第33話 堤 佑介Ⅴの3
文字数 3,648文字
「全然関係ない話なんだけど、いま差別撤廃のためのLGBT教育ってのが高校で課されてるそうだね。でも生徒の反応がいまいちらしい。たとえば亜弥が親しい友達から、自分はトランスジェンダーなんだってカミングアウトされたら、どうする」
「つまり体は女、心は男ってやつ?」
「うん」
「別に。いままでどおりつきあってくと思うけど。だいたいカミングアウトとかって、受ける方もうざいんだよね。わざわざしなくていいよ」
「やっぱり、そうか」
「でもなんでそんなこと聞くの」
「いや、ただ、最近問題にされてるから、若い人がどう感じてるか知りたくてさ」
「パパ、わたし、もうそんなに若くないよ。もしその人がわたしの古くからの親しい友達だったら、そんなのとっくにわかり合ってると思う。万一悩んでるんならすぐにでも相談に乗るよ」
「なるほど。それは考えなかった。俺には17も26も同じような若者に見えちゃうんだ」
「んもう、パパったら。好奇心旺盛なのはいいけど、どうせ若者のこと考えるなら、もうちょっと年齢層で微妙に違うってこと考えた方がいいよ」
亜弥の言うことはもっともだった。その8年間で若者は飛躍的に成長するんだろう。特に女は精神的な成熟が早い。
だが、「別に」という答えは、ネット情報にあった高校生と同じだ。カミングアウトされて「それがどうしたの」という対応で返せば、悩んでいた当事者の自意識はずいぶん軽くなるだろう。
「たしかにそうだな。それでLGBT教育のことはどう思う?」
「あんまりよく知らないけど、あれって一種のサヨク運動でしょう? 性教育とおんなじでなんか白けるよね」
「だけどLGBT自体は世界的に騒がれてるぞ。つまりさ、Me Tooにしろ、ポリコレにしろ、アファーマティブ・アクションにしろ、弱者、少数者の人権、人権と、まるでそれしか正義の問題はないかのようにうるさいじゃないか」
「アファーマティブ・アクションって何だっけ」
「不平等が社会的な理由で是正されないなら、政治的な措置を施すことで不平等をただそうって考え方。たとえば、アメリカで黒人の大学入学者が貧困や家庭環境のために阻まれてるなら、一定の枠組みで黒人を優先的に入れようとか。北欧なんかでは普通だよ」
「ああ、日本で言われてる女性のポジティブ・アクションのことね。もっと女性議員増やせとか。でもそれっておかしくない? どれも実力勝負の領域でしょ。機会均等が保証されてるんだから、最初から枠を決める方がかえって不平等じゃないのかな。まかり間違えば逆差別になりかねない。わたしだって大学受験や就活で男と対等に闘ってきたよ」
「もちろんそういう批判もある。でも、いま世界、といっても欧米先進国の話だけど、世界の潮流は、社会的弱者やマイノリティのカテゴリーに収まる人たちを、人権や平等の建前の下に優遇しようという流れがすごく強まってるよ」
「でも日本でそんな動きって強まってるかなあ。わたしのまわりじゃあんまり聞かないよ」
デカンタの残りをグラスに移して、お代わりを頼んだ。ここが親爺としての蘊蓄の見せ所、と改めて衿を糺す恰好をして、
「いや、公務員なんかだと、けっこう推進されてるんだよ。騒いでいる人たちは、例によって欧米の動向をそのまま持ち込んでるところがたしかにある。たとえば同性愛だって、日本は昔からキリスト教文化圏と違って寛容だからな。江戸時代でも衆道とか陰間とか呼んで棲み分けてた感じがあるね。多少は取り締まったらしいけど、あんまり苛酷な締め付けはなかったようだ。いまだったら新宿二丁目が有名だろ。あそこに出入りしている人たち、ゲイ差別のために戦うぞーなんてこぶし上げてないと思うんだよ。欧米とはそのへんの緊張感がたぶん違う」
こう話してから、自分で言った「緊張感」という言葉が、ヨーロッパの現状とだいぶそぐわない感じがした。よくわからないが、あそこではいま、教会に通う人もほとんどいなくなってるそうだし、むしろ逆に行き過ぎた「自由と寛容」の理想が、自分で自分を苦しめているような気もする。同性愛者を少しでも異端視したら、それだけで、差別とか排外主義者とか見なされるんだからな。
それで、異端視する感情だけはなくならないから、本音の部分でガス抜きをやってる。そこにあるのは新しい「緊張感」なんじゃないだろうか。
こんなふうに考えていたら、イスラム教を侮蔑したシャルリ・エブドという雑誌の執筆者がムスリムのテロリストに襲われた事件のことに連想が飛んだ。
しかし、こんな込み入った話題をここで亜弥に向かってするのはおっくうだし、彼女も喜ばないだろう。で、話を同性愛に限ることにした。
「同性愛の扱いも文化によってずいぶん違うな。ヨーロッパじゃ、いまは排斥しちゃいけませんてことになってるけど、イスラム教文化圏に至っては発覚したら何と死刑。」
「いまでもそうなの」
「いや、イスラムでは今世紀に入ってからかえって厳しくなってるんだよ。だけど日本じゃ、反対に、すごく平等主義が好きで、一部の人の声が大きいと、官公庁なんかじゃあわてて人権教育が必要とかいってやり出すんだ。これまでもジェンダー・フリー教育とか、普通の常識感覚で考えておかしなのがあったね」
「ああ、男女混合名簿とか、更衣室一緒とかでしょ。小学校時代、性教育について読んだことがあったの思い出した。ずいぶん騒いでたみたいね。ウチの学校じゃいいかげんにやり過ごしてたけどね」
「そうそう。いまのLGBT教育もそれと似ていると思うよ」
「でもそれって、当事者たちが実際にどのくらい差別を受けてるかによるんじゃないの。それちゃんと調べないで理想だけで押しても、みんなあんまり関心示さないんじゃないかな」
わが子ながら、こいつ、なかなかいいこと言うな、と心のなかで親バカになる。離れて暮らしていても考え方が似ている、と、酔いも手伝ってだんだん調子に乗ってくる。
新しいデカンタを亜弥のグラスに注ぎながら、
「うん。誰にだって生きにくさや辛さはあるからね。あるところだけカテゴリーで括ってマイノリティだっていう理由一つで政治問題化するのはおかしいよね。サヨクって、差別の実態がそんなになくなってるのに、自分たちの反権力活動を維持するために、わざと課題をほじくり出してくるところが昔からあるからね。ある時期からの部落解放運動がそうだった。ずっと前、小山悦郎という評論家の『弱者とは何か』という本を読んだことがあるんだけど、たしかそこで、部落差別がなくなりつつあるにもかかわらず、部落解放団体が自分たちの運動の延命のために、差別の事例を無理にでも探し出そうとしてる、これは退廃だって批判してたな。なるほど、と感心したのを覚えてるよ」
「どんなにつらい問題抱えてたって、政治で解決できることとできないこととあるもんね」
「そう、そこだよ。恋愛したいのにモテないとか、結婚したいのに金がないとか、引きこもり20年とかな」
「性格が暗いために学校や職場でいじめられるとか、ブラックでこき使われてるとかね」
「孤独で貧乏な老人とか、親の介護で離職を強いられている人とか、不況で増えてるワーキングプア。そういう生きづらさを抱えた人たちって、いまあふれてるだろ。そっちの方が、当人にとってみれば切実だよね。しかもその人たちは『普通の人』っていうカテゴリーに放り込まれるから、政治的な注目を浴びない。LGBTと比べてどっちを優先的に取り上げたらよいかなんて問いには正解はないと思うけど、でも、サヨクはそういう人にこそ焦点を当てるべきだと思うんだ。それだって政治で解決できることは極めて限られてるけどな。とにかくサヨクは自分たちの反権力アイデンティティ保つために、次から次へと目立つ看板を見つけてきては政治課題として言挙げするのさ。その最先端がLGBTってわけ」
「LGBTってどれくらいいるの」
「さあ、専門家じゃないからよくわからないけど、知人に聞いたら、議論が高まってきたのをビジネスチャンスと見て博通が調査したんだそうだ。そうしたら8.9%って数字が出てきたんだって。でもこれはいくらなんでも水増しだろう。40人のクラスに3人以上いることになるもんな。たぶん2~3%じゃないの。要するに、LGBTって、誰がつけたのか知らないけど、名前つけて、クローズアップして、性的マイノリティでございってカテゴライズしたら、政治とうまく結びついちゃったんだろうね」
すでにステーキを平らげた亜弥は、そろそろこの話題に飽きてきたようだ。わたしに合わせてくれているだけかもしれない。何かびしっと結論を、と思うが、なかなかいい文句が出てこない。
「結局、表通りで騒がれていることって、普通に生きてる人々の生活感覚に触れてこないんだよね。プライベートな問題って人によってものすごく違うから、政治や法の問題と安易に混同しちゃいけない」
まだあまり自分の中で煮詰めてない曖昧な言い方をしてしまったかな、と思う。