第103話 堤 佑介ⅩⅣの2

文字数 3,090文字



それかられいちゃんは、自分たちはレズと間違えられてしまうかもしれないと言った。私は笑いながら、そんな心配はいらないと答えた。答えてから、女どうしの親密さと、男どうしの親密さの違いということに考えが及んだ。

女は、友だち関係が親密さを増すと、自然に肉体的にもレズビアン的な関係に移行できるような気がする。それは、女性のもつ優美さというのが、男が見ても女が見ても同じように優美に見えることと関係があるのではないか。

いっぽう、男は、戦友のように、何かと闘う意思が一致すると、とても深い精神的な友情が成立するけれど、それは、そのまま肉体的な同性愛に移行することはあまりないような気がする。

男の肉体的な同性愛は、はじめから性的な指向性として決まっているか、そうでなければ、軍隊や修道院のように男だけの閉鎖的な環境に置かれたときに、過剰な性的意識のはけ口として、女の代用品を求めるところに生まれるのだろう。

とにかく男のそれは、激しいのだ。西山ハウスの笹森カップルのように。だから時として犯罪にも結びついてしまう。

私は笹森カップルと隣に越してきた鹿野夫婦の話をした。れいちゃんは、お腹を抱えて笑った。

「でも、笑っちゃいけないわね。そのお年寄り、かわいそうだし、ゆうくんもたいへんだったわね。そんなにはげしいのね」

そう言ってから、れいちゃんはちょっと恥ずかしそうにして、私の胸に顔を埋めた。自分のことを思い出したのかもしれなかった。


それから私たちは、服を着てソファのほうに腰かけ、お茶を飲みながらLGBTやセクハラについて話した。

「LGBTが騒がれるのって、権力を倒したいサヨク勢力が、マイノリティをそのための道具として利用している面もあるって前に言ったよね。でも世界中でこんなに、サベツ、人権って騒がれるのって、そういう声を平気で受け入れるマジョリティの側の心理にも原因があると思うんだ」

「ポリコレってやつね」

「うん。これこそが政治的に正しい原則だって固執して、あらゆるところにサベツやセクハラの兆候を嗅ぎだしては、レッテル貼りをする傾向」

「わたしも、男の人が女の人に何か言うと、いちいちセクハラ、セクハラって騒ぎ立てるのって、男の人が委縮しちゃって、よくないんじゃないかしらって思ってたの。出会いの機会を奪ってるでしょう」

「流行現象みたいになっちゃってるね。もちろん中には、ほんとにそういうこと言ったりしたりする連中がいることはたしかだけど、一度そういうのがニュースになったりすると、言葉が独り歩きして、どんどん拡散するよね。それで、ポリコレがこんなにブームになるのも、現代人のほとんどが生きるよりどころをなくしているせいじゃないかと思うんだよ」

「生きるよりどころ……」

「うん。たぶん宗教的な権威が衰えたんで、どこかに『正しさ』の絶対的な基準を立てておかないと、生きていくのに不安で仕方がないんじゃないかな。そうしないと、自分の存在の確かさが確認できない。そういう下地があるんで、一部の政治勢力が、ポリコレに少しでも引っかかる言動に対して『差別主義』とか『排外主義』のレッテルを貼って、魔女裁判みたいに糾弾する」

「ああ、なるほど。そのことで、自分は『正しい人だ』って確信が得られるわけね」

「うん、そう。すごく脆弱な確信だけどね。でもそれは裏を返すと、自分たちがリア充の実感を持てないからじゃないか。つまり相手の否定によって、自分がより上位のアイデンティティを確保しているかのような気になれる」

「それって、何かコンプレックス抱えてたり、いまの自分に自信がなかったりする人に多いかもね」

「ああ、ほんとだね。それ、もう少し歴史に広げてみると、ポリコレブームを作り出したのは欧米人だよね。その深層意識には、自分の存在の基盤が失われていて、『関係の空虚』を生きてるっていう実態があるような気がする。だから、これはポリコレ・コードに引っかかるんじゃないか、こんなことを言ったら『差別主義者』とか『排外主義者』とか『セクハラ』呼ばわりされるんじゃないか、と絶えず恐れていなくちゃならない。しかも、そのことが自覚できないようにさせられているということでもあると思う」

「そこに反権力的な政治団体がつけ込むわけね」

「うん。ただ、ヨーロッパの場合、古くから、宗教対立や他民族の混交の問題があったでしょう。ナチスみたいなこともあったしね。だから、きっとアイデンティティ不安とか、緊張感とかがすごく強い。それで、反権力団体だけじゃなくて、むしろ中枢権力が、そういう正義の建前を率先して掲げてきたんだと思うのね。でもいま、イスラム系移民なんかがどっと押し寄せて、かえってその建前が仇になってるんじゃないかな」

「そうね。日本の場合は、そういう緊張感ってないわね。LGBTと普通の人たちって適当に棲み分けてるし」

「イスラム教じゃ、同性愛は死罪だからね。そういう宗教対立がない日本じゃ、LGBT問題なんてそんなに切実じゃないはずなんだけど、なんか、アチラから《問題》として輸入されると、すぐマネするんだよね」

「でも、いま移民受け入れ拡大の方向に向かってるでしょう。そうすると、東南アジアのイスラム系移民が大量に入ってきたら、そういうことも問題になってくるんじゃないかしら。だって豚肉食べちゃいけないとか、一夫多妻認めてるんでしょう。そういう人たちとの間で摩擦が起きるんじゃない?」

「うん。れいちゃん、いいこと言うね。たしかにこれからはその可能性はあるね。でも日本人はのんきだから、そういうこと、いままで考えてこなかったんだよね」

それかられいちゃんは、じっと思いを巡らすふうにしてから、ひとりごとのように言った。

「正しさとか、正義って何だろう」

哲学者みたいだ。私も同じようなことを考えていたけれど、この疑問に答えを出すことはすごく難しい。

それに簡単な答えは出せないけれど、ふだん思っていることを口にした

「文化によってすごく違うからね。Aの正義、Bの正義、Cの正義がぶつかり合ったりまじりあったりした時に、それが問題になるんだよね。リベラルな人たちって、特に学者に多いけど、よく『いろんな価値観があっていい。多様性を受け入れるべきだ』なんていうでしょう。でも実際にどうやって多様性を受け入れるんだろう。リベラルな人がそういうのは、自分がそういうぶつかり合いの場面に立たされてないから、そんな軽薄なきれいごとを言っていられるんだと思う」

「ヨーロッパは、それで失敗したのよね」

「そうだね。やっぱり相手の価値観を安直に受け入れると、とんだしっぺ返しを食う。かといってただ否定するんでもなくて、それはそれとして認めた上で、でもこっちにはこっちの価値観があるんだから、お互いに侵入しないで棲み分けられるような境界線をうまく引くことが大事なんじゃないかな」

「それって、国を守るってことに関係ある? 移民を規制するとか」

「大いに関係あるね。日本人は西洋のマネばっかしてないで、むしろヨーロッパの失敗を他山の石として学ぶべきなんだ。でも一向にその気配がなくて周回遅れをやってる」

「困ったわね」

それきりふたりの間では、言葉が続かなかった。

そもそもこんな話を、逢引きのあとでしている私たちって、やっぱりずいぶん変人なんだなあ、と思った。というよりも、私の変人ぶりのほうに、れいちゃんを引きずり込んでしまった感じだ。

これからどこまでこんな自分につきあってくれるだろう。チェーホフの『可愛い女』みたいだといいんだけれど、などと、自分勝手なことを考えた。
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