第101話 半澤玲子ⅩⅣの7
文字数 2,408文字
「ベッド、狭くてごめんね」
「狭いほうがくっついて寝られるよ」
夜が更けてきた。窓辺に寄ってカーテンの隙間から外を見ると、空気が煙っている。雪ではなく雨が降ってきたようだ。
急に彼がわたしを後ろから抱きすくめた。今日の「真面目な話」の結論みたいに。
わたしは、向きなおった。それから立ったまま、性急にお互いの服を脱がせにかかった。彼のYシャツのボタンをはずすのがうまくいかなくて、もどかしかった。これまでも感じたけれど、彼はブラジャーを外すのがうまかった。今日は白。彼の目に感動の色が光ったように感じた。
わたしたちは、これまでにも増して愛し合った。
いろいろなことをした。いままで誰ともしたことのなかったいろいろなこと。
時計を見たら1時を回っていた。
「れいちゃんのおっぱい、かっこいいね」
佑介さんは、わたしの左の乳房の下にあるほくろを撫でながら言った。
「でも最近垂れてきたの」
「垂れてないよ。もし垂れてきたら僕がも一度プリプリにさせてあげる」
「ウフッ。でも誰かを好きになるとほんとにそうなるって話聞いたことあるわ」
「ほんとだよ」
「……ねえ。さっきの話だけど」
「うん」
「あれ、実現したら、わたしたちって、もしかして、時代の最先端行ってることになるのかもね」
「そう。いろんな家族の形が出てくるんだろうね。そのなかでは最先端かもしれない。でもある程度経済的な余裕がないとできないよね」
「若い人たち、かわいそうね」
「うん。若者は当分、親にパラサイトする状態が続くのかな。でも、そのうち親がへたばってくるからね。その時が問題なんだよ。8050問題なんて騒がれてるし、高齢者のひとり暮らしもすごく増えてるし。このままだと、ふつうの家族はだんだん壊れてくかもしれない」
「みんな、個人個人でバラバラになっちゃうのかな」
「うん。もうある程度はそうなってるね。でも、一回そうなると、また一緒になろうなろうって気運が高まりそうな気もするけどね」
「8050問題だって景気が回復しなきゃどうしようもないわね」
「そう。それがまず第一」
それからとりとめのない話をして、いつの間にか眠りに落ちた。部屋は暖房が効いて、裸のままなのにちっとも寒くなかった。
寒くないのは暖房のせいだけじゃなかったけど。
翌朝、わたしが先に目覚めた。佑介さんの寝顔を初めて見た。これまでは彼のほうが先に起きていたのだ。
かわいい寝顔だと思った。でも眉間にちょっと皺を寄せている。悪夢でも見ているのかしら。夢の中でも政治経済のこと考えて悩んでたりして。
そーっと起きて、シャワーを浴びた。戻ってくると、彼はまだ寝ていた。ベッドの脇に散らかっている彼の服にちょっといたずらをした。
外は小雨。でも上がりそうな気配だった。
キッチンに入って、朝ご飯を作った。トーストとオムレツとトマトにホットミルク。
やがて彼が起きてきた。
朝ご飯を食べ終わってから、午前中は、ホットミルクのお代わりをしながら、ずっとベッドに腰かけてお話をした。音楽について。政治について。
BGMはモーツァルトのピアノ協奏曲20番と、それからシューベルトのソナタ21番。
「このソナタ、ちょっと暗いわね」
「やめようか」
「ううん、いいの。いい曲だし、人生には暗いところもあるでしょう。だから共感できる」
「そうだね」
それから佑介さんは、「暗いと言えば」と前置きして、政治の話をしてもいいかと聞いた。
「いいわよ。ちょっと待ってね。どうせならノート持ってくる。堤先生のレクチャー、はじまりはじまり」
「ハハ……そんな値打ちはないよ。だけど、聞いてくれる人がなかなかいないからね。でもれいちゃんも僕の話をノートしようなんて、相当の変人だね」
「うん。見かけは普通のOLだけどね。でもこれまでの人生振り返ってみると、やっぱり変人だったんだわ。ゆうくんと出会って、そういう自分に気づかされたの」
それから彼は、前々日の10日に、臨時国会が閉会したが、こんなひどい国会は初めて見た、という話をした。それは、主に入国管理法の改正と、改正水道法の成立に関してだった。
聞いてみると、たしかにひどい話だ。わたしはできるだけ克明にノートした。
「ほんとに暗い話になっちゃったわね。雨あがったみたいだから気分変えて散歩でも行かない?」
「そうしよう。浅草は久しぶりだ。浅草寺にお参りしよう」
「堤先生の暗黒の授業はこれまで。せめてわたしたちは楽しくやりましょうね」
「そうするしかないね」
彼のその言い方には、絶望感に近いものが淡く漂っているようでもあった。
わたしたちは手をつないで雷門をくぐった。お参りを済ませてから、お店に入り、お守りのつもりでふたりのお箸を買った。漆塗りの赤と黒。先端の色が反対になっていた。ふたりともそこが気に入った。
「ねえ。さっき、浅草寺でなんてお祈りしたの」
「たぶん、れいちゃんと同じ」
「そうね。きっと同じね」
お昼を食べてお別れということになった。
「麦とろのおいしい店があるのよ。隅田川に面してるの。そこにしない?」
「うん。いいよ」
隅田川を眺めながら、できるだけゆっくり食事をした。吾妻橋が寒い曇り空の下で少しかすんで見えた。
食後も、なかなか離れがたくて、浅草界隈をぶらぶらしているうちに4時近くなった。そろそろ暮色が迫ってきた。地下鉄浅草駅の改札で別れることにしたけれど、何となく永の別れみたいな気がして胸が詰まった。
「これからまっすぐ日岡のマンションまで帰っちゃうの?」
「うん。名残惜しいけどね。昨日と今日のこと、覚書に書くよ。しっかり書いとく」
「わたしもこのまま乗ってっちゃいたい」
「ハハ……またすぐ会えるじゃないか。28日には待ってるからね。ポトフの材料、教えてね」
「うん。メール、ちょうだいね」
「うん。れいちゃんもね」
また抱き合ってチューした。オジサンやオバサンがちらちらこっちを見ていた。
改札を隔てて、いつまでも手を振り合っていた。