第80話 半澤玲子Ⅻの4

文字数 3,048文字



1時ごろ実家に着いた。

武蔵野は紅葉の真っ盛り。公園の木々が陽光を受けて美しく照り映えていた。風もさわやかだ。路肩の溝にはすでに落ち葉が積もり始めている。サクラ、カエデ、コナラ、イチョウ……。

玄関を開けると、ハナがのっそりと出てきた。

「ただいま」

「お帰り」

奥から母が顔を出した。和服姿だった。和室には座卓の上に花器やハサミ、花材などが積み上げてあった。赤いラナンキュラスと鳴子ユリ。

床の間の活けものは、今日は、四角い枯れた感じの水盤に、苔柿と斑入りのコリウス、黄色い小菊があしらってあった。

苔柿かあ、いいな。晩秋にふさわしかった。

「あら、もう着替えちゃってるの」

「うん。玲子と話が長くなるかもしれないからね」

「紅葉、きれいね」

「こっちは、もう朝晩相当冷えるのよ」

暖かいかき揚げそば。ネギをいっぱい入れてふーふー吹いて食べた。ハナはちゃっかり私の膝の上。

「この前、お隣の増川さんのご主人が亡くなったのよ」

「あら、そう。いつ?」

「この前の金曜だから」と母はカレンダーを見ながら、「9日ね。珍しく雨が降った日よ」

中田さんの送別会があった日だ。

「いくつだったの?」

「82だって言ってた。食道がんだって。わたしはお焼香に行ったけど、人がほとんど来なくて、ちょっと寂しいお葬式だったわ。傘さしながら出棺待ってたら、冷えちゃってね」

「あのおじさんには、小さいころ可愛がってもらったわ。残念ね。おばさん、これからひとり暮らし?」

「さあ、息子さんたちが越してくるかもしれないわね。こんな静かなところでも少しずつ変化していくのね」

「諸行無常ね」

「玲子のほうはどう? 変わりない?」

「こないだ、課長が変わったの。京都支社に転勤になって、新しい課長が来たんだけど、若くてシャープなんで、ちょっとこれまでよりきつくなったわね。さっそく新しいシステムに変えるんだってさ」

「そう。それはたいへんね。無理しないようにね」

「ありがとう。そのへん、こっちもベテランだから心得てるわ。適度に距離を取ればいいのよ」

風がひとしきり樹々を通り抜けたらしく、はらはらと落葉が舞い降りるのが窓越しに見えた。ハナが何か感じたのだろうか。わたしの膝から降りて、窓のほうに歩いて行った。



「その後、お付き合いのほうは?」

やっぱり来たか。わたしは少し首をうつむき加減にして小さな声で言った。

「うん。好きな人できた」

「そう。それはよかったわね。どんな人だか聞いてもいい?」

この前、四谷三丁目での別れ際に母から聞かれて、その時はたしか、「進行中」というようなあいまいな答え方をした。でもあの時、頭の中にあったのは、岩倉さんだった。それが一月ちょっとの間に相手が変わっている。

わたしは自分に対して皮肉な気持ちになった。若い人たちみたいだ。でも、自分なりの言い訳はできるんだ。セフレを次々と変えるなんてのとは、わけが違う。

「ちょっと変わった人なのよ。仕事は中堅どころの不動産会社の営業所長なんだけどね。政治とか経済とかに関心が高くて、休みの日にもいろいろ難しいこと考えて、メモ取ってるんだって」

「へえ。たしかに変わってるわね。ふつうだとゴルフとか囲碁とか」

囲碁と言われて、別れた夫が夢中だったのを思い出した。母はそれを知っていたはずだが、いまはそこに連想を馳せた様子ではない。わたしはあわてて自分の中に甦った記憶を打ち消した。

「そうよね。あの人、やっぱ変わってるんだ」

自分に再確認させるように言った。でもその変わってるところがわたしは好きなんだと、ひそかに別の再確認をした。

「きっと知的な方なのね」

変わっているという言葉が持つネガティブなニュアンスを打ち消したいと思ったのか、母がわたしの気持ちを代弁するように言った。

「どこで出会ったの?」

「婚活って知ってる? 恋活とも言うけど」

「ああ、聞いたことあるわ。お見合いの現代版みたいなものでしょう」

「うん。まあ。インターネットで、仲介してくれるのよ。それをビジネスでやってる会社がたくさんあってね」

「ふーん。そういう時代なのね」

「うん。すごく流行ってるみたいで、それだけ、みんなが出会いを求めてるのね。でも成功率は低いみたいよ」

「へえ。わたしは、若い人たちは、自由に恋愛して好きに結婚相手を見つけてるんだと思ってた」

「それが、なんていうか、自由だからこそ、これっていう相手が見つからないらしいのね」

「ふうん……それはなんだか……湾の中でだったら魚取れたのに、大海に出ちゃったら、どこで見つけたらいいかわからなくなっちゃったみたいね。わたしたちは湾の中だけで満足してたからね。お父さんとだって、小さな職場で知り合って、そのまんまゴールしたんだもの」

巧みなたとえを言うのに驚いた。75歳の母が、直感的に真実をつかんでいる。

「それで、その方のお歳は?」

「55歳。もうすぐ6になるって言ってた」

「ちょうどいいじゃない。少し年配のほうが落ち着かせてくれるわよ」

母は、もう結婚相手みたいに考えてる。いろんなことを聞いてくるし、いつもの母よりも、ハイテンションだ。それだけ、わたしのことを心配してきたのだろう。

「でもお母さん。まだ、何も決めたわけじゃないのよ。向こうの気持ちだってあるし」

それにファースト・キスしただけだし、と心の中でつぶやいた。

「はい、そうでした。失礼いたしました」

そう言って母は笑い出した。わたしもつられて笑った。お母さん、うれしそう。



「それよりもね、彼、堤さんっていうんだけど、わたしとおんなじで美術鑑賞が趣味なの。そいで、こないだ、ほら、フェルメール展やってるでしょ。一緒に行ったのよ。そしたら、けっこう鋭く分析するのね。わたし、感心しちゃった」

「まあ、どうもごちそうさま」

わたしは覚えずのろけていることに、母によって気づかされた。えい、どうせなら、この際、自分の気持ちをさらけ出してしまえ。

「それとね、お花のこと、興味持っていろいろ聞くのよ。お母さんのことも話したら、習ってみたいなあ、でも遠いし、時間が取れないしって残念がってたわ」

「ホホ……玲子が教えてあげればいいじゃない」

「そんなことも言ってたなあ」

「でも、その堤さんて方、思いやりのある方みたいね」

「うん。歳にしてはちょっと繊細すぎるかな。オヤジ臭くないのよ。でもありがたいわ。ウソでもわたしの関心事にちゃんと話題振ってくれるんだもの」

「ウソでも、なんて、言うもんじゃありませんよ。礼節をわきまえてるってことでしょう。お花でもお茶でも、形から入ることが大事だっていう考え方が基本になってるじゃないの」

「はい、そうでした。先生。それとね、落語が好きで、そのうち連れてってくれるって。忙しいからいつになるかわからないけどね。落語の本、紹介してくれたわ」

「まあ、落語が。それはいいわね。伝統芸能って意味じゃ、まんざらお花と無関係とも言えないでしょう。静と動の違いはあるけどね」

言われて初めて気がついた。

まったく別世界と思っていたけれど、考え方によっては、あれも高座に一人座って、ある宇宙を構成してみせるのだ。噺家自身が活け花みたいなものだ。

活け花だって、よく向き合っていると、人みたいに絶えずこちらに何か語りかけているのがわかる。ちょっとこじつけ臭いかなとも思ったが、きっと何かの参考になるには違いない。

「それにしても、楽しそうでよかったわね。ほんとによかった」

母が心から喜んでいるふうが伝わってきた。それが結論のようになって、会話にけりがついた。
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