第20話 半澤玲子Ⅳの1

文字数 1,902文字


                                2018年9月13日(木)



今日はちょっとしたトラブルがあった。

出勤して間もなく、社内でニュースが流れてきた。

ウチの製品で、キーピィという子ども用の日焼け止めジェルがある。

今年の夏、一部の地域で出荷されたその製品を自分の赤ちゃんにつけていた複数のお母さんから、赤みやはれが生じたというクレームがコールセンターに寄せられたのだ。

赤ちゃんの体質にもよるので、一応注意書きには、そういう兆候が出た場合には、皮膚科に診せることを勧めてはいる。しかし、今度の場合は、いままでになかったことでもあるし、クレームの数も二ケタ近くに上った。

こういうクレームはふつう、まず総務部に上げられて、そこで対処法が議論される。

もし製品そのものに欠陥があるのだとしたら、ブランドの信用にかかわるかなりの騒ぎになる。

マスコミに知れる前に事実を一つ一つ確認し、そのうえで、機先を制してこちらから発表しなくちゃならない。社員をたくさん動員する必要があるし、出荷分の回収が必要だし、場合によっては製品全体の販売停止に追い込まれる可能性もある。

総務部と経理部は同じフロアにある。五十嵐次長が大きなお腹を突き出しながら、いつになく緊張した顔つきで、何度も出たり入ったりしているのが遠目に見えた。優しい五十嵐さん、応援してるから頑張って。

しかしそれだけではなかった。

クレーマーの中にしつこいのがいて、電話で直接対応したコールセンターの社員がストレスのあまり倒れてしまったというのだ。

「とにかく謝れ」が最近の傾向である。これってどうなのかしら、と疑問を持つ人は多いけれど、それ以外に手がない。キレちゃったらおしまい。

モンスター・クレーマーは、自分の日ごろの不満を発散するために電話をかけてくるので、こちらがいくらていねいに対応しても聞く耳を持たない。

口汚いくらいは当たり前、「出るところに出るからね」「他の製品一年分よこせ」などといった脅迫まがいのもある。一人のお客様係ではとても対応しきれない。

私にも身に覚えがあるので、他人事とは思えなかった。

会社にはそれなりに衛生管理の部門があって、カウンセラーも配置されているけれど、しょっちゅうそういうところにお世話になるのも、なんだか癪な話。

「笑顔を絶やさず」何とか頑張って見せなくては、職業人としてのプライドが許さないし、だいいち、人事評価にもかかわってくる。

大げさとは思うけど、「王様と奴隷」という言葉がふと浮かんだ。みんな平等な社会ということになっているから、身分がそういうふうに固定されているわけではない。そうすると、わたしたちは、自分が消費者の時には王様になれるけれど、逆に消費者に対応する時には奴隷にならなくてはならない。

こういうまわりまわった関係になっているので、あるところで奴隷の気分を味わわされたその不満を、立場が変わった時に王様になって発散することになる。

これって悪循環じゃないかしら。

なんだかこういうことが、最近増えてきたような気がする。

妹の子どもたちの学校にも、モンスター・ペアレントっていうのがいて、採点にいちいちケチをつけたり、ウチの子どもをリレーの選手にしろとか、どんな教え方をしてるのか疑わしいから毎日参観させろとかいうのがいるんだそうだ。

個人主義って、干渉しあわなくて気持ちのいいところもあるけど、自分のエゴばっかり主張するようになると、いやな風潮だなあと思う。

今日聞いたクレーム事件の場合、製品に問題があるならもちろん社としてきちんと処理しなくちゃいけない。でも、倒れちゃった人のことを考えると、こんな「お客様は神様」式のやり方を続けていていいんだろうかって言いたくなってくる。

テレビでの謝罪会見て、しょっちゅう目にするけど、あれも見ていてあまり気持ちのいいものじゃない。あれって日本人特有じゃないかしら。もっと正当に釈明すべきところはした方がいい。受け取るマスコミの側も、釈明を許さないような圧力をかけるのをやめるべきだ。

おまけにこの頃は、ネットでの匿名のバッシングがものすごい。わたしたちみんながお互い、何か見えない妖怪のようなものと向き合っている感じだ。

今日のことは、私のいまの部署には直接かかわらないので、黙って観察してればよかった。でもことと次第によっては、こちらにも類が及んでくる。

そんなことを考えていると、なんだかひどく精神的な疲れを感じてしまい、一人でマンションに帰る気がしなくなった。こういう時、優しい彼氏でもいればなあ。

でもそれはかなわぬ望み。今日は母のところにでも寄らせてもらおう。
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