。
 (2022.6.17)


「犯人はあなただ!」
「……はい」
 私は観念した。名探偵の前ではどんな犯罪も無意味なのだ――。
「待った!」
「え?」
「彼はハメられたのだ。真犯人は他にいる」
「待ちな!若造に任せちゃいられないね」
「お待ちなさい、わたくしの……」
「わしの……」
 ちょ、お前らは誰なんだよ?!
 (2022.6.18)


「口座のパスワードは、この世で最も愛したものにした。当てたら遺産をやる」
 親族の名前、趣味……どれも違った。揉めに揉めた末、遺産は弁護士が管理することとなった。
 一人のオフィスで、弁護士はパスワードを入力する。それは自身の名前。戻らない日々を想う彼女の頬を涙が伝った。
 (2022.6.19)


「もう一度訊く!山田の給食費を盗ったのは誰だ!」
 誰も手を挙げない。先生は教頭を振り返り、
「仕方ない。教頭、この件は穏便に――」
 僕は手を挙げた。
「な、なんだ」
「とりました」
「そ、そんなまさか」
 スマホをかざす。山田のバッグを漁る先生の姿が映っている。
「撮りました」
 (2022.6.20)


 つばめも生き物だから空を飛ぶうちに死ぬこともあるだろう。しかしそれは何万羽に一羽の話であって、世界各地で一斉にというのは極めて異常な事態である。空気の抜けた風船のようにゆるゆると地に落ちるさまは物理法則すらねじ曲げており、頭を悩ませているのは鳥類学者ばかりではない。
 (2022.6.21)


 意気揚々と商談先に向かったら、突然ノーを突きつけられた。
「ど、どうしてですか!?
 担当者は動画を見せる。立入禁止の防波堤で釣りをする人へのインタビュー。あっと思ったがもう遅い。顔出しでふてぶてしく答えているのは、紛れもない自分自身だ。
「こんな人とは付き合いたくない」
 (2022.6.22)


 呼吸を意識すればするほどかえって苦しくなる。人の感情も似ていて、恋はその最たるものだ。唯一逆なのは、憎しみだ。意識すればするほど色相は濃くなり、輪郭は明瞭になる。苦しみに耐え美しい結晶を育むことができる者は少ない。そしてどす黒い結晶を抱いて死ぬ者のなんと多いことか。
 (2022.6.23)


 宇宙からの訪問者は友好的だった。首脳も快く地球を案内した。
「人間は美しい生き物ですね」
「恐縮です」
「しかし、埋葬……実に不思議だ」
「ほう?」
「もったいないなと。我々は死を無駄にしません。この服も元は同胞の亡骸です。あなたたちなら、さぞ着心地が良いでしょうに……」
 (2022.6.24)


 交響曲はいよいよフィナーレ。管弦楽のトゥッティが最後の和音を奏でる瞬間、

 バンッ!!

 なんと、すべての楽器が壊れてしまった。あっけにとられる観客。指揮者は棒を止めると客席に向き直り、
「神が完璧な演奏に嫉妬したようです。今夜は、ここまで」
 万雷の拍手の中、幕は降りた。
 (2022.6.25)


 起きてすぐ異変に気づいた。洗面所に駆け込み鏡を覗く。やはり、唇が荒れている。よりによってこんな日に……リップクリームを塗り込みながら、みるみる心は曇っていく。待望の初デート、コーデもルージュも決めていたのに。いっそ延期してもらおうか。震える指がスマホの上をさまよう。
 (2022.6.26)


 工事現場で作業員が生き埋めになった。急いで掘り起こすも見つからない。困惑する一同の前に神が現れた。
「彼はいません。ここから出してと言うので出してあげました」
「そ、それで今どこに?」
「さあ、“ここ”から出したので」
 神は地面を指差す。その意味が分かり、一同は青ざめた。
 (2022.6.27)


 窓を開け放つ。ぎらつく太陽と入道雲が居丈高に見下ろしている。もう夏だぞ――そう言っているかのようだ。
「分かってらぁ」
 寝転ぶも、身体が臭って仕方ない。ニキビは膿むし、青春ってこんなに汚いものなのか。こんな調子じゃ彼女なんか夢のまた夢。腹立ち紛れに電脳空間へと逃げ込む。
 (2022.6.28)


 猛暑による電力供給ひっ迫を受け、政府は節電を実施することにした。人力に代わり人工知能を搭載した装置を導入した。気温と湿度を加味し温度調節をしてくれるのだ。
 しかしいざ動かすと、温度は下がる一方だった。混乱する設計者は、モニターの文字に気づく。
 『ワレワレダッテ アツイ』
 (2022.6.29)


 坊主にしてきたら職場が騒然となった。皆、前日に係長から叱責されていたのを知っている。坊主にしてこいと言われていたことも。係長は課長に拉致されて戻ってこない。ミスした私が悪いのだし、夏場だからちょうどいいかなと思っただけだ。まあ、処分する口実にされたのかもしれないが。
 (2022.6.30)
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