第19話 堤 佑介Ⅲの3
文字数 2,623文字
帰宅してから、事業部から出されているモデルハウス改築の提案書をざっと調べた。
あれもだいぶ古くなっている。とにかく今日の客が新築物件の設備をあんなに喜んでいたところをみても、そのあたりの綿密な議論は必要だろうなと思った。
風呂から出て、いつものようにオンザロックを作った。
それから今日の打ち上げの会話を思い出してみた。くつろいだ気分になってみると、原発や電力自由化の話よりも、むしろセクハラ話題の方が気になった。
セクハラかどうかは、当の女性がそう感じたかどうかにかかっている――これって少しおかしくないかな。すべては女性の主観で決められる。
この前『電子マン』を読んだときは、この本は「キモメン」の恨みつらみを代弁してるだけで、昔から許諾権は女が握ってるに決まっていると思った。
セックスとか、それに類する行為だったら、それはそうに違いない。男の欲望のままにさせたら、男女入り乱れるいまの社会では、めちゃくちゃになっちゃうからな。だから風俗だってほとんど男が金を払って女にさせてもらう形になってる。
しかし、ちょっとした言葉や振舞いまで、その判定の権利が女にあるというのは、どうも行きすぎてる感じがする。嫌がってるのに触ったり抱き着いたりしたら、これは論外だろうけど。
たとえば「今日はお化粧のノリがいいね」はセクハラか。「お。髪切ったの。なんかあったのかな」は? 「ちょっと疲れてるみたいだけど大丈夫?」は?
これらは相手との親密さの度合いによって、セクハラになったりならなかったりするだろう。それにしてもそう判断するのはもっぱら女性だ。
セクハラっていう言葉が定着してから、親睦を深めるつもりで言ったのに、そう受け取られない可能性がとても大きくなってしまった。
これってジェントルマンシップの持ち合わせの問題で、やっぱり男にもっぱら心理的な負担がかかってしまう。だから最近の若者は、女性に対して引いてしまうんだろうな。
もっとも今日八木沢が結論づけた、相手がブサイクなオヤジだったらセクハラになるけど、イケメンに同じことされたらかえってうれしい場合もあるってのは、いかにもリアリティがある――そう思って改めて笑ってしまった。氷とウィスキーを継ぎ足した。
結局、誰がどんな状況、どんな口調で誰に向かって言ってるかをはっきりさせずに、ある言葉だけを切り取ってきてセクハラかそうでないかを判定しようというところに無理があるんだろう。ひところ流行った差別語狩りと同じようなものだ。
ウチの社員で言えば、山下みたいな既婚者のさばけたお局に言っても、うまくかわす可能性が高いけど、同じことを川越嬢に言ったら、被害感情を抱くかもしれない。八木沢や渡辺は微妙だな。
それと、こういうことも言えそうな気がする。
女自身が自分の女性性に自信を持っているかいないかで、被害感情も変わってくる。自信を持ってると、何かそれらしきことを言われても、あんまり気にならないんじゃないか。セクハラ、セクハラ騒ぎ立てるのは、どうもブスやオバサンに多いような気がする。
こんなことはあからさまには言えないけれど。
でもそうだとすると、ここには被害を訴える女性の側の自意識の問題も絡んでるってことだ。
そういえば、いつだったか、そんなに混んでいない電車から降りるとき、傘を持つ私の手が隣にいたオバサンの腿のあたりにほんの少し触れてしまったことがある。そのオバサンも同じ駅で降りるので、両方がドアに接近したのだ。謝るほどのことはないと思った。
ところがオバサンは何を勘違いしたか、ホームに降りてからも私の顔を睨んでいた。私は知らん顔をしたが、心の中では「あんたみたいなブスオバサンに痴漢するわけないだろ。まず鏡を見ろ」と言ってやりたかった。
とかくセクハラにしてもパワハラにしても、線引きが難しい。生命身体やモノの被害ならはっきりしてるけど、心の問題だからな。でもセクハラ問題がこれほどクローズアップされるってのは、要するに、女性が社会的に強くなりすぎたってことじゃないのかな。
ウチの正社員の容貌を一人ひとり思い浮かべながら人事査定を試みる。まず女性。
山下は「優」。
よく勉強しているし、接客も身についている。
八木沢は頭が切れるが、ちょっと気が強すぎて接客には向かないかもしれない。
川越はまだ未知数だが、伸びしろが大きそうだし、仕事への情熱を感じる。
事務担当の渡辺も緻密に仕事をこなす。
かたや男性社員。チーフの岡田は別格として、中村は入社何年だったかな。だいぶ経つけど、いまいち。誠実で真面目だが、ちょっとガッツに欠ける。もう少し押しが欲しいところだ。
逆に谷内は元気で明るいところはいいが、それが災いする時もあって、接客面で少しハラハラさせる。この業界、やり過ぎは厳禁だ。
川越の2年前に入った本田は、あの世代にふさわしく情報処理能力が優れているが、可愛い坊やみたいな風貌だから、お客さんになめられていないかちょっと心配。
こうしてみると、ウチも女性の方が優秀かもしれない。
セクハラ問題。
これはもっぱら女性に対する男性の振舞い方への突き付けの問題だ。逆はほとんどあり得ない。昔、痴女もいるなんてことを言ってた評論家がいたが、そんなのは圧倒的に少数で、特殊な状況だろう。
他にも女性専用車両、女性割引料金、女性議員や女性総合職の数がもっと増えることが進歩の尺度だったりする風潮。女性っていま、ほんとに社会的弱者なのか?
マイノリティと一口に言っても、女性は男性と同数だし。昔から、財布は母ちゃんが握っているとか、カカア天下とか、女のほうがいろんな意味で強いとは、よく言われるセリフだし。平均寿命だって五年以上の差があるし。
緊急事態なんかで、女性より先に男が逃げたりしたら、そいつはやっぱり軽蔑されるだろう。車内で健康な同年齢の男女二人が立っている時、目の前で席が一つ空いたら、まず間違いなく女に座ってもらうだろう。
こういうことって、じつは性差の問題が深く絡んでいるんじゃないのかな。難しい言葉で言うと、男と女の非対称性ってやつだ。
そのことをよく考えないで、ただなんでも平等とか人権とかポリティカル・コレクトネスとか前面に振りかざすのって、どうも生活感覚と合わない。俺が古いのかな。
そういえば親友の篠原がいた。あいつは、専攻が社会学だったな。今度会っていろいろ聞いてみよう。最近の若者の恋愛、結婚志向のことなんかも含めて……。