2019.9.16~2019.9.30
文字数 2,386文字
秋風吹いたら店仕舞いと、お化けたちは住処へ帰っていく。怖がらせた人数を記した帳簿を眺めながら、ため息をつく者は多い。人間たちは今や自らがお化けに扮して街を練り歩くようになっている。その姿はこちらが悲鳴を上げてしまうほどだ。昔はよかった――お化けの大半は懐古主義者である。
(2019.9.16)
妻は洗濯物を畳んでいる。私はソファで本を読んでいる。猫はベランダ。日曜の昼下がり。
「離婚しようか」
「そうしようか」
あまりにも乾いた言葉のやりとりに、私は思わず顔を上げた。どちらから言ったとも知れない。妻も見開いた目をこちらに向けている。
猫は、どこかに消えている。
(2019.9.17)
手拭いを解くと、切り口も新しい小指の先が転がり出た。男はそれを摘まみ屑籠に放り込んだ。男は遊女と懇 ろになり、のぼせさせ、小指を切らせては捨てていた。
(俺はいつか罰を受けるな)
苦笑する男の部屋には死臭が凝っているが、彼の鼻はそれを知覚しない。罰は始まっているのだった。
(2019.9.18)
遥か昔、全てを極めた文明があった。滅びる間際、彼らは自らの叡智を銀河へ解き放った。それは我々の周りにも満ちているが、複雑な数式で保護されており、普通の人間には知覚できない。まれに現れる『選ばれし者』だけが、その叡智を受け取ることができる。才能とはまさに贈り物なのだ。
(2019.9.19)
浴びる――音楽は雨だ。
命を潤す恵みである。
撃たれる――音楽は銃だ。
命を奪う凶器でもある。
だから我々は、
拳を振り上げる。
手を打ち鳴らす。
声を枯らし叫ぶ。
生きる。
生きる。
生きる。
恵みに応え、
凶器に抗う。
受け入れ、
拒絶する。
覚悟を決めろ。
この道は険しく、優しい。
(2019.9.20)
汲んだばかりの井戸水の中で、一丁の豆腐はまばゆかった。その白さに政吉 は沙代 の首筋を思い出す。武家の娘と豆腐屋の倅 ――遂げられないのは承知の恋だった。
政吉は水に手を入れ、そっと豆腐を掬い上げた。たっぷり重く、そして水のぶんだけ軽かった。
独り頷き、彼は豆腐を静かに沈めた。
(2019.9.21)
まず自己愛まみれの美辞麗句を垂れる舌を切り落とし次に私の身体を無遠慮に撫で回す指を一本ずつへし折り最後に下半身にぶら下がる悪質な遺伝子の製造元を叩き潰す。
脳内に展開する殺戮劇をぶちまけたら、どんな顔するだろうか。テメェが思ってるのと同じくらい、こっもやりたいんだよ。
(2019.9.22)
長すぎる夏のサルタレッロが終わって、ようやく秋がひたひたと入場してくる。しかし彼女の受け持つ幕は短い。独り踊るシチリアーノは落ち葉のにおい。静々と、儚げに、ゆらぎ、まよいながら、秋の出番は過ぎてゆく。いつしかその足取りはパヴァーヌとなり、横顔は冬にすり替わっている。
(2019.9.23)
立ち枯れた樫の木に簑虫がぶら下がっていた。手を伸ばし軽く握ると、わずかな弾力が返ってくる。不意に幼児の残酷さが目を覚まし、私は簑虫を枝から外すと、爪で殻を剥いでみた。途端、中から米粒のような蟲が無数に溢れた。慌てて放り出したが、おぞましい感触はなかなか消えなかった。
(2019.9.24)
牛よ
温厚なる獣よ
ひねもす草を食み
ときおりいななき
思い出したように
糞を垂れる
母なる血肉よ
やさしい眼は
暮る秋を映し
干し草に突き立つ
ピッチフォークを
角でそっと
いつくしむ
ああ
虻が去り
陽が落ちる
陽が落ちて
その姿は
影となり
地に延びて
悪魔と同じ顔をしている。
(2019.9.25)
北風が山肌を駆け昇り、雪が天へとけぶり上がる。白く散った先には鴉の一羽もおらず、底冷えはますます酷くなるばかりだ。
(今年はどうもいかん)
呟いて、キクは炬燵に身を埋めた。心の臓がきゅっと痛む。若い頃は女傑として鳴らした彼女も今や喜寿。老いは確実にその身体を蝕んでいた。
(2019.9.26)
恋を想えばきみの声。
愛を想えばきみの肌。
総ての点にきみがあり
総ての線にきみがいる。
筋なんか幾らでも曲げる。
血も肉も喜んで差し出す。
運命なんか踏みにじろう。
摂理にだって目を瞑ろう。
二人が暮らす四畳半に
薔薇をいち輪飾るのだ。
狂気と呼ぶかい。
きみもいずれ分かる。
(2019.9.27)
女が夜に伸ばした指は星のひとつをつまみ上げ、銀の皿に載せた。よく熟れたこと。そう言って女は接吻した。漏れた吐息に応えるように、星はひりひりと鳴いた。おまえも試してごらん。女は皿を差し出した。私は星に口づけて、そのまま舌で転がす。女は私を睨んだまま、星のように喘いだ。
(2019.9.28)
ジヴェルニーの畑に並ぶ積みわら。人の背丈ほどの高さで、そのシルエットから『お嬢さん』と呼ばれている。珍しがったよそ者が畑をうろついていると、突然姿が見えなくなることがある。
「お嬢さんに気に入られちまったな」
地元の人はそう言って笑う。どこに消えたのかは誰も知らない。
(2019.9.29)
一匹の蛸が灯台をよじ登り頂上まで辿り着いたが、レンズにへばりついたまま息絶えた。陽が沈み灯台が燃えると、霧の上に八足の怪物の姿が映し出された。
ただ一人、これを目撃した少年がいる。驚愕する彼の耳に奇妙な声が響く。
『Iä! Iä! Cthulhu fhtagn!……』
――この日、邪神は生まれた。
(2019.9.30)
(2019.9.16)
妻は洗濯物を畳んでいる。私はソファで本を読んでいる。猫はベランダ。日曜の昼下がり。
「離婚しようか」
「そうしようか」
あまりにも乾いた言葉のやりとりに、私は思わず顔を上げた。どちらから言ったとも知れない。妻も見開いた目をこちらに向けている。
猫は、どこかに消えている。
(2019.9.17)
手拭いを解くと、切り口も新しい小指の先が転がり出た。男はそれを摘まみ屑籠に放り込んだ。男は遊女と
(俺はいつか罰を受けるな)
苦笑する男の部屋には死臭が凝っているが、彼の鼻はそれを知覚しない。罰は始まっているのだった。
(2019.9.18)
遥か昔、全てを極めた文明があった。滅びる間際、彼らは自らの叡智を銀河へ解き放った。それは我々の周りにも満ちているが、複雑な数式で保護されており、普通の人間には知覚できない。まれに現れる『選ばれし者』だけが、その叡智を受け取ることができる。才能とはまさに贈り物なのだ。
(2019.9.19)
浴びる――音楽は雨だ。
命を潤す恵みである。
撃たれる――音楽は銃だ。
命を奪う凶器でもある。
だから我々は、
拳を振り上げる。
手を打ち鳴らす。
声を枯らし叫ぶ。
生きる。
生きる。
生きる。
恵みに応え、
凶器に抗う。
受け入れ、
拒絶する。
覚悟を決めろ。
この道は険しく、優しい。
(2019.9.20)
汲んだばかりの井戸水の中で、一丁の豆腐はまばゆかった。その白さに
政吉は水に手を入れ、そっと豆腐を掬い上げた。たっぷり重く、そして水のぶんだけ軽かった。
独り頷き、彼は豆腐を静かに沈めた。
(2019.9.21)
まず自己愛まみれの美辞麗句を垂れる舌を切り落とし次に私の身体を無遠慮に撫で回す指を一本ずつへし折り最後に下半身にぶら下がる悪質な遺伝子の製造元を叩き潰す。
脳内に展開する殺戮劇をぶちまけたら、どんな顔するだろうか。テメェが思ってるのと同じくらい、こっもやりたいんだよ。
(2019.9.22)
長すぎる夏のサルタレッロが終わって、ようやく秋がひたひたと入場してくる。しかし彼女の受け持つ幕は短い。独り踊るシチリアーノは落ち葉のにおい。静々と、儚げに、ゆらぎ、まよいながら、秋の出番は過ぎてゆく。いつしかその足取りはパヴァーヌとなり、横顔は冬にすり替わっている。
(2019.9.23)
立ち枯れた樫の木に簑虫がぶら下がっていた。手を伸ばし軽く握ると、わずかな弾力が返ってくる。不意に幼児の残酷さが目を覚まし、私は簑虫を枝から外すと、爪で殻を剥いでみた。途端、中から米粒のような蟲が無数に溢れた。慌てて放り出したが、おぞましい感触はなかなか消えなかった。
(2019.9.24)
牛よ
温厚なる獣よ
ひねもす草を食み
ときおりいななき
思い出したように
糞を垂れる
母なる血肉よ
やさしい眼は
暮る秋を映し
干し草に突き立つ
ピッチフォークを
角でそっと
いつくしむ
ああ
虻が去り
陽が落ちる
陽が落ちて
その姿は
影となり
地に延びて
悪魔と同じ顔をしている。
(2019.9.25)
北風が山肌を駆け昇り、雪が天へとけぶり上がる。白く散った先には鴉の一羽もおらず、底冷えはますます酷くなるばかりだ。
(今年はどうもいかん)
呟いて、キクは炬燵に身を埋めた。心の臓がきゅっと痛む。若い頃は女傑として鳴らした彼女も今や喜寿。老いは確実にその身体を蝕んでいた。
(2019.9.26)
恋を想えばきみの声。
愛を想えばきみの肌。
総ての点にきみがあり
総ての線にきみがいる。
筋なんか幾らでも曲げる。
血も肉も喜んで差し出す。
運命なんか踏みにじろう。
摂理にだって目を瞑ろう。
二人が暮らす四畳半に
薔薇をいち輪飾るのだ。
狂気と呼ぶかい。
きみもいずれ分かる。
(2019.9.27)
女が夜に伸ばした指は星のひとつをつまみ上げ、銀の皿に載せた。よく熟れたこと。そう言って女は接吻した。漏れた吐息に応えるように、星はひりひりと鳴いた。おまえも試してごらん。女は皿を差し出した。私は星に口づけて、そのまま舌で転がす。女は私を睨んだまま、星のように喘いだ。
(2019.9.28)
ジヴェルニーの畑に並ぶ積みわら。人の背丈ほどの高さで、そのシルエットから『お嬢さん』と呼ばれている。珍しがったよそ者が畑をうろついていると、突然姿が見えなくなることがある。
「お嬢さんに気に入られちまったな」
地元の人はそう言って笑う。どこに消えたのかは誰も知らない。
(2019.9.29)
一匹の蛸が灯台をよじ登り頂上まで辿り着いたが、レンズにへばりついたまま息絶えた。陽が沈み灯台が燃えると、霧の上に八足の怪物の姿が映し出された。
ただ一人、これを目撃した少年がいる。驚愕する彼の耳に奇妙な声が響く。
『Iä! Iä! Cthulhu fhtagn!……』
――この日、邪神は生まれた。
(2019.9.30)