第62話 半澤玲子Ⅸの3

文字数 3,039文字



《堤 佑介さま

メール、ありがとうございます。ほめていただいて恐縮です。

いま宮益坂のレストランで一人食事しながらこれを書いています。

ついさっき、渋谷駅からここまで歩いてきたのですが、ほんの二日前、ハチ公前広場で例のハロウィーン騒ぎがあったことを思い出しました。それで、あの若者たちの騒ぎの意味は何なんだろうなんて、考えてしまいました。

何かお祭りのようなイベントをするならわかるのですが、そうでもなくただ仮装したりしなかったりする男女が群れてぞろぞろと歩く。みんなが、あそこへ行けば何かがあるんじゃないかって頼りない期待を抱いてやってきて、でも何にもないんですよね。

こんな言い方していいのかどうかわかりませんが、あれって一種の難民じゃないかって思いました。非正規で雇われていて、安月給でこき使われていたり、転職を繰り返していたり、ニートだったりする若者たちが、さしたる目的もなくただ賑わいを求めて集まってくる。なんだか空しいなあ、と、そんな気がしてなりません。

これはやはり、不景気の世相を反映しているのでしょうか。

この前の前のメールで、堤さんは、消費増税の必要などないのに政府が国民を騙しているとおっしゃっていましたね。

あれはどういうことなのか、知りたくなりました。うまく自分の気持ちを説明できないのですが、若者たちがああいう目的のない行動に走る空気と、堤さんのおっしゃるいまの政府の「間違った政策」との間には、マイナスのつながりがあるのではないかという気がして仕方ありません。

お忙しい中、申し訳ありませんが、もしわたしの疑問にお答えいただけるお気持ちになりましたら、お返事、よろしくお願いいたします。けっして急ぎませんので。



暗くて難しいい話題になってしまいました。

お仕事のほうはいかがですか。

いろいろとたいへんなこととお察しいたします。

わたしのほうは相変わらずです。

少し前から、社員におだてられて、エントランスに花を活ける役を務めています。3日前、会社のエントランスの花を新しく活けてみました。じつは、その前に活けた花に手を引っかけて、花瓶を割ってしまったのです! お恥ずかしい。

その償いに、自分で水盤を買ってきました。

大原流は、水盤と剣山を使うことが多いので、これからは、この水盤で腕を見せることになります。スタイルには大きく分けて、直立型と傾斜型があるのですが(ほかにもいろいろありますが)、わたしはどちらかといえば傾斜型のほうが好きです。今回も左に大きく寄せる形にしてみました。写メお送りしますね。ご笑覧いただければ幸いです。



『万引きファミリー』、わたしも見ました。とても重い映画ですね。一家で万引きや略取誘拐まがいの違法行為をやりながら、かえってそのことで疑似家族の絆がだんだんと深まっていくのが印象的でした。彼らに加勢したくなってしまいました。

でも柄川明演じる駄菓子屋のおじさんの優しい忠告も人間味あふれていて、すごくよかったですね。それと、尋問を受ける時の進藤さやかの迫力。

ラストシーンで女の子が実家に戻されてベランダで一人寂しくしていたのがとてもかわいそう。あの子はこれからどうなってしまうのかと思うと、やりきれなくなります。



また話題が暗くなってしまいました。ごめんなさい。この次は、もっと楽しいお話をしますね。

今日は急に寒くなりましたけど、くれぐれもお風邪など召しませぬように。》



そのうち、映画や美術展などご一緒できるといいですね、と書こうと思ったが、やはり相手が誘ってくれるのを待とうと考えなおした。それに、お互いの休日がずれているので、なかなか会えない難しさをどう乗り越えるかが問題だ。

平日、二人ともが早く退けた夜に会うか、そうでなければ、どちらかが有給休暇を取るか。仕事からいえば、わたしのほうが取りやすいだろう。何しろ向こうは、責任ある所長だ。

ひょっとして、旅行だって一緒にする仲になれるかもしれない。そうしたらどう考えても休暇を取るのはわたしのほうだろう。

ここまで考えて、自分がすっかり堤さんと会う気になっていることに気づいた。

あ、旅行だってさ……。また頬がほてるのを感じた。さっきよりも強く。

いつの間にか妄想の世界に飛んでいるのかもしれない。深呼吸しながら、混んできた店内を見回した。ワインをお代わりした。渋味が口の中に広がると、それが浮き立つ自分を引き留めるように思えた。まるで日々の人生のそれのように。



帰宅して落ち着いてみたら、岩倉さんからメールが入っていた。



《お久しぶり。どうしているかなと思ってメールしてみました。

あれから中間テストがあったりして忙しかったので、そのままになってしまいました。

誘ってくれるかなと期待はしていたのですが、催促がましいのもどうかなと思い、こちらから連絡するのは控えていました。

じつは、山好きの仲間で「高山植物研究会」というのをやっていて、明日、文化の日にみんなで集まることになっています。急なお知らせで申し訳ないけど、もし都合がつくようでしたら、来ませんか。

メンバーは、七、八人で、女性も二人います。山で撮影してきた高山植物の写真をプロジェクターで映して、どの山でいつ撮ったか、本人の説明を聞き、名前を言い当てたり、その時の経験談を話し合ったりします。そのあとみんなで植物図鑑(立派なのがあります)で確認し、その植物にまつわる生態系など、学問的な問題などについて議論を交わします。

こう書くと堅苦しく聞こえるかもしれませんが、けっこう気楽な会です。楽しみながら、自然に知識が身につきます。お花をやっている玲子さんにとって、まんざら無関心でもないだろうと思います。

 終わってから、街へ呑みに繰り出します。よろしかったらこちらもどうぞ》



そのあとに、会場と時間が書かれてあった。

それなりに気を遣ってはいるが、なんだか素っ頓狂だ。言葉遣いもぞんざいになっている。いかにもあの人らしい。この前の「心豊か」に誘った時とどこか似ている。やはりわたしのことなど考えていないのだ。

高山植物研究会? そんなところに、山について何の関心もないわたしがのこのこ出かけて行って、どうしようというのか。それとも、一回会っただけで、わたしを恋人気取りで仲間に紹介でもしようというのだろうか。

もし本当にわたしのことを思っているのだったら、むしろなぜ10日以上も連絡してこなかったのか、なじる調子でもかまわないから、その理由を問い尋ねてくる方が自然だ。1日前になって、自分の仲間の会に引き入れようなんて、強引すぎる。

明日は別に予定がなく、たまった洗濯と掃除を済ませたら、買ってあってまだ見てなかったDVDでも見ようかと思っていた。

そう、まったくそのとおりにしよう。



《岩倉様

 こんにちは。

 わたしのほうからお誘いするなどと言っておきながら、そのままになってしまい、申し訳ありませんでした。こちらも同じく、仕事が忙しくて、毎日帰宅が10時過ぎでした。

 お誘いいただきありがとうございます。でも残念ですが、明日は予定が入っております。

 またたいへん申し上げにくいことですが、少し考えるところがありまして、これからお付き合いを続けるかどうか、しばらく時間をいただきたく存じます。

 重ねてお詫び申し上げます。》
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