第96話 半澤玲子ⅩⅣの2

文字数 2,273文字



4日、この前と同じホテルで、佑介さんと会った。

12月に入ったというのに、異様に暑い日だった。どんより曇っていて夜になってからも暑さがおさまらなかった。適度にエアコンの効いた室内がありがたかった。

佑介さんは、この前と同じように優しくしてくれた。わたしはだんだん激しく感じるようになってくる自分に気づいた。

「火がついた」とはこういうのを言うのだろうか。毎日でもしたい、と思った。

終わってから、素裸のまま、彼の肩に首をもたせかけて、指と指をからませていると、彼が言った。

「こないだの電話の声、すごくセクシーだったよ。興奮しちゃった」

「まあ。フフフ。あれは友だちの家のトイレに入ってたから内緒話みたいになっちゃったのよ」

「ハハ……そのせいもあったかもね。友だちって、その人とよく会うの?」

「うん。大学時代にバイトで知り合ってから、ずっと親友なの。韮崎絵理っていって、すごく頭がいい人なのよ。わたしたちどうしでは、エリ、レイって呼び合ってるの。今度紹介するね」

「それはぜひ」

「そうそう、婚活サイトへ登録するのも彼女が勧めてくれたのよ」

「そうなんだ。じゃ、僕たちを結び付けてくれた女神様だね。そうすると彼女自身も、サイトで出会って成功したってこと?」

わたしは、いまエリが陥っている複雑な境遇を、彼に話そうかどうしようか、一瞬迷った。しかし無二の親友の苦境を佑介さんに話さないなんて、そんなの……何というか、水臭い。

「うん。一応そうなんだけど、それが、相手に奥さんがいたことがわかって、奥さんにもばれちゃって、いまたいへんなのよ。ちょうど電話くれた時、その話をしてたの」

佑介さんは、妻帯者でありながらサイトに登録した相手の不実をなじるかと思った。ところが彼はしばらく黙ったままだった。それから、

「そうか。それはたいへんだな」とため息を漏らすように言った。

「相手がウソの登録をしていたことはどう思う?」

これも佑介さんはすぐには答えなかった。半身を起してサイドテーブルの水に手を伸ばした。ごくりとのみこむとき、のどぼとけが動くのが見えた。わたしの問いかけを消化するのに手間取っているみたいだった。まだ黙っていた。

それから慎重に言葉を出し始めた。

「……男の勝手な言い分かもしれないけど……」

「うん?」

「夫婦でも愛情が冷めきってるってことはあるよね」

「うん」

「そしたら、よけい孤独を感じて、そういうことしたくなるってことは……いいとは言わないけど……ある、と思う」

「うん」

「……でもその人がそういう状態だったかどうかは、わからない」

わたしがエリの悲しみに接触して、感じたこととほぼ同じだ。佑介さんはまた少し間をおいてから言った。

「絵理さんは、その人を愛してるの?」

「うん。愛してる、と思う」

「それで、れいちゃんは、絵理さんになんて言ってあげたの」

「応援するから闘うべきだって。諦めると決めた場合でもサポートするって」

またしばらく間があった。

「……いいことを言ってあげたね」

わたしは天井を見上げた。灯りを落とした簡素なシャンデリアのランプたちが、こんな会話をしているわたしたちを静かに見守っていた。裁いているのかもしれなかった。

でも、ゆっくり言葉を選びながら答えている佑介さんを、たぶん裁くことはできないだろう。

きっとこの人にも複雑な過去があるんだろうな、と思ったが、それは聞かないことにした。そのほうがわたしたちにとって仕合せが持続するからだ。

「あなたの過去など 知りたくないの」というあの歌が、一瞬だけれど頭の中で鳴り響いた。


「エリと私との関係って、恥ずかしいんだけど、ちょっとレズみたいなのよね。でも誤解しないでね」

「ハハ……誤解なんかしないよ。仲のいい女どうしって、そういうところあるよね」

それから佑介さんはLGBTやセクハラやポリコレのことを話し始めた。わたしも関心を持っていたので、彼の考えを聞きたかった。だいたい、次のようなことを言った、と思う。

なぜLGBTが「差別」問題とか「人権」問題としてことさら取り上げられるのか。現代人は、ほとんどの人が生きるよりどころをなくしているので、自分の存在を確認するために、「人道的、政治的な正しさ」という絶対的な基準を無理に打ち立てて、それによりかかって生の不安を解消する。そしてその基準に少しでも引っかかる言動に「差別主義」のレッテルを貼って糾弾する。そのことで、自分は「正しい人だ」という確信が得られる。でも裏を返せば、それは、自分がリア充の実感を持てないからではないか。つまりどこか関係の空虚を生きている証拠でもあるような気がする……。

なるほど、と思った。

もしわたしたちが、ふつうの男や女として、また仕事に意欲を持って打ち込む人間として、充実した日々を生きていれば、自分とは種族の違う人たちのことなど、大して気にならないはずだ。たとえそういう人が身近にいたからって、それがどうしたの、で済ませられるはずだ――佑介さんは、たぶんそういうことが言いたかったのだと思う。

わたしたちは、充実した日々を生きているか?――もちろん生きている! だってこうして愛し合っているんだもの。

でも24時間充実しているかと言えば、そんなことはない。味気ない仕事の時間でほとんどが満たされているのだから。それは忙しい佑介さんなんか、わたし以上にそうだろう。

また、これからもずっと充実した日々を送れるかと言えば、これもそうとは限らない。どうしたらこの仕合せをできるだけ長く持たせられるかを、ふたりしてしっかり考えていかなくてはならない。
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