第40話 堤 佑介Ⅵの2

文字数 2,207文字


午後、少しいまの国民の生活状態について、統計資料に当たってみた。

厚労省が出している平成29年版の少子化社会対策白書によると、1997年には日本人の給与所得者の年収が一番多く集まってる階層、つまり最頻値が、500万から699万だったのに対し、2012年には、300万から499万に下がってしまった。15年で最頻値が200万も落ちたことになる。

また、国税庁の民間給与実態統計調査によると、年収200万円以下のワーキングプアの人数が、2013年以降ずっと1100万人を超えていて、これは1996年の1.4倍に相当する。

さらに厚労省の福祉行政報告例によると、生活保護世帯総数は1993年から2015年までで、2.7倍に増えている。

別の情報にもリンクしてみた。まず実質賃金がどれくらい低下しているか。
何と1997年から2016年までに、年収で61万円も下がっていることがわかった。

1997年と言えば、たしか消費税が3%から5%に値上げされた年だ。やはりこのころから国民の貧困化が始まったのだ。

一方で、大企業の内部留保のほうは対照的に上昇している。つまりデフレのために大企業は投資に手を出さず、労働分配率も下げているので、勤労所得は減るばかり。これでは貧困層が増えるのも当然だ。

またワーキングプアの多くは、ひとり親世帯、それも多くは母子家庭だろう。それで、子どもがいるひとり親世帯の貧困率も気になった。

こちらは、OECD30カ国のうち、日本が群を抜いて一位になっていた。
そういえばボランティアで「子ども食堂」などというのがいつのころからか登場し、満足に食事も与えられない子どもに、歳末の炊き出しみたいに食事を提供するようになったという。これも激増しているそうだ。

こんなひどい状態なのに、政府は「景気は緩やかな回復基調にある」などとデタラメを吹き回って、しかも消費税を増税しようとしている。いったい、この国の政治はどうなっているのか。義憤が吹き上げてくるのを抑えることができなかった。

このエリアでアパートを借りていた人が引っ越した後、補填が効かなくなったということは、単に供給過剰だけが原因なのではなくて、年収のモードが大きく下がってしまったことや、ワーキングプア層、生活保護世帯が増えていることと符合しているに違いない。

他よりも家賃が高い賃貸住宅など、借りられないのだ。家賃を払ったら家計収入がほとんど残らず、生活できない人がどんどん増えている。その人たちはもっと劣悪な居住環境へと落ちて行ったのだろう。

この地区で仕事をしていると、そうした劣悪な住環境で暮らしている人たちの生活ぶりについ想像力が及ばなくなる。でも実態は相当悲惨なものなのだろう。

その事実を、あの西山の爺さんは間接的に教えてくれた。また同時に、西山の爺さんの今後も思いやられるのだった。



夕方近くになって、西山の爺さんから電話がかかってきた。当分売るのは止めにして、敷金ゼロ、家賃を9.2万円から8.4万円に、9万円を8.2万円に思い切って下げる。これで広告を打ってくれないかというのだった。

ちょっと鼻白む思いだったが、価格の決断自体は悪くない。これなら客をつかめるかもしれない。わかりました、詳細を決めるために後日所員をお宅に伺わせますと答えて、日程の約束を取り付けた。

とはいえ、6室すべてを埋めるのは難しい。あと1年以内に仮に半分埋まったとして、5室だから売上約40万。

固定資産税や管理業務の手数料、これからかかってくる修繕費に要する費用などを考えると、実収入はかなり減額されることを覚悟しなければならない。

それに若いカップルは、結婚しているとは限らないので、じきに別れちゃったりして、流動が激しい。

結婚していればいるで、子どもが少し大きくなるともっと広いところに引っ越してしまうかもしれない。あの間取りは、そういう中途半端さも抱えているのだ。

また、最近の借主は強気になっていて、何かとクレームをつけてくることが多い。借主どうしのトラブルも起きるし、家賃の踏み倒しも多くなっている。複数の借主を抱えたオーナーが、こうした問題による心労に耐えられるかどうか。

まして西山さんは高齢者だから、それがますます心配である。結局、こちらに尻を持ち込むことになるだろう。

営業成績を少しでもアップさせるために管理業務委託を引き受けるか、人手不足を理由に他を紹介するか、悩ましいところだ。

でもたしか今年の5月ごろ、「ジョブトーン」というテレビ番組で家賃Gメンの活躍を取り上げていた。いざとなったらそういうところに託す手もある。しかしそれだってオーナーの経済的負担が増えるわけだ。

とにかくアパート経営は、最近は不安定で、ひところのようにあまり手を出す人がいなくなっているのが現実だ。このままデフレが続くとすると、高齢者はむしろ現金を持っている方が生活費が安くなって安心なのだが。

でもまあ、ご本人が決めたのだから、どうこういう筋合いではない。おそらく、一度手にした資産と事業経験の感覚が染みついていて、手放す気になれないのだろう。持ち家に対する執着が強い世代だから、それはそれでわからないわけではなかった。

しかし世の中は急速に変わりつつある。古い規範やモデルは崩れていく。居住スタイル、恋愛、結婚、家族、高齢者、そしてマイノリティ問題……。

何となく暗い気分にさせる一日だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み