第5話 堤 佑介Ⅰの2

文字数 1,701文字


チーフの岡田がひとり残っていた。

「一杯やらないか」

「いいですね! もう早くビールにありつきたいわ!」

岡田はいつものおどけ癖を出してオネエ言葉で答えた。

八月も終わりに近づいたので、窓の外には暮色が迫っている。しかし今年の夏は夕方になっても気温が下がらない。車で案内したとはいえ、ちょっと外に出てくるだけで、下着が汗でびっしょりだった。日中30度を超える日が当たり前になっているので、暑さになれてしまったとはいうものの、今日はまた、格別暑かった。



ウチは首都圏だけにエリアを絞って、本社以外に4つの営業所を持つ中規模不動産会社で、賃貸と売買の受託仲介が中心。仲介後の管理業務も行っている。時には不動産に関するコンサルも。

私は郊外の急行停車駅前にある営業所の長を務めている。スタッフは私を含めて13人、うち、非正規が4人。

何かのネット情報で読んだが、不動産業はサービス残業が教育業界に次いで多い職種だそうだ。

それはそうかもしれない、と思った。この仕事は、土日は超多忙だし、金曜などは夜遅くまで顧客の相手をしなくてはならないことも多い。

でもウチはそのあたりは堅実で、ブラックの汚名を着せられないように気を配っている。いわゆる「働き方改革」による規制の動きには敏感な方で、残業代は、名目上はちゃんと計算されている。まあマシな方だった。

しかし人気エリアだから、この人数で売買と賃貸の仲介、賃貸の維持管理の業務を円滑にこなすことはかなり無理がある。

ずいぶん前から増員を申請しているのだが、本社のほうは首を縦に振ってくれない。長引く不況で、人材投資を渋っているに違いない。粗利はかなり上がっているはずだが、株主配当などに流れているのだろう。そのうちブラック企業に転落するかもしれない。



「所長、暑いのにご苦労様でした」

「いやいや、たまには現地に行くのも勉強になる」

よく立ち寄る居酒屋でジョッキを合わせた。

「しかしこの界隈も空き家が増えましたね。さっき私が案内した物件も築23年ですが、売りに出されてから1年半たつのにまだ売れません。もう一段下げた方がいいかもしれませんよ」

「どれだっけ」

「中野木のやつです」

「今日の客はどうだった」

「うーん、何とも言えませんねえ。脈があるような、ないような」

「夫婦で来たの」

「ええ、四十代かな。まあ経済的には余裕がありそうに見えましたけれどね。築浅のマンションにしようか、戸建てにしようか迷ってるって言ってました」

「全国で空き家800万戸だっていうからな。ウチの空き家対策もちょっと遅れ気味だね」

「売買と賃貸だけに特化させ過ぎてきたきらいがありますよね」

「そう。これからは空き家をどうケアしていくかが競争の修羅場になるかもな。まずはアパートの空きをどうするかが大きな課題だね。」

「その通りですね。これからは、巡回管理、相談といったサービスだけじゃなくて、場合によっちゃあ、中古を買い叩いてリフォーム、新規売り出しに力を入れた方がいいかもしれませんね。エステリアさんなんかはそっちにシフトしているらしい」

「あそこは大手だし、住宅販売やゼネコンとの結びつきが緊密だからな。やっぱり資金の流動性の面で強いよ。そこへ行くと、ウチは……」

「でも所長、遺品整理とか物流サービスのような細かいところに活路を見出す手もありますよ。」

「なるほど、遺品整理か。それは超高齢社会だからけっこうニーズがあるかもね。今度本部で会議があった時に提案してみよう」

「物流の場合は、たとえばいくつもの運送会社と契約を結んで情報交換し、効率的な配置サービスでサポートする。実際に共同で仕事やってもいいと思うんですよね。あと、ウチにはいまのところ関係ありませんが、もっと大きい話だと、女性の社会進出に応えて住宅と保育所と店舗の複合施設を開発するとか」

岡田は明敏である。私はそこまで考えていなかった。たしかにこの業界も、これからは体面を棄てて、いろいろと多角経営に手を出さないと生き残りが難しいのかもしれない。

一時間半ほど食べて飲んだ後、二人は別れた。やはり、ウチのこれからという点に関しては、景気の良い話はあまり出なかった。
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