2021.10.1~2021.10.15

文字数 2,232文字

 撃つ
 任務ゆえ
 走る
 任務ゆえ
 愛す
 愛ゆえに

 亡霊は消えない
 壁の落書きのように
 心にへばりつく

 天が落ちるより他に
 ましな死があるなら
 教えてほしい

 見よ
 決着は
 女の顔をして
 微笑んでいる

 君は知っている
 私の名前を

 My name is Bond,
 James Bond.

 今はまだ
 死ぬ時ではない。
 (2021.10.1)


「遅い!」
 もう夜の8時だ。商品の到着は夕方に指定していたのに。そのときチャイムが鳴った。やっと来たか。文句を言ってやろうとドアを開けると配達員が――半生半死の体で立っていた。
「遅くなりました……」
 荷物を渡し、よろけながら去っていく。せめて何があったかくらい言ってくれ……。
 (2021.10.2)


 思わず息を呑んだ。初めて入る、一人暮らしの娘の家。リビングのいちばん目立つ場所に、それを見つけた。
 私の肖像画だ。美大の課題で描いたとか。ふと、いじわる心が顔を出し、
「ママが来るから飾ったの?」
「違うよ」珍しく娘は膨れた。
「いつも飾ってるの」
 ごめんね。ありがとう。
 (2021.10.3)


 ふらり立ち寄った温泉宿。
「わん!」
 出迎えたのは一匹の柴犬だった。驚いていると女将さんが出てくる。その界隈では有名な看板犬だそうだ。看板犬――ぽちは男湯まで案内してくれる。
「一緒に入らない?」
 ふざけて訊くと、ぽちは回れ右。女将さんがひと言。
「メスなんよ」
 これは失礼。
 (2021.10.4)


 水を引いた田んぼに素足で入る。陽射しでぬくもった泥が指の間を満たし、土踏まずにゆるやかな反発を感じる。抜けるような空を見上げて、ああ、自然だと思う。そのひとときだけ人間という枠が取っ払われる。風が吹きわたり、鳶が鳴いて、私は戻ってくる。さあやろう、黄金の秋のために。
 (2021.10.5)


 銀行に現れた刃物男は金庫に入らせろと要求し、説得にも耳を貸さない。やむなく要求を呑むと、男は狂喜して中に飛び込んだ。
「やっとあちら側に行けるぞ!」
 扉を閉めて5分後、警察は突入するが、男の姿はどこにもなかった。人命金銭の被害は皆無に済んだが、男の行方はいまだ知れない。
 (2021.10.6)


 衣料品店を物色していると、クラスメイトと出くわす。たしか槇山(まきやま)。学校では地味で目立たないが、手に持ったマフラーはなかなかシャレている。
「ねえ、それどこにあった?」
「向こうだけど……買うなよ」
「なんでよ」
「……お揃いになるじゃん」
「あっ」
 ってなに恥ずかしがってんだ私!
 (2021.10.7)


 ひとひらの蝶が、アスファルトの上で跳ねている。よく見れば一枚の落ち葉の周りを廻っているのだった。その落ち葉は、蝶の翅と同じ色をしていた。同族の亡骸と思い弔っているのか、あるいは結ばれぬ恋仲だったのかもしれない。蝶は孤独な踊りを続けている。秋晴れの朝が暗く湿っていく。
 (2021.10.8)


 調査隊は無心に土を掘り返していた。ある大名がこの場所に“何か”を隠したというのだ。
「あったぞ!」
 小さな桐の箱が現れた。蓋が外され、覗き込んだ一同の目に映ったのは、
「骨……犬か?」
 文が入っていた。家臣に内緒で飼っていたらしい。文は犬への謝罪の言葉で埋め尽くされていた。
 (2021.10.9)


「伸びたぶんだけ切ってください」
 そう言って、常連客は目を閉じる。彼は会話を望まないタイプだ。私も黙々とハサミを動かす。指先に集中できるが、気持ちは落ちつかない。この人はどんなことを考えているのだろう――個人的な興味がわき上がる。秘されているからこそ惹かれるものがある。
 (2021.10.10)


 しみる目を堪えながら、大量の玉ねぎを刻む。給食室の仕事は過酷な重労働だ。そんな中で心に留めているのは「作業にするな」のひと言。その先にある子供たちの笑顔を思いながら調理するということだ。お玉を回しながら、胸のうちで魔法の言葉を唱える。おいしくなあれ、おいしくなあれ。
 (2021.10.11)


「目の前に現れたのは、紛れもない変態だった」

 さて、あなたはどんな『変態』を思い浮かべただろうか。百人いれば百とおり、初級(?)から上級(??)まで出てくることだろう。
 実はこの質問、あなたの内に潜む性的嗜好が分かるとかなんとか。
 ちなみに私は【以下検閲により削除されました】
 (2021.10.12)


 執行当日、死刑囚はコップ一杯のビールを所望した。時間をかけて飲み干し、げっぷをひとつ、
「ごちそうさまでした」
 一礼して部屋を出ていく。残されたコップを片付けようとして、手が止まる。底のほうで、白い泡がくすぶっていた。最後のひとつが消えたとき、床が抜ける音が聞こえた。
 (2021.10.13)


 寒くなったら鍋の季節、家族みんなでいただきまーす。今日はすき焼き。ついつい肉に箸が行きがちだが、野菜や豆腐も忘れちゃ困る。ほらほら息子よ、白菜も食べなさい。嫌々口に放り込んだ顔がくしゃり、
「苦いー!」
 おっと、春菊が紛れ込んでいたようだ。きみの舌にはまだ早かったか。
 (2021.10.14)


 働くことが楽しいならば幸いであるが、楽しく働かなければならない道理はない。苦しいと思うからこそ奮起する人もいれば、単調だからこそ継続できる人もいる。価値観は千差万別、それを見誤ると、“すばらしい福利厚生”も形だけになってしまう。言うは易し、行うは難し。我もまた道半ば。
 (2021.10.15)
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