第42話 堤 佑介Ⅵの4

文字数 2,855文字



ずいぶん批評家気取りのことを長々と書いてしまった。肩が凝った。オンザロックの二杯目。

マッターホルンによく似たぶっかき氷の大きいやつを入れて、シ―ヴァス・リーガルをゆっくり注ぐと、透明な氷上を琥珀色の液体が滑り落ちてゆく。少しばかり自分自身の頭が冷やされていくようだった。

もう夜更けに近いが、昨日たまたまネット記事で、東都医科大学の入学試験点数操作問題に触れて、考えさせることが書かれてあったのを見つけた。この際もうひと頑張りして、それについても頭を整理しておこうと思う。杉山、小沢両論文のテーマに関係なくもない。



東都医科大学では、7月に、文部官僚の息子を不正入学させたことや、女性の合格を抑制するための点数操作を行っていたことが発覚して大問題となり、10月1日付で初めての女性学長が誕生した。

これは、学長職に女性を据えておけば、「女性差別などしていません」というアピールになり、評判を回復できるだろうという意図があることがすぐ推定できる。それ自体に欺瞞のにおいが漂う。記事にも同じようなことが書かれていた。

ところが記事によれば、この女性学長は2014年にマタハラをはたらいたとして民事裁判で訴えられているそうだ。昨日発売の『週刊海風』が暴いたという。

事実とすれば、そういう人を学長に据えるのは拙いやり方だ。彼女の周辺で知られていなかったはずはないから、それを隠しても「ともかく女性学長を」という声が勝ったのだろう。欺瞞の上塗りということになる。

ところで、点数操作が発覚した時にも感じたのだが、これを女性差別として無条件に告発する空気に私は違和感を持った。なぜそうせざるを得ないかという背景が、医師の世界にはあるに違いないのに、そのことが語られていなかったからだ。

篠原が言っていたように、試験の成績という点では、女子のほうが優秀である。だから点数だけで合否を決めると、医療界は女性医が多数を占めることになる。

ところが医師は責任が重く、気の抜けない重労働だ。必ずしも「入学試験」の成績優秀者が、この任に適しているわけではない。

一方で多くの女性は、妊娠出産というもう一つの重労働を抱え、また子どもが小さいうちは、できれば育児に専念したいという気持ちを抱いている人がほとんどだ。そうすると、医師の世界では、大事な時に一時離脱せざるを得なくなる。

記事では、そのことを裏付けるような数字が掲げられていた。

男女の医師を対象に行ったある調査によると、東都医大が女性受験者を一律減点したことについて、「理解できる」「ある程度は理解できる」の合計が65%に達したという。

また別の調査では、「医療現場で男性と女性の医師とで業務内容などに差があるか」という質問をしたところ、73.2%が「ある」と答えたという。



しかし、この記事を書いているライターは、こうした事実を踏まえながら、「それは、『差別ではなく、事実として女性は厄介な存在だ』と正当化したくなるほど、そもそも医療現場の労働者に重い負担がかかっているということを意味する」と書いている。そして最後は、「医療現場を性別にかかわらず風通しよく働ける職場環境にしていく」ために「社会全体の意識改革が求められる」とあいまいに結論づけている。

この記事は、医療現場での男女の戦力の質の違いが問題なのに、労働環境一般のあり方の問題に逃げている。

そして、「性別にかかわらず」「社会全体の意識改革」という言い方の中に、男女絶対平等イデオロギーへの媚が感じられる。

このライターを批判しても仕方ないだろうが、ここでも、性差がもつ深い意味に切り込むことを避けているのだ。

「意識改革」とは、明らかに男女がすべて平等に働ける環境を理想の方向としているということだろう。思わずそのように書いてしまうのは、いかにほとんどの人が「差別」と非難されることを恐れて、男女の区別について語ることをタブー視しているかを示している。

医療現場での業務内容が男女で異なるのは当然のことである。

また、一律減点に理解を示す医師が多いのも、男女の区別を考慮すれば十分納得できることである。ライターは、それを修正すべき事態だと無意識に考えている。

医療現場という、時間制限のない厳しい戦場で、時には夜を徹して手術などに臨まなくてはならない業務に、女性を男性と平等に従事させなくてはならないとしたら、それは女性にとってあまりにも可哀相だ。

たとえば、ゼロ歳児や1歳児を抱えた女医さんが、わが子の側にいてあげたいと思いながら、乳の張る自分を抑えて、無理に頑張る。こんなのはどう考えてもおかしい。

仕事に就くことをあくまでよしとするような平等主義イデオロギーは、時には女性にとってかえって残酷なことでもあると思う。

これは何も医療現場に限ったことではない。きつい労働現場に男性並みに女性を駆り立てることをよしとするような思想が、どこか間違っているのだ。

とはいえ、もちろん、女性が家庭に引きこもるのもあまりいいことではないと私は思う。

無理がかからない程度に働くのは、それだけ家計を潤すことになる。また未婚時代に仕事を持つことは、本人の自立と成熟を促すし、子育て期を卒業したら、いろいろなかたちで社会との接触を回復する方が、充実した人生を送れるだろう。



共働きが当たり前の世の中になっているが、それは、大部分がそうしなければ食っていけないからで、何も平等原理を貫くべきだからではないし、みんなが働きたがっているからでもない。

大部分の人は、安月給でつらい思いをしているのだ。豊かささえあれば、だれでも、なるべく時間的なゆとりを持った生活を送りたいに決まっている。

政府は、「すべての女性が輝く社会」などという空虚なスローガンを打ち上げているが、レジ打ちや介護士や看護師や小中学校教師のきつい労働に従事して、くたくたに疲れて、女性は輝くのか。アホらしい。

もともとあれは、財界が、低賃金でも文句を言わない女性労働者を、労働市場に駆り立てるための騙しのテクニックだったのだろう。

そうすると、結局は、まず経済が繁栄しなくては話にならないという結論に落ち着く。それを阻んでいるのは何なのだろう。日本のデフレ不況の原因は?

篠原が言うには、財務省の緊縮路線が諸悪の根源ということだった。しかしなぜ財務省は、このままだと国の借金で日本の財政は破綻するとばかり言うんだろう。

金融緩和は続けてきたし、金利は最低だし、アガノミクスでは、たしか積極的な財政出動を謳っていたはずだし……。



ここまで書いてきて、力が尽きた。経済問題になるとどうも弱い。今度篠原に会った時、聞いてみることにしよう。

時計を見ると12時を回っていた。明日は金曜。忙しくなりそうだ。氷が解けてほとんど水みたいに薄くなってしまったオンザロックを飲み干して、寝室に向かった。

また今朝みたいなほんわかした夢が見れるといいのだが。

そう、それより現実にいい女性に巡り合えることでも想像しながら寝ることにしようか。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み