第24話 堤 佑介Ⅳの2

文字数 3,300文字

「お飲み物は」

可愛いことで評判をとっているアキちゃんという若い奥さんが注文を取りに来た。

この店は夫婦で仲良くやっている。

マスターはややむくつけき風体だが、腕は確かで肴が実にうまく量もたっぷりだ。生牡蠣などはちょっと他では食べられないような立派なのが出てくる。酒も種類が多い。

まずはビールと一緒にいくつか好みの品を頼んだ。アキちゃんは素早く書き取りながら、 「こちらは大学の先生か何かでいらっしゃる?」と聞いた。

「やっぱりわかる?」と私のほうが答えた。

「ええ、いかにも教養がありそうな雰囲気で」

にっこリ笑って愛想を振りまく。

「おい、教養がありそうだってさ。少しは猫背を直したらどうだ」

「うむ。これは研究熱心な証拠だから直らないな」

「ところで講演の演題は?」

「晩婚化とこれからの日本」

「おや、それは切実なテーマじゃないか。俺もそのへん大いに関心があるよ」

「晩婚化が不動産屋とどうかかわるのかね」

「大いにかかわるとも。これでもひと様の生活意識をつかむのが仕事だ。これからの家族形態がどうなっていくのか、知っておかないと商売にかかわる。これは篠原の領域と大いにかぶるじゃないか」

「ああ、なるほど。堤も研究熱心だな」

「研究熱心なんだか、好奇心が強いだけなんだか。それでどういうことを話したの」

「最近の男女関係の傾向について。政府の少子化対策のどこがおかしいか。これから結婚や家族がどうなっていくのか」

「ああ、重大な問題だな。俺も素人なりにそれ考えたんだけどね。違ってたら言ってくれ。政府は育児休業の拡充とか幼児教育の無償化とか児童手当増やしたりとかしてきたけど、あれって少子化対策としては間違っているんじゃないか。子ども産める夫婦はけっこう裕福で、その裕福な層に児童手当や教育無償化とかやったら、かえって格差が開くだろう。本当は結婚しない男女が増えちゃったから子どもも生まれなくなったんで、子どものいる夫婦を支援する以前に、どうやったら若者が結婚するかを考えるべきだったんじゃないの」

「そのとおり。それに、保育園の無償化なんかやると、タダならってんで、希望者が殺到しちゃって待機児童が一層増えるだろうな」

「なるほど。そういうこともあるか」

「うん。そもそも日本人は欧米と違って婚外子をすごく嫌うんだよ。だからまず出会いから結婚までをサポートすることこそが大事なんだ。それは、できちゃった婚が多いところにも表れている。できちゃうと結婚に対するモチベーションがぐっと高まる。それと、少し前までは結婚すれば二人以上産んでた夫婦がけっこう多かったんだけど、最近では、結婚したカップルでも、一人しか産まないとか、子どもを産まない夫婦が増えてるね」

「やっぱりね。それはこれからの日本にとって困ったことだな」

「うん。その困ったことってのもさ、みんなはただ漠然と人口減少が国力を減退させるから困るって思ってるだろう。だけどあれは違うんだよ。人口減少そのものは、緩慢な変化だから、いますぐどうってことはないんだ。差し迫った問題は、高齢化と少子化が同時に起きていることなんだよ。」

「というと?」

「つまり人口減少のカーブよりも、生産年齢人口の減少カーブのほうがずっと大きい。そのギャップが人手不足とか、年金問題とか、いろんな問題を引き起こしてるんだ」

「ああなるほど。要するに弱って働けなくなったじじばばが増えちゃって、少なくなった現役世代がそれを支えなくちゃならない、と」

「そういうこと。政府は人手不足を移民で解決しようとしてるけど、あれもすごくまずいね。移民を大量に受け入れた欧米が今どんなひどいことになってるか、見ればわかるはずなのに」


「しかしこれからの若者はますます結婚しなくなっちゃうんじゃないか。なんかそんな予感がするんだけど」

「そうだろうな。だからもう少子化に歯止めをかけようって発想は捨てて、少子化を前提として対策を考えていかなくちゃならない」

「篠原式対策は?」

「それはAIでもなんでも技術力を駆使して労働者一人当たりの生産性を高めていくほかない。あとは給料上げて、日本人で余ってる人材を掘り起こすことだ」

「だけどそれには企業がどんどん設備投資や人材投資していかなきゃならないだろう。企業は内部留保ばかりため込んで、一向にその気配がないじゃないか」

「そう、それは政府が積極的な財政政策を打たないで、財源ばっかり気にしてるからだよ。最終的には財務省の緊縮路線が、デフレ脱却を阻んでるのさ。財務省は諸悪の根源!」

篠原は吐き捨てるように言った。絶望、とは言わないまでも、かなりペシミスティックなトーンがこもっていた。


「お飲み物のお代わりはよろしいですか」

アキちゃんが近寄ってきて言った。見るとジョッキは二人とも空になっていた。

「十二代ある?」

「はい、ございます」

「あ、僕もそれ」

この店では、日本酒をブランデーグラスに入れてくれる。そのおしゃれな感じが私は好きだった。

「そういう話を大分でしたわけね。それでどうだった。講演してて、聴衆の反応は」

「うん。やっぱりのんびりしてるな、地方は。俺を呼んでくれた先生は俺の本を読んでるからしっかり問題を把握してるんだけど、他の聴衆はしんとしてて、質問もほとんど出ない。動員かけられて仕方なく来てるって感じだ。担当の人たちはそりゃ親切で、ものすごく優遇してくれるんだけどな」

「そうか。大都市で問題にされてるほどじゃないってことだな」

「なってない、なってない。ていうか、少子化や晩婚化は、若者が流出してしまう地方でこそ深刻な問題で、そのことはみんなわかってるんだ。でも日本全体の動向や経済情勢が絡んでいるから、一地方自治体レベルでは、どうしようもない」

「大分県なんかだと未婚率とか初婚年齢とか、それから何て言ったかな、50歳以上になっても一度も結婚したことがない男女の率」

「生涯未婚率。どれもランキングで言うと確かに低い方に属するけど、大した差じゃないな。要するに全国的に晩婚化傾向が顕著だってことだよ。でも意識の問題としては、教育の中にその問題を取り入れていこうっていうような発想がなかなか出てこないみたいだ」

「文科省は、そういうお達しを出してないのかね」

「全然。仮に出したとしたって、現場には届かない。効果はないだろうね」

「そうすると、その、深刻さはわかっているにもかかわらず、打つ手もなく何となくぼんやりしてる、その理由ってのは」

「まあ、俺みたいに客観的な社会現象として分析している学者と、自分の人生の問題として考えてる人たちとは距離があるってことかな。『学問の要は活用にあり』なんだけど、その活用の道筋が昔みたいにうまく見えなくなってる」


私は十二代を口の中で転がしながら、気になっていたことを尋ねた。

「若者が結婚しなくなった理由は、何なのかね」

「それはいろいろ考えられるけど、やっぱり何と言っても経済的理由だな。若者の結婚願望統計を見ると、やや低下傾向はあるけど、そんなに下がっちゃいないんだよ。俺の授業でさ、『将来結婚したいですか』ってアンケートとるんだけどね。そうすると、まずほとんどの学生が『したい』と書く。そのうえでさ」

そう言って篠原は、擦り切れて膨らんだ汚い革鞄のなかをあっちこっちまさぐった。それから一枚の紙を引っ張り出した。

「あった、あった。これこれ。このグラフをみんなに配ってね。さっきの生涯未婚率の話をしながら、このまま行くと、君たち男子学生のうちで四人に一人、あるいは三人に一人は一生結婚できないと説明する。みんなかなり焦った顔をするよ」

私はグラフをのぞき込んだ。1950年から2015年までの男女の生涯未婚率の推移が折れ線グラフで書かれている。

たしかに衝撃的なデータだ。
1950年には男女ともわずか1.35%だったのが、2015年には、男23.4%、女14.1%となっている。

80年代には、女は4%台をキープしているのに、男の方はこの頃から急上昇して、「四人に一人」が50代でも未婚という現在にいたっているのだ。
しかもカーブの勾配はさらに高まる気配である。
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