第35話 堤 佑介Ⅴの5
文字数 3,021文字
帰宅してテレビをつけると、民放ニュース番組の一コマで、『海風45』の休刊を伝えていた。
報道によると、「部数が低迷したため、編集上の無理から原稿チェックがおろそかになり、偏見と認識不足に満ちた表現を掲載してしまった」という趣旨の海風社の発表があったというのだ。10月号発売からわずか1週間である。
その「偏見と認識不足に満ちた表現」というのが、何とLGBTにかかわるある論文を指しているらしい。さっき亜弥と話してきた話題と偶然一致していたのでびっくりしてしまった。
しかし問題の論文は、部数減のための休刊(事実上の廃刊)の口実に使われた疑いがある。どんな「偏見と認識不足に満ちた表現」なのか、確かめてみないとわからない。
私は少なからず興味を掻き立てられた。
休刊になったからといって、最終号がすぐに書店から消えることはないだろう。明日は休日だから、さっそく買ってこよう。大型書店でないと置いてないだろうから、立野台まで出る必要がある。ついでに一週間の買いだめもしてこよう。
雑誌を買うことはめったになかったが、『海風45』のバックナンバーに掲載された杉山未久という国会議員の論文が批判にさらされて炎上していたことは知っていた。「LGBTには生産性がない」と書いたことが人権主義者から槍玉に挙げられていたのだ。
しかし、彼女の論文を読んだわけではない。できればそれも入手したい。ネットで探せば見つかるだろう。
床に入る段になって、やはり今日の亜弥との婚活をめぐるやり取りのことが思い出された。
それにしてもあいつめ。いつの間にあんなしたたかさを身につけたんだろう。依子にはああいうところはなかった。俺の血にもない。
はてさて。やっぱりかなり経験を積んできたのかな。
そう思うと、ほとんど知らない亜弥の生活史の部分に対して、嫉妬のようなものを覚えた。父親として何も関与できなかった悔しさと言ってもいい。
でもああ言われて悪い気はしなかった。それどころか、けっこうやに下がっている自分がいたことに気づく。
婚活サイトか。
いままで考えてみたこともなかった。自分の気持ちを整理してみる必要がありそうだ。
俺はどうしたいのか。いまの自分にはどういう関わり方が向いているのか。
結婚してもう一度家庭を築きたいのか。
気の合った女を見つけて、お互い自由な立場で付き合いを重ねたいのか。それは一人の女と? それとも複数?
ただいい女とセックスしたいだけなのか。
あるいはこんなことに思いをはせること自体が、もう手遅れなのか。
しばらく考えたが、頭がまとまらなかった。これらのどれでもあり、どれでもないような気がした。区別してみても始まらない。ただ、素敵な女と出会いたいというのだけは確かだ。
私は風俗に行ったことがない。青春時代は金もなかったし魔界に入る勇気もなかった。
不倫相手と切れてからは、ますますそんな気はなくなった。別に聖人君子を気取っていたわけではない。金を払ったぶんだけの満足が得られると思えなかったのだ。
やはり自分は、女性とつきあうなら、単なる性欲の処理というようなことよりも、会話をしたり食事を楽しんだり、一緒にどこかに出かけたり、そうしてかかわりを深めて行くことを求めるタイプらしい。
その過程でセックスに及ぶこともあるだろうし、そうせずに別れてしまうかもしれない。あるいは双方がその気になれば結婚にたどり着くかもしれない。
とすると、いままで意識の上でも行動の上でも避けてきた「恋愛がしたい」というのが一番当てはまっているようだった。
恋愛の面倒くささについては、十分味わったつもりだった。でもここにきて、どうやらまたその面倒くさいことを懲りずにやってみたくなったようだ。
自分の周りにいる女性たちを、相手として想像してみる。
部下の社員たち。
山下は人妻だしあまり美人ではない。
八木沢はまあきれいだけれど、ちょっときつくて自分の好みとは言えない。
渡辺は堅実な女性だが、その堅実さが固さにつながっているような気がする。
川越は――若くて可愛いし、賢そうだからそそられるのは確かだが、年齢が違い過ぎると話が合わないだろう。
パート社員にも女性はいるが、特に魅力を感じることはなかった。
これまで接した顧客の中にも、魅かれる女性は何人かいた。
しかし夫婦だったり、そうでなければほんの短期間の接触である。性格まではわからないし、よほどのことがなければ、ずっと記憶に残るということはまずない。そして「よほどのこと」というのはこれまで起こらなかった。
今日の本部の会議でも、女性が三人いた。うち二人は前から知っていた。
一方は頭の切れる人で容貌もまあまあ。でもたしか結婚していたと思う。
もう一人もやはり優秀だが、お顔のほうはちょっと。これまで仕事上で話したことは何度かあったが、そういう対象として考えたことはなかった。
残りのひとりはおとなしそうな若い女性だったが、どういう人だかまったくわからない。
いずれにしても、出会っている時のモードがいけない。誘おうと思えばできないことはないが、会議の余韻が残る中で、なかなか気安くはできないものだ。
また、歌や映画や三文小説のように、突然見つめ合って、電光が走るように双方が燃え上がるなんてことはあるもんじゃない。ああいう恋愛幻想はいいかげんにやめてもらいたい。
考えてみると、村落や小さな町で暮らしていた昔と違って、この大都会では、たくさんの異性と出会っているのだ。極端な例かもしれないが、満員電車の中で痴漢が多く発生するのも、その一つの証拠だ。
人類史を振り返ってみれば、こんなことはほんの短い期間に発生した一種の異常事態と言っていい。都市で社会生活をする男たちは、よほど性欲を理性で抑えるように馴致されてしまっているのだろう。
互いに見知ったり会話を交わしたりする機会だって、じつは昔よりずっと増えている。
女性も、ひそかに慕っていながら男性からの呼びかけを待っているというようなことはなくなって、その気があれば自分からどんどん積極的にアプローチできる。実際そうやって早くからいい男をゲットしてしまうケースは多いんだろう。
それなのに、恋愛関係が成立しにくくなっているのはなぜなんだっけ。
ああそうだ。恋愛が自由市場化したからこそ、男に対する女の理想水準が上がって、モテるやつとモテないやつとの二極分解が起きたんだった。
「イケメン」にはすぐ女がつくが、「キモメン」にはずっとつかない。それにセクハラ告発を恐れる男の遠慮。恋愛を面倒くさがる心理。あとは経済問題。
おそらく恋愛というのは、壁があればあるほど盛り上がるんだろうな。身分制社会とか、親の不許可とか。
いまの時代はどちらもない。恋愛が許されないので心中したなんて話は聞いたことがない。性関係に寛容になった社会は、そのぶんだけ、「この人、命」みたいな濃密さは失われてしまったと言えるだろう。
そこで婚活か。
お見合いのビジネス版だな。
篠原の言う「紹介」より確率的には高いかもしれない。紹介だと、ごく人数が限られる。「下手な鉄砲」のほうがいいのかも。
べつに再婚すると決める必要はない。でも俺もそろそろ恋愛アレルギーから脱却して、積極的に探すことにしよう。そうしないともう後がない。ダメ元のつもりでやってみるか……。亜弥の言った「ゲーム感覚」というやつだ。
こうして私はいつの間にか、篠原と亜弥のけしかけに乗せられているのだった。