第100話 半澤玲子ⅩⅣの6

文字数 2,424文字



「あのね、わたしもまじめな話していい?」

「どうぞ」

「床暖、熱すぎない?」

「ちょうどいいよ。なに、真面目な話って」

「ちょっと待ってね。ご飯炊けたみたい。どうする? もっと飲む? それともご飯にする?」

まだ720ml瓶には三分の一くらい残っていた。

「よし、れいちゃんの真面目な話を、残りの酒を酌み交わしながら聞こうではないか。ご飯はその後で」

ちょっとおどけるようにそう言って、佑介さんは、どっしり構えるふうを見せ、瓶のお酒をお猪口に注いだ。

「わかりました。さっき、〇〇に二人にとって大事な言葉を入れるって言ったでしょう?」

「うん」

「それって……もしかして、……婚約とか……結婚とかイメージしてた?」

わたしは言いながら、思わず顔が引き締まってくるのを感じた。不安がよぎる。

ところが彼は、そう聞かれて、まったく意外ではないという感じですらりと答えた。

「ああ、その問題ね。イメージしてたよ、かすかにだけどね」

「話したいことって、それなの。ゆうくんがどう考えてるか、聞きたいの」

「うん、僕もちゃんと二人で話そうと思ってたんだ。僕は……もしれいちゃんが結婚してって言ったら、一も二もなく『いいよ』って答えるつもりだった。僕もしたいから」

「僕もしたいから」――そう言ってくれたことは、素直にうれしかった。でも、わたしは、何が何でも結婚、なんて考えていないのだから、わたしのほうからプロポーズするのは控えていた。

「わたしは……」

「ちょっとまってね。でもね。僕らの状況、年齢、これまで生きてきた過去やこれからのこと、それから、結婚生活ってものの世間一般のあり方、そういうことをいろいろ考えたら、自分から言い出すのはちょっと慎重にした方がいいんじゃないかって、いま思ってる。ずるいように聞こえるかもしれないけど」

そこで彼は言葉を切った。お猪口に残ったお酒を飲み干して、独酌で注ぎ足した。


もしかすると、わたしが考えているのとほとんど同じかもしれない。

「ううん、ずるくなんかないわ。……もう少し言ってくれる?」

「つまり……結婚て、なんだろうね。誰かが結婚するっていうと、周りはおめでとう、おめでとうって騒ぐけど、結婚生活続けると、愛情が冷める例がすごく多いよね」

「うん。たいていはそうね」

「いま未婚者がすごく増えてるでしょう。もちろんその第一の理由は若い人たちが経済的な余裕がなくて結婚できないってことなんだけど、それだけじゃなくて、結婚生活ってものに対するメリットを感じなくなってる人が多いんじゃないかと思うのね」

「うん。それは、1人でいた方が束縛されなくていいってこと?」

「そう……かな。そうも言えるけど、いま、昔と違って、独身で暮らしてても、毎日の生活に困らないでしょう。一生ひとりの人とだけ暮らすことに対する一種の絶望感――ていうと大げさだけど、そのことにあんまり希望の光を見ない感覚みたいなものが共有されてるんじゃないかな」

「ゆうくんも、そう感じてる?」

「あ、僕は違う。一生って言ったって、僕は残り少ないし、いまこうしてれいちゃんと出会って、すごく一緒に暮らしたいって感じてる。いつもくっついていられたらいいなあって。でも……」

「でも?」

「一つ屋根で暮らしたら、お互い、恋愛時代とは違った面が見えてきて、絶対愛情が冷めないって言い切れる自信があるかっていったら、正直なところ、そうは言い切れない」

正直な人だと思った。わたしの考えにだんだん近づいてる。

「問題はさ。どうしたらいまのこの気持ち、れいちゃんとずっと一緒にいたいって気持ちを長続きさせられるか、その工夫にかかってる、って考えたんだ」

「こうして、時々会って、愛を交わしている方が長続きする?」

「それもまた違うなあって思うんだよ。いつも同居してるんでもなく、お互いの都合のいい時、たまに会うんでもなくて、その真ん中くらいの形が取れないかなあって」


ここまで聞いて、わたしの考えとほとんど同じだとわかった。

今度はわたしが語る番だ。

「ありがと。いま聞いてて、わたしの考えと同じだなって思った。うれしいわ。わたしもね、そういう真ん中みたいな形って、できるんじゃないかって気づいたのよ。だって、わたし、ゆくゆく実家で母の面倒見ることになるだろうし、ゆうくんは、お仕事続けながら、いまのマンションにいればいいわけでしょう。それと、実家は古いけど、二階は空いてるし、もしゆうくんがいたければずっといることもできるのよ」

「そうだよね。同じこと考えてた。二つの家を行き来できるんだよね。自分で想像してて、これって昔の通い婚みたいだなって」

佑介さんは、微笑とも苦笑ともつかない表情を浮かべた。

「お母さんはどう思うだろう」

「母は昔の人だけど、けっこうさばけてて、わたしの生き方にああだこうだ言う人じゃないのよ。だからたぶん大丈夫だと思う」

「そうだといいね」

「わたし、もう子どもは無理だと思うのね。それは寂しいけど、仕方がない。でね、それをあきらめた上で、わたしたちのこれからを想像してみたら、なんだかすごく恵まれてるような気がしてきたの」

「会社勤めはどうするの」

わたしはそう突っ込まれて、一呼吸置いた。そして思い切って決意を語った。

「じつは決めたの。1月の内示の時、退職願い出して、4月から華道の修業に本格的に邁進しようって。近々大原流の本部に問い合わせてみるわ」

「え、そうなんだ! わあ、いいね、それって。僕もうれしい。全面的に応援する!」

ふたりは思わず立ち上がって、強く抱きしめあった。


「ね、ごはん食べよ。お味噌汁作るから待っててね。ダシ、鰹節でいい?」

「うん。鰹節が一番好きなんだ。それからCD持ってきたの忘れてた。かけていい?」

「もちろん。安いオーディオしかなくて、音悪いけど」

少し経って、聞いたことのある曲が響いてきた。

バッハの管弦楽組曲? 静かに、そして華やかに、わたしたちを祝福してくれるように、それは流れた。
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