第102話 堤 佑介ⅩⅣの1
文字数 3,637文字
2018年12月15日(土)
れいちゃんと初めて結ばれてから、もう半月経ってしまった。その間に4日に同じホテルで会い、11日の誕生日には、彼女のマンションに泊まった。彼女との絆はいっそう深まり、これからの付き合い方についても、同じ考え方をしていることがわかった。
だが仕事のほうでは、いろいろとややこしかった。めんどうなことと楽しいこととは、いつも入り乱れながら訪れてくる。私たちは、そのたびに気分のモードを切り替えながら、日常をやりくりしなくてはならない。
4日は、井上さんの古家の解体費用を査定してもらう日でもあった。八木沢に現地に行ってもらって、報告を待つことにした。
経理の渡辺からは、11月の収支報告が上がってきたが、あまり成績が思わしくない。成約数は下がってはいないのだが、賃貸の低家賃のところが多く、売却物件の売値も低くなっている。
デフレがますます進んでいるという印象だった。
仕事は楽になってはいないのだ。だからこそ雇用を一人増やしてもらったのだが、その手前、業績を伸ばさなくては、本部に顔が立たない。
年明けの繁忙期を控えて、今月中にも、カード決済を増やしたり、限られた人材の有効活用など、何らかの効率化を図らなくてはならないだろう。今日からそれについて対策を考えることにした。
八木沢が帰ってきた。怒ったような表情をしている。この季節にしては異様に暑い日だったからかもしれない。
「どうだった」
「所長、あの井上さんて人はほんとジコチュウで困りますね」
「まあまあ、落ち着いて。お茶でも飲んで。で、何があったの」
「三和工事さんが、丁寧に調べて、そのあと、6日に見積もり出しますって言ったんですよ。ふつうそうしますよね。そしたら、いまここで出せないのかって言うんですよ。上司と相談しなくてはなりませんから、いまここではちょっとって返事したら、じゃ、あんたの概算でもいいから言ってみろって」
「そりゃ困ったね。それで?」
「三和さん、仕方ないから、まあ150万から180万くらいですかね、って」
「それ、言わない方がいいんだよね。あとでこう言ったろってつけ込まれるから」
「ですよね。そしたら、井上さん、120万くらいにまからないかって価格交渉始めちゃったんですよ。三和さんが、それは私の一存ではきめられませんので、ご勘弁くださいって。それでも井上が粘るんですよ。仕方ないから、わたしが間に入って、井上さん、お気持ちはわかりますが、三和工事さんがあさってちゃんとした見積書を必ず出しますから、それから交渉なさってもよろしいんじゃないでしょうかって言ったんです。そしたら、今度はわたしのほうにらみつけて、そんな悠長なことしてられねえんだって凄むんですよ」
「そりゃ、やくざだな。悪かったね。近いんだから私が行けばよかった」
「いえ、所長のお役目じゃないから、それはいいんですよ」
「で?」
「わたしも内心ムカッとしてたんですけど、ぐっとこらえて、あと2日のご辛抱ですから、そこを何とかって何度も言ったら、ようやく引き下がりましたけどね。あれ、ホントの息子かよ」
「一応、売却の時、戸籍抄本持ってきたからね。免許証も見たし」
「そうなんですよね。それにしても、お母さんがホーム入りを喜んでたなんてウソで、無理やり放り込んだんじゃないですかね」
「そうかもしれない。でもそれはしょせんわからないね。それより、まあ、何とか今日のところは収まったから、よしとしようじゃないか。どうもほんとにご苦労さま」
「でも、更地にしたら、ウチの仲介物件になるんでしょう。先が思いやられますね」
「そうだなあ。いや、まだ更地段階での契約結んだわけじゃないから、まずいと思ったら、他を斡旋する手もあるよ。とにかくその時はその時だ」
八木沢は、しぶしぶ自分の席に戻った。書類を叩きつけるようにデスクに置いた。よほど腹に据えかねたと見える。
彼女はガッツがあり、物事をてきぱきと運ぶが、ちょっと切れやすいところがある。営業には向かないかもしれない。温和な山下と足して二で割るといいのだが。
井上問題がこじれて、部下に不向きなことを強いつづけると、パワハラと見なされかねない。あまり高い給料を払っていないのだから、下手をしたら転職してしまうかもしれない。
そんなことを感じながら、さっきの人材の有効活用の問題に連想が及んだ。
おそらくウチのスタッフの職分についての方法論も、見直すべき時が来ているようだ。あまりそういうことはしたくないのが本音だが、もう少し厳密に「適材適所」を考えるべきなのだろう。基本は適材適所、しかしガチガチに固めるのではなく、常に「臨機応変」の余地を残しておく。
難しい課題である。
その同じ日の4日、れいちゃんは、暑い日にふさわしくハーフコートの前を開けて、麻のような茶色のブラウス姿という軽装だった。マリンブルーのロングスカート。センスのいい女だ、と思った。
部屋に入ると、この前の電話でのセクシーな声が頭の中に甦った。
私は気がせいて、彼女を立たせたまま素裸にした。彼女も私の脱衣に手を貸した。シャワーを浴びたいとはもう言わなかった。
私はひざまずいて乳首から下へ唇を這わせ、濃い茂みに口づけした。野生の匂いがした。その時漏れた声が、あの電話の声と同じだと思った。
ベッドで体を合わせると、初めの時よりもれいちゃんは積極的に私をいざなった。そしてその乱れるさまが私の興奮をいっそう呼び覚ました。
「れいちゃん好き、れいちゃん好き」と私はささやきながら行為を続けた。れいちゃんはそのたびに「わたしも、わたしも、ゆうくん好きよ」と呼応して、私の背中に指を食い込ませた。
「こないだの電話の声、すごくセクシーだったよ」
「フフ。あれは友だちの家のトイレに入ってたから内緒話みたいになっちゃったの」
そう言ってから、れいちゃんは私の上にのしかかってきた。
「ゆうくん」
うるんだ目でわたしをじっと見つめた。
「なあに?」
「……愛してる」
耳元でのささやきだった。
「……」
「初めて使った」
私はその言葉を信じた。
答える代わりに、私は彼女のむっちりしたお尻をつかんで軽くもみもみした。それからわき腹をきゅっとひねった。彼女はひどくくすぐったがって体をよじった。そしてまた私の上に身を載せてきた。
「重くない?」
「重くないよ」
そのかっこうのまま、私たちは話し続けた。
「友だちって、よく会うの?」
大学以来の親友で、すごく仲がいいこと、とてもクールなので、彼女にはいろんな面で助けてもらったこと、婚活サイトも彼女に勧められて始めたこと、今度紹介すること、などをれいちゃんは語った。
「勧められたってことは、その絵理さんもサイトで彼氏見つけたの?」
れいちゃんは、私から身を離した。そして、少し考えてから、その通りだが相手が妻子持ちだったと告げた。奥さんにもばれてしまった、いまエリは、その複雑さのさなかにいる、とも。
婚活サイトへの登録は、当然、独身者であることが条件である。そういうルール破りに抵抗感はないかと、彼女は私に聞いてきた。
私は答えるのに戸惑った。
ああいうサイトには、ヤリモクの男が群がる。そのなかには、当然、浮気目的の男もたくさんいることだろう。いや、女だっているかもしれない。だからかまわないとは言えない。
その絵理さんの相手が、浮気目的だったのか、そうではないのか、それはわからない。
そもそも浮気と本気の間に線が引けるだろうか。本気のつもりが浮気で終わってしまうこともあるだろうし、浮気のつもりが本気に深入りしてしまうこともあるだろう。
また、私自身が不倫経験者だ。その立場からすれば、その男を道徳的に責める資格はない。
婚活ルール破りと言ったって、冷えた夫婦関係なら、そんなこともありうるだろうし、国法に触れているわけでもない。婚活サイトというようなシステマティックな仕組みでルール破りをするのと、ふつうの出会いが高じて一線を越えてしまうのとで、そんなに差があるとも思えない。
要は、当事者同士の感情の持ち方次第だろう。
愛憎の問題は、とりあえずルールとは関係ない。ルールがかかわってくるのは、エロスの関係がそのほかの社会関係とからまって、軋みを生じてしまってからあとのことだ。
私は聞いた。
「絵理さんは、その人を愛してるの?」
「うん。愛してる、と思う」
「それで、れいちゃんは、エリさんになんて言ってあげたの」
「応援するから闘うべきだって。諦めると決めた場合でもサポートするって」
なるほど。私は二人の友情が羨ましかった。
正しい、正しくないが問題じゃない。深く信頼しあっている親密な人どうしが、互いにどこまでも寄り添うこと。それがたぶん一番大事なことだ。たしか『論語』にもそんなくだりがあったな。
「それ、言うのに勇気が必要だった?」
「勇気、というか……何言ってあげられるかって決めるのにちょっと時間がかかったわね」
私は言った。
「……いいことを言ってあげたね」