第84話 堤 佑介Ⅻの3
文字数 2,248文字
一夜明けた。
今日は、西山ハウスに老夫婦の鹿野さんが引っ越してくる日だった。
これで、新しく募集した時に入居手続きをした借家人は、すべて収まることになる。異質な人たちの隣りあわせ。トラブルにならなければいいが。
しかし、それを言うなら、「下町コンセプト」でこちらが推薦したシェアハウスのほうが、もっとその可能性があった。一部屋が10室だし、キッチンとシャワールームは1階と2階に一つずつあって共有、誰が入居するのかわからない。
老人どうしというのも、とかく頑固者どうしで喧嘩になりやすいし、異質な人々が共存できるかどうかは、入居者の組み合わせにかかっている。だれかリーダーシップを発揮できる人がいて、その人がトラブルを収めてくれるといいのだが。
もちろん、こういう危惧は初めからあったので、買い取りに成功したら、厳格なルールを決めておく必要があることを、報告書にも盛り込んでおいた。ただ、難しいのは、年齢、性、国籍などで、入居条件をつけられるかどうかだ。
私自身は、たとえば60歳以上というような年齢制限をつけるべきだし、つけることはできると思う。「もみじハウス」とでも銘打って、そういうコンセプトの物件であることを初めから告知しておくのだ。また、国籍も日本人に限るとしてかまわないと思う。
おそらく排外主義との批判が渦巻くだろう。しかし、日本の独身高齢者に集まってもらって和やかな共同体を作ろうという特別な理念を持った集合住宅施設なのだから、乗っ取られないためにも、はっきりとその趣旨を謳う必要がある。
ことに移民促進の旗を振っているいまの政権下では、日本語や日本文化を理解しない移民が紛れ込む可能性がある。政府がだらしない以上、こちらが主体的に防衛に動くほかないのだ。こうした点までは、まだ本部とも、ウチでも話し合っていなかった。
午後、例の松風台の戸建てから連絡が入り、ざっと査定してもらえないかとのことだった。性急な話だ。
八木沢と私とで、現地に赴いた。
売主は井上さんといった。私と同い年くらいだろうか。そういっては何だが、あまり柄のいい人には思えなかった。
ざっと見て回ったところ、八木沢の言う通り、これは上物付きでは厳しく思えた。
「お急ぎですか」
「そう。決めたことは早くやんなきゃ気が済まない性分でね」
「明日以降でしたら、登記所も開いてますから、コピー取ってきて、もっと正確な判断ができますが」
「いや、だいたいのところでいいのよ」
「そうですねえ。じゃあ申し上げますが、どうぞお気を悪くなさらないでくださいね。最初にお断りしておいた方がいいと思うんですが、この物件ですと、上物があると、かえって売れにくいと思います。つまり、このまま価格査定すると、かなり低い金額になってしまいますが、それでもよろしいですか」
「え? そうなの」
井上さんは、自分の持ち物にケチをつけられたように、かなり不満そうな表情をあらわに示した。
「はい。申し訳ありません」
「んじゃ、ぶっ壊して更地にしちゃった方がいいってこと?」
「それは建物によりますけどね。一般に築40年ということになりますと、耐震基準改定の前ですし、建物のほうはゼロ査定どころか、かえってマイナスになってしまうことが多いのが実態です。つまり、そのぶん現状で査定ということであれば、かなり金額が低くなるということです」
「低くってどれくらいよ」
「まあ……25から27ってとこですかね」
「そんなに安くなっちゃうの。この地域高く売れるって聞いたけどな」
「でもこれは、あくまで私どもの、大ざっぱな査定ですから、お客様のご希望通りで一度出してみてもよろしいですよ」
「……」
井上さんは、さっきのふくれっ面を続けたまま、黙っていた。間がもたないので、私は言った。
「あるいは、もしご不満でしたら、他を当たっていただくって手もあります。でも私ども、ここは長いですから、まずそんなに狂いはないと思いますよ」
「いやいや、そりゃわかってるって。他当たる気はねえのよ。それより更地にしたらどれくらいなのよ」
「そうですねえ、それもなんとも言えませんが……ここは土地は30坪いってませんよね」
「いってない。27坪かな」
「そうすると、解体料がかかりますので、それを上積みして……3000万以上で行けると思いますけれどね」
「ふーん。解体料ってどれくらくらいかかるのかね」
「これも業者さんによって様々ですけど、ここでしたら、そうですねえ、150万から200万程度見ておいていただく必要がありますね」
井上さんは貧乏ゆすりをしながら、しばらく考えていた。
「じゃさ、とにかくこのまま28くらいで出してみてくれる? ダメだったらまた考えっから」
「かしこまりました。でもいちおう、正確な面積を知る必要がありますので、明日以降に数字を出しまして、ご連絡差し上げるということでよろしゅうございますか」
「うん、いいよ。だけどなるべく早くな」
オフィスに戻る道すがら、八木沢と車中で話した。あの客はバカに急いでるな、という点で、意見が一致した。
「借金でも抱えてるんじゃないですかね」
「うん、その可能性濃厚だね。でも立派なスポーツカーで来てたけどね」
「ちょっとやーさんぽかったじゃないですか。ああいうのに限って車だけはいいの持ってるんですよ」
「そうね。それだって抵当に入れてるかもよ」
「そうですね。不良息子持ってお母さんも可愛そうですね」
「ハハ……そうと決まったわけじゃないさ」
それからそれぞれの業務に返って、一日は暮れた。