第115話 堤 佑介ⅩⅤの2

文字数 3,788文字



生牡蠣がシーズンである。年配の男性が運んできた。ふたりとも日本酒に切り替えた。篠原は千代鶴、私は大信濃。

篠原は、少し気分がおさまったか、ふざけるように大げさに店内を見回した。

「マスター、ところで今日はここは何か不足してるような?」

「へへ、すみません。ここんとこちょっと忙しくてね」

私も篠原の冗談に乗って「もしかして、これ?」と、お腹を丸めるしぐさをしてみせた。

「ヘヘ、まあ、そんなようなもんで」

意外にも当たってしまった。

「やった! でかした、マスター。ほらね、彼はちゃんと約束守るんだよ」

「それはおめでとう。少子化解消に貢献だね」

「ありがとうございます。でも、まだおめでとうは早いっすね。つわりがひどくてね」

「まあ、じき何とかなるでしょう。応援してるからって伝えてください」と、これは私。

「ありがとうございます」

「そういえばさ、その後、堤のこれはどうなったの」と篠原が小指を出した。

「え? 俺、なんか話したっけ」

一瞬、なんでわかるんだと思って、口を滑らせた。まあ、どうせ話すつもりだったけど。

「いや、サイトに登録したけどあんまり熱心に見てないってとこまでしか聞いてないよ。でも、何となく顔に書いてある」

「カマかけたな。しかたない。じつはできたよ。それが」と、私は篠原がまだ立てている太い小指を目で示した。

「そうか! 堤もでかした。今日は胸糞悪くて当たり散らしてやろうかと思ってきたんだが、思いがけずおめでたい日でもあるな。マスター、お酒お代わり。それで? ちゃんと話せよ」

私はできるだけ「のろけ」にならないように話した、つもりだった。

「玲子さんか。これから華道一途か。それはいい女見つけたな、この野郎。それで? 結婚するのか」

「いや、それについては相談が済んでいて、正式な結婚はしないことにした。これは彼女の言葉だけど、『恋愛以上、結婚未満』で行くってところかな」

「うーん。考えてみると、それがこれからの形かもな。特に子ども作らない中高年ではな。でも、若者の場合は、一回家族を経験した方がいいと思うけどな」

「うん。しかし経済が回復しないと、少子化は解決しないだろう。少子高齢化とか生産年齢人口減少とか騒ぐ学者は、そこでいつも思考停止して、問題の本質は、政府の経済政策の決定的な間違いにあるってことを言わないだろう」

「そのとおり。保育児童がどうとか老老介護とか介護離職とか8050問題とか騒いでる連中も同じだな。ところで堤は、その、なんだっけ、玲子さんのお母さんとはどう付き合うつもりなんだ」

「いや、俺は、先方のお母さんがこけたら、面倒見るつもりだよ。正月に会うんだけどね」

「あ、そうなのか。それは偉いね。そのへん、亜弥ちゃんには知らせたのか」

「いや、まだ。明日あたり電話しようと思ってる」

「しかしなんだな。ああいうサイトでよくいい出会いができたな」

「運がよかったんだろうな」

「そうだろ。打率1割行けばいいほうじゃないかな」

「俺はよかったけど、今後の男女の出会いの行方はあんまり明るくないな」

「うん。どんどん生活が個人化してるからな」


少しずつ客が帰り始める。短い時間に急いで飲んだせいか、篠原のろれつがそろそろ回らなくなってきた。猫背もいっそうひどくなる。それでも彼は両手を絶えず動かしながらしゃべり続ける。つくづくエネルギッシュな男だと思った。

「話が戻るけどな、俺はこの政権のやってきたことのひどさを数え上げてみたんだ。20くらいあったぞ。きのうのレーダー照射だって、すぐにでも証拠を国際社会に全面開示して突き付ければいいのに、もたもたして韓国に時間稼ぎさせてる。そのうち韓国はレーダー照射なんかしてないってきっと言い出すぞ。あれは後ろで北京が糸を引いてるからな」

「それはありうるな」

「だけどまたぞろ日本政府は、日韓関係の重要さとか言って、へっぴり腰の対応しかしないだろう。それにしても日本はあらゆる分野で、どんどんダメになっていくな。世界に占めるGDPのシェアはかつての三分の一になっちゃったし、こないだ聞いた話じゃ、アメリカのIT系大学院で、中国の博士号取得者が年間5000人いるのに対して、日本人はなんとたったの200人だそうだ。すべては、『緊縮真理教』という邪教からきてる。こりゃ世界の笑いものだ」

またさっきの剣幕が戻ってきた。篠原は、目をぎょろつかせて私を睨んだ。

「堤、一国が滅んでいく最大の原因は何だと思う?」

「そりゃ、中央政府の統治の拙さだろう」

「もちろん直接的にはそうだ。しかしその拙さを平気で見過ごしてるのは、大多数の無気力化した国民だ。だから俺はこう思う。国が滅んでいく最大の原因は、国民の大多数が、自国が滅んでいくことに気づかないことだってな」

「なるほど」

「なあ、堤。こんなふがいない日本にいると、せっかく芽生えた堤の愛とやらも、やがては大国の侵略でつぶされるかもしれないぞ」

「ハハ……心配してくれてありがとう。だけどそれとこれとは別問題さ。どんな貧国になったって、植民地化されたって、愛情関係は、育つものは育つし、消えるものは消えていく」

「そういうけど、貧すれば鈍するってこともある。人心はすさむし、極端な話、これまで戦争や革命や動乱で、愛も引き裂かれて悲恋に終わることはいくらでもあったじゃないか」

だいぶくどくなってきたな、と思った。そろそろ潮時だ。

「悲恋もまた恋のうちさ。愛情の持続にはいろんな条件がからむし、先のことはわからない。そういう覚悟でやって行くだけのことさ」

「そうか。まあいい。とりあえず、グッドラック」

やっと矛を収めた調子に帰ってくれたようだった。

「ありがとう。篠原もその元気さを失うなよ。最後のよりどころかもしれない」

「そうそう、そのうち玲子さんを紹介しろよ」

「うん、紹介する」

篠原は杯を傾けるしぐさをしながら、

「これはいけるんだろ。一緒に飲もうぜ」

「まあ、そこそこな」

「そりゃ、いい。今日はおかげでいい気分になった。マスター、アキちゃんと新しい命を大切にな」

「へえ、ありがとうございます。」

表に出ると篠原は、「亡国ニッポンのために乾杯!」と大きな声で叫び、♪ターンターラタッタタッタ、ターンタラタッタッター♪と、結婚行進曲を歌い始めた。路上の人々は誰も相手にせずに通り過ぎてゆく……。


その後、亜弥に何度か電話したが、通じなかった。彼氏でもできて、三連休だから、どこかに高跳びしているのかもしれないし、用心のためにスマホを切っているのかもしれない。そこでメールを入れた。


《12/24  22:48

久しぶり。

元気にやってますか。忙しいですか。

何回か電話したんだけど、つながりませんでした。

あなたに感謝しようと思って、メールをしたためます。


じつは、婚活サイトを勧めてくれたおかげで、生涯つきあっていきたいと思う伴侶を得ました。どうもありがとう。

ただし、いろいろ考えて、正式な結婚はしないつもりです。

レオン化粧品に勤めて経理をやってきた女性で、47歳。半澤玲子さんといいます。

でも近々、退職するそうです。お母さんが武蔵野で活け花の師匠をしているので、彼女もその跡を継ぐために、本格的に華道を追究することに決めたと言っていました。


折を見て、紹介したいとは思いますが、特に気が進まなければ、無理にとは言いません。

ママとの時間を一番大切に考えてください。

また、もしいい人ができていたら、その人との時間を何よりも大切に。

お正月の予定はどうなっていますか。

私のほうは、元日に、先方のご実家にお邪魔してきます。それ以外は4日までは空いています。

特にお正月にはこだわりませんが、もし彼女とも会ってもらえるなら、都合のいい日を知らせてくれれば幸い。


寒くなってきたから、風邪をひかないように。無理をしないように。

                                   パパより》


《12/26 09:19

パパ、ほんと!? よかったね!

あれが役立ったのかと思うと、うれしいです。

どんな方か、お会いしてみたいです。ママには秘密にしておくから、大丈夫。


お正月、わたしは4日から仕事なので、できれば3日が都合がいいです。

またおいしいもの、食べさせてね((´∀`*))

詳しい時間、場所など、決まったら教えてください。


p.s. 連絡、取れなくてごめんm(__)m

22日からきのうまで、オーストラリアに行ってました。携帯は切ってました。短い滞在で、あまりいろいろ周れなかったけど、暖かくて空気がさわやかだったのでとても快適でした。

シドニー、オペラハウス、行く前はあまり趣味がよくないなあと思っていたんだけど、やっぱり実際に見学するとすごいです。勉強になりました。》


誰と行ったのかは、慎重に省いてある。一人で行くとは考えにくいから、やはり彼氏となんだろう。そうだとすれば、二重におめでたいことだ。

れいちゃんを紹介する件、快諾してくれてありがたかった。

もしかしたら会わせない方がいいのかなあ、と迷った。母親に秘密にすると言っても、親子の間なのだから、いずれそのうち知れるのは避けられないだろう。

しかしまあ、仮に知られたとしても、それは仕方のないことだ。依子にどう思われても耐えるしかない。彼女の性格からして、さほど気にしない可能性が大きい。
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