第12話 堤 佑介Ⅱの4

文字数 2,024文字


もっとも、25年前の結婚の時には、そういう感覚はなかった。激しく燃えたというのでもなかったが、普通に相思相愛になり、お互い、そこそこ収入も蓄えもあったので、子どもができてしまえば当然のように結婚ということになった。

たしかそれから間もなくだったと思うが、アメリカの女性人類学者の書いた『愛はいつ終わるのか』という本が評判になった。その本では、「愛は4年で終わる」というのがキーワードになっていて、それには人間としての生物学的な根拠があると説いていた。

生物学的な根拠はともかく、恋愛と結婚生活はたしかに全然違う。その意味では、4年説も現実をよく見抜いていた。

私たちの結婚生活は一応12年続いたが、恋愛感情としては、4年で終わっていたのかもしれない。「子は鎹」ということもあったろう。

不倫関係では、激しく燃えはしたが、代わりに苦しみも大きかった。相手も中途半端を喜ばない真面目なたちで、ずいぶん悩んでいた。

私は1日でも会わないとちりちりと胸を焦がす思いにさいなまれた。一方で、この不都合な関係をどう整理しようかと考えない日はなかった。

芙由美1はしょっちゅう私に連絡してきて、逢瀬を求めてきた。もちろん私からも。

行為の後に、ときどきもつれた関係の清算を迫った。もう打ち切るか、離婚してもらうか。執拗な調子ではなかったが、それだけにいっそう切なくなって、私の心を圧迫した。

しかし2年間秘密を持ちこたえて、とうとう発覚した。あげく離婚後に同棲してみたら、1年半しかもたなかったのだから、やっぱり4年未満で終わったことになる。

私は、「恋愛はめんどくさい」ということを、この経験で実感したわけだった。

恋愛に躊躇する今の若者は、「4年で終わる」という事実を、踏み込む前からすでに予感しているのかな。

だとすると、これは知的な意味での一種の「進化」と言えるのかもしれない。

ただこの進化が、生物的な意味では、むしろ人類の退化につながる可能性があるともいえる。いや、この退化はもう相当進んでいるのではないか。少なくとも先進国では。



『電車マン』と『電子マン』。

二つの本が出たころは、ちょうど私が離婚したころだった。統計で見ると、離婚件数がピークをちょっと過ぎた時期にあたっている。いまでは、あのころよりも離婚は少なくなっているが、なにしろ婚姻数がずっと下がりっぱなしなのだから、それは当然ともいえる。

つまり『電車マン』や『電子マン』が売れたころから、日本人はあまり結婚しなくなった。

「結婚難」はますます深刻化しつつある。それともいまの婚姻率の低さは、単に「難」だけではなくて、もう諦めてしまって結婚する気がないか、それとも、「いい人がなかなかみつからない」というあたりでうろうろしている人も多いのだろうか。

『電車マン』はどうだかわからないが、『電子マン』があれから結婚したとは思えない。電子マンが望んだように、三次元から二次元への「革命的転換」は起きていないが、それでも未婚者が増え続けていることは確かだ。

オタクたちに限っての婚姻率を調べたら面白いかもしれない。きっと全体よりもずっと低く出るだろうな。

でもオタクかそうでないかを区切るのが難しい。

それにしても、このままいくと、日本の家族の未来はどうなってしまうのか。個人化がどんどん進んで、ついには解体してしまうのだろうか。

そういう私も、数えてみれば独身歴10年を越えている。さみしくないといったら嘘になる。これから先、ずっと一人で耐えられるだろうか。しばらくはまだいいけれど、あと10年で定年。そうしたらどうやって生きていこうか。体が利かなくなったら?



娘の亜弥とは、三か月に一度くらい会っている。大学に入学したころから、気持ちがほぐれてきたらしく、ある日、「ママには内緒よ」と言って、向こうから突然電話してきた。一瞬、言葉が出ないほど驚いた。

うれしかった反面、最初は身の置き所がないようなうろたえを覚えた。でも2度、3度と会ううちに、彼女が私のことを許しているらしいことがわかってきた。

もともと私は子どもが好きで、亜弥が小学校6年の時に別れるまで、とても可愛がっていた。小さい時の父と娘のつながりは、思春期になると一時途絶えて娘が父を嫌悪するようになるとよく言われる。

しかし私の場合は、とにかく物理的に離れていたのだ。これは今になってみると、かえって良かったのかもしれない。

亜弥はもうすぐ26で、建築事務所に勤めていた。こっちの仕事とも大いに関係がある。それで話がよく合った。仕事が終わった後でデートして、ごちそうしてやる。私はその時ばかりは幸福感に浸った。

俺の体が利かなくなったら、もしかするとあいつのご厄介になるのかな、それだけはどうしても避けたい。あいつには、俺のことなど振り向かずに、自分の道をずんずん進んでいってもらいたい。

ひとり侘しくオンザロックを傾けながらこんなことを考えているうちに、眠くなってしまった。
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