第60話 半澤玲子Ⅸの1

文字数 2,349文字



2018年11月2日(金)



今朝は早く目が覚めた。寒かった。温度計を見ると13度ちょっと。外はもっと寒いだろう。うっかりポトスとポインセチアをベランダに出したまま、昨日しまうのを忘れていた。もうお部屋に入れてあげなくては。

窓を開けると、冷気がさっと入ってきた。晩秋の気配のなかに一瞬にして身が包まれる。

この季節が好き。身が引き締まる思いがするし、木の葉がだんだん色づいてゆく。空気は適度に乾き、青空が広がる日も多い。今日も快晴が続くらしい。

武蔵野はもう紅葉が見られるかしら。母は元気にやっているかしら。ハナは?

それに……。

先週の木曜の朝、スマホを開けてみたら、「ゆう」さんから返事が来ていた。とても誠実でまじめそう。

この人にメッセージを送ったのは、岩倉さんとの件とその後の失敗があったので、半ば自分をヴァーチャルな次元で救い出そうと思ったからだ。ところが思いがけず、返ってきた文面は、好意的で真剣に答えている雰囲気がにじみ出ていた。

うれしかったので、先週の土曜日にちょっとがんばって返信した。



《ご親切なお返事、まことにありがとうございます。

 わたしのほうで強引にご質問したのですから、堅苦しい印象を持ったなんてことはまったくありません。

 どちらかというと、政治や経済に興味をお持ちなのですね。私はそのへんは意識が低くて、あまり考えてこなかったのですが、これから「ゆう」さんに教えていただければ、と思っています。

 ただ、お話の中にLGBT差別と書かれてあったので思い出したのですが、ひと月ほど前にテレビで、ある月刊雑誌(名前を忘れました)が、LGBTについて書かれた論文のために休刊になったというニュースを見ました。

 わたしは、この雑誌を読んだことがありませんでしたし、どういう理由で休刊になったのかもわかりません。でも、こういう人たちが何かと話題になったりする背景には何があるのかという点については、関心を惹かれます。

 それから、不景気の原因についての「目からウロコ」というのにも、とても興味があります。政府は、景気は回復しているなんて言ってますけれど、そんな実感はありませんものね。こんな時に消費税を10%に上げたりして大丈夫なのかなと、日頃から心配しています。



 趣味の欄に活け花と書きましたけれど、いまはあまり真面目にやっていません。でもこのごろ少し本気でやり直そうかとも考えています。じつは、わたしの母がお花の師匠をしているので、その関係で、若い頃の見よう見まねで少し心得がある程度です。流儀は大原流です。

 国内旅行も美術館巡りも、最近はさっぱりです。プロフィールの趣味のコーナーって、あることないこと書き並べるところがございますでしょう。私も同じです。

 でも昔行ったところで想い出深いところと言えば、夏の夕暮れ時の奥入瀬渓流、ランプの宿・青荷温泉、雪の越中五箇山合掌造り、京都天竜寺の紅葉、といったところでしょうか。

 画家で好きなのは、モネ、マティス、ミュシャ、佐伯祐三、日本画の加山又造……、いま東京で展覧会が開かれているフェルメールも大好きなのですが、土日は混むでしょうし、予約制なので、なかなか行く機会がつかめません。



 お話についていけるかどうか自信がありませんが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。》



だいぶメッセージを書くことそのものに慣れてきた。

しかし岩倉さんとのことにケリをつけた(と自分で決めているだけだけど)後、まだいくらも日にちが経っていないのに、もう新しいつながりを求めている自分に対して、軽薄さを感じないではなかった。

でも、いいんだ。人の気分なんて5分で変わる、そう言い聞かせてすらすらとキーボードを叩いた。人生は乗りだってね。

じきに返事が来た。

自分の政治的な考えは、なかなか人にわかってもらえないので、あまり話さないようにしていること、それでもあなたにはもったいぶるのが嫌なので、簡単に話すこと、LGBT騒ぎは、実際に差別があるのかどうかよりも、野党が政治課題のために利用している面が強いこと、消費税増税の必要は全くないのに、政府が国民を騙していること、活け花についてもっと詳しく知りたいこと、旅行や美術の話を聞いて、あなたの趣味にとても素敵なものを感じたこと、などが書かれていた。

そして最後に、Fureaiサイトのメッセージ欄は記入欄が狭いため、長く書きにくいので、もし差し支えなければメール交換に切り替えないか、ついては自分のアドレスはこれこれである、と付け加えてあった。堤佑介という本名とともに。

わたしはこの提案に賛成し、自分のアドレスを教え、本名を名乗った。映画の話もした。先ごろ亡くなった悠木果林を惜しむ話も。折り返しメールが来て、自分も悠木果林が大好きで、『万引きファミリー』での演技に心から感服しており、本当に惜しい女優を亡くしたと嘆いていた。それが、おとといだった。

先方がわたしにどんな感じを抱いているのか、しかとはわからない。でも少なくともわたし自身は、今までのところ、とても呼吸が合うのを感じていた。それで、ちょっと浮き浮きしている。このままいくと、近いうちに会うことになりそうだ。

この呼吸の合い方は、岩倉さんとメッセージ交換していた時のそれとは違っていた。あの時は、しいて言えば、紳士淑女のよそ行きムード、それに対して、今回は、何と言ったらいいのか、懐かしい人に巡り合ったような感じなのだ。

今日まで、岩倉さんは何も言ってこなかった。わたしのほうが誘うと言ってから10日以上たっているのに、どうして誘ってくれないのか問い合わせてこない。やっぱり向こうも実際に会ってみて、わたしへの関心を薄くしたか、それとも、じっと待っているのか。
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