第118話 最終回

文字数 5,620文字

半澤玲子

薄暗がりのなかに、大きな本棚と遮光カーテンだけのシンプルな室内がぼんやりと浮かび上がる。タイマーをかけてつけっ放しにしたエアコンの音が静かに流れている。

なかなか寝付かれなかった。


さまざまな想念が浮かんでくる。


こうしていま、かたわらに好きになった男の人がいる。腕と腕とが触れあってお互いの体温を伝え合っている。

去年の今頃、わたしは年末の忙しさに疲れたからだをひとり、狭いベッドに横たえていた。おととしも、さきおととしも、その前の年も。

わたしは、それぞれの年に何を考えていたのか。

何にも考えていなかったのかもしれない。変わることのない時の流れに倦んで、ため息ばかりついていたのかもしれない。

慣れ切った仕事を毎日こなし、こんなふうに年老いていくのだなと、あきらめの気持ちがしだいに深まっていった。おそらく、そのあきらめの気持ちそのものにも慣れていったのだろう。

いろいろな人々のことが頭をよぎる。


そう、さきおととしの秋には父が亡くなったのだった。肝臓がんで入院した時、母がほとんどつききりで看病していた。手術を含めていろいろな治療を試みたが、やがて治療はもう無理だと言われた。わたしも妹も何回か見舞ったが、行くたびに衰えていく様子がわかった。

余命いくばくもなくなったころ、個室のドアを開けると、父は「玲子か」と意外にはっきりした声で言った。母はその時、どこかに外出していた。

「お前はお母さん思いのいい子だ。これからもお母さんを大切にしてやってくれ」

わたしが涙ぐんでいると、目ざとくそれを見つけた。

「人にはそれぞれの寿命というものがある。玲子、これでいいんだよ。だからこそ人生には輝きもあるのさ。お父さんは少しも後悔してない」

それが最後に聞いた言葉だった。

いい言葉を残してくれたと思ったが、それでも、その同じ年の暮れ、私の人生はまだ輝きの片鱗も見えなかった。それなりに明るい毎日を過ごしてはいたけれど。


エリ――何度も援けてもらったのに、いま彼女は苦境の中にいて、わたしは何の力にもなってあげられない。あれからどうしたろう。彼女のことだから、きっと闘いに挑戦しているに違いない。これからどういうふうに荒浪を乗りきっていくのだろう。

強くて颯爽としたエリ、そのエリがこの秋には、二回、自分からわたしに援けを求めてきた。そうはっきり助けてくれと言ったわけではないけれど、いまから思うと、やはりあれは参っていたのだ。もう少し何かしてあげられなかっただろうか。してあげることはできなくても、せめてもう少し何か言ってあげられなかっただろうか。

年が明けたら、一度こちらから連絡を取ってみよう。たとえば、わたしが彼女の了解を得て、彼氏に会ってみる。三人でか、一対一でか。そうすれば、何かがつかめるかもしれない。何か具体的で適切なアドバイスをしてあげられるかもしれない。そういうアクティヴな踏み込みが必要だ。


さくらちゃん――あんなに甲斐甲斐しくて、真面目で、可愛いさくらちゃんが、短い間に三回も機会を逸してしまった。今の時代、いや、いつの時代でも、結婚することが必ずしも女性の仕合せに結びつくわけではないけれど、でも彼女は明らかにそれを求めていた。

佑介さんが言っていたように、結婚したくても、いろいろな理由で結婚できない人たちが、いま日本中に溢れている。みんな一生懸命工夫しているのに。

私のようなちっぽけな個人が接することのできる人なんて、ごく限られてる。その限られた人のことをいくら心配してあげても、それでもその人の運命をいい方に変えることができなかった。まして多くの知らない人々の人生に影響を与えるなんて、できるわけがない。

せめてさくらちゃんのような素敵な子が仕合せをつかむことができるように、祈り続けるしかない。


中田さん――あわてて去って行ったあの後姿が忘れられない。「じゃ、これで」が最後の言葉だった。不器用で朴訥で、でも仕事熱心だった。

わたしに気があるなと思い始めたのは、彼が誘いをかけてくるよりずいぶん前だったのだが、そのころわたしは彼の人格を見誤っていた。LGBTなんかに関して饒舌に蘊蓄を傾けていたのは、一種の照れだったんだなあと、いまにして思う。

彼と最後に話したとき、これでしこりが取れたと思ったけれど、完全には取れていなかったことが後でわかった。だって佑介さんとのデートのとき、わざわざ早く駅に着いて、中田さんに誘われた神楽坂の店に出かけていったんだもの。でもその店はもう閉まっていた。

その日わたしは佑介さんと初キスして、それで止まらなくなってしまった。それは必然の成り行きだったし、中田さんを振ったことはみじんも後悔していない。それにしても、あんないい人を振るというのは、あとあとまでどことなくしこりを残すものだ。

 こんなふうに思い起こしていること自体が、まだしこりが完全には取れていない証拠だろう。いや、一度心に残ったしこりは、一生取れないに違いない。それはちょうど返すことのできなくなってしまった借金のようなものだ。


 人は人と出会い、そして別れていく。ある人々のことは永久に忘れてしまう。でも別の人々のことはいつまでも覚えている。いい付き合いができた人のことは、そういうものとして記憶に宿る。でも覚えているのは、そういう人ばかりではない。

 かえって、もう一度会おうと思っていたのに亡くなってしまった人、立ち去ったので、心の借金を返せなくなってしまった人、しこりが残っていてももう取り返しがつかなくなってしまった人、そういう人々のこともわたしたちは記憶に宿す。

 たぶん私たちの生活には、そういうことがよく見えないままに絶えずあるので、人は人を求めることをやめないのだと思う。そこにあるのは、ただ懐かしさとか恋しさとかいうような感情だけではない。むしろ人と人とを新しく結び直す道を差し出してくれるきっかけみたいなものだろう……。



堤 佑介

なかなか寝付かれなかった。


昨日、本部の説明会が終わった後、ビルの外に出ると、島村が追いかけてきた。

「すまん。こんなことになって。せっかく東海不動産作戦を頼んだのにな」

「いや、しかたないさ。負担が軽くなるという面もあるからな。それよりおぬしのほうががっくり来たろう」

「まあな。でもこういうのは宮仕えの宿命みたいなもんだからな。首切られるよりはましだと思うほかないさ」

彼の嘆息交じりの言葉が、妙にリアリティをもってこちらにも響いた。官僚的だと感じた尊大さはすっかり消えて、昔の島村に戻っていた。

「ちょっと不吉なことを言って申し訳ないが、社運が傾いてるなんてことはないのか」

「それは、俺にもわからない。仮にわかったとしても、堤にさえ漏らすわけにはいかないよ」

そうだろうな、と思った。しかしこれだけデフレが続くと、いつ何があるかわからない。私も身の振り方を考えておいた方がいいと思った。

彼が気を取り直すように言った。

「堤、年が明けたら一杯やらないか」

その調子には、何といったらいいか、いじましい日常に耐えている弱者の連帯意識のようなものがこもっていた。

「いいとも。おぬしとはずいぶんやってないな」

「うん。こっちから連絡するから。あ、じゃ、俺はこっちなんで。よいお年を」

島村は速足で私から去って行った。

「よいお年を」

私はあわてて彼のうしろ姿に声をかけたが、聞こえただろうか。

年が明けたら一杯やらないか――今年最後の忘れられないひとこととなった。


仕事の面では倦怠と疲れが忍び寄ってきているが、私の心はいま豊かに満たされている。隣にれいちゃんがいる。それは自分の仕事がこれからどうなるかということとは、あまりかかわらない。ふたりが強く生きていくことができれば、それでいい。

れいちゃんと私――残された人生の途上で、これからどんな運命が待ち受けているのか。

もちろんそれはわからない。ふたりで確認しあったように、恋愛感情が低減するのはしかたないとしても、どこまで長続きさせられるかの工夫が大切だ。

その工夫はたぶん、相手のことを好きか嫌いか、一緒にいて楽しいか飽きてしまうかといった、感情の行方を追いかけることによっては果たされない。それは不毛だ。

むしろ、ふたりで共同にかかわる具体的な《仕事》のようなものを絶えず作り出していくことで果たされるだろう。「八百屋さんや魚屋さんは二人でやってて仲がいいわね」と、おふくろが羨ましそうに言ったことがある。

そう、運命はやはり、やってくるものではない。与えられた条件を引き受けながら、自分たちで日々、切り拓いてゆくものだ。

明日になったら、このことを話し合うことにしよう。

私たちの新しい《仕事》――それは、必ずしも、前に考えたような、新しい活け花教室の設立のような大きな話ではなくともよい。もっと小さな、暮らしの中でのフィクションの積み上げのようなもの。

たとえばペットを子どもと見なして飼うのでもいい。れいちゃんに活け花を教えてもらうのでもいい。音楽や美術や映画の鑑賞を追究するのでもいい。一年に何回か、必ず旅行することに決めるのでもいい。とにかく二人で何か楽しい「型」を考えて、その型の中で、毎日そうせざるを得ないという習慣を作り上げることだ。


オフィスのスタッフたち――能力や適性にいろいろ差はあっても、けやきが丘営業所がうまく運営されていくように、懸命に働いてくれる。

もちろん、働くのは、自分たちが食べていくためだ。しかし人はただ欲得のために働くわけではない。彼らが働いている姿をこの目でじかに見ていると、それは欲得ずくを超えた何かのためであることがよく実感できる。

その何かとはなんだろうか。社会奉仕でもなく、かといって枠組みに仕方なく服従する気持ちでもない。そこには、もっと根源的な欲求のようなものがある。それはおそらく、人と人とが、直接につながり合い、認め合いたいという欲求だろう。

しかし、そういう一番大切なものによってこそ社会が支えられるはずなのに、その当の社会のからくりが、直接的なつながりや認め合いの欲求を、しばしば理不尽に断ち切ろうとする。そこには、そうさせてしまう構造のようなものが必ずあるはずだ。

それを《敵》と呼んでもいいと思う。


篠原は、2018年12月10日を「国恥記念日」と呼んだ。このままでは日本は確実に滅ぶ、とも言った。私もほぼ同感だった。

無道に対する憤りは大切だ。しかし憤りを有効なものに変えるには、もう一つ何かが必要だ。

この秋、政治や経済、公式的に正しいとされることや男女のあるべき姿などについて、篠原の知恵を借りながらいろいろと考えてきた。でもこの複雑化して機能が膨大に分化した社会では、一定の《敵》を特定することはできても、そこに切り込む効果的な武器をなかなか用意できない。

みんながそれぞれ忙しく毎日を送っていて、自分たちがその《敵》に囲まれていることを意識できないからだ。誰がそれを意識させられるのだろう。政治家? 学者? マスコミ? どれも違うような気がする。こうした権威筋には失望させられることがあまりに多かった。


来年は御代代わりの年だ。平成最後の一年が暮れてゆく。思えば平成の三十年というのは、私が社会人としての人生を歩み出してからのほとんどの期間に相当している。

私生活では、いいこともあったけれど、つらい記憶のほうがどうしても意識の表舞台に出てしまう。ほの暗い虚空を見つめていると、それらが走馬灯のように現れては消えていく。

塾は畳んでしまったし、不動産屋も、これが本来の自分の仕事とは思えないことがたびたびあった。そして不倫と離婚。亜弥に取り返しのつかないかわいそうな思いをさせてしまった。その後の芙由美との生活の挫折……。


そして、日本の社会は――何もいいところがなかった。それは幼女連続殺人の発覚で始まった。バブルがはじけていくつかの金融機関がピンチに陥った。阪神淡路大震災。カルト宗教の反社会的行動。14歳の少年の小学生殺し。消費増税とデフレへの突入。

世界的にもアメリカ一極支配が不安定をさらした。9・11。イラク戦争。リーマンショック。そしてアメリカの覇権後退と、中東の混乱。中国の異様な、歪んだ台頭……。これらが日本にも大きな悪影響を及ぼした。

日本では、民政党の政権運営の失敗と東日本大震災。期待を持たせて代わった阿川政権のグローバル政策と緊縮財政によるデフレの継続と国民の貧困化――そしてこれはいまも続いている。


新しい年はどんな年になるのだろうか。どうもそんなに好転するとは思えない。《敵》がそうやすやすと身を引くはずがない。

《敵》をだれにとってもきちんと意識させられるもの、それはおそらく、《思想》とでも呼ぶしかないものだろう。私たち一人一人が日々の暮らしを生きる中で、そこで感じ取られた実感を基盤にたしかな言葉へと統合していく。その果てに現れる優れた《思想》。

それが編まれるためには、まだまだ一定の過酷さが私たちにのしかかることが必要とされるのかもしれない。

でも、よく見れば、その過酷さはもうのしかかってきているのだ。そのことをみんなにはっきりと気づかせるために、すでに何人かの人たちが登場している気配もある。この人たちが、小異を捨てて結集することを願わずにはいられない……。


れいちゃんも、寝付かれないようだった。

私はそれを知っていた。何かもの思いに耽っていたのだろう。話しかけようかと思った。しばらくためらっていたけれど、ふと気づくと、静かな寝息を立てていた。

明日になってもあさってになっても、たとえ「日本」がどんなにダメになっても、この可愛い安らかな寝息を長く聞き続けられるようにすること、いまの私にとって、精一杯できるのはそのことかもしれない。さしあたりそれが一番大切なことだ、と思った。
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