第98話 半澤玲子ⅩⅣの4
文字数 2,543文字
11日はとても寒い日だった。そして雨が降りそう。
4日はすごく暑かったのに、対照的だ。このままどんどん寒くなっていくのかしら。そんなことはないと思うけど。ゆうくん、風邪ひかなきゃいい。
バースデー・ケーキは前日、会社の帰りに買ってきた。
ケーキを受け取る時、なぜか、さっきまで黙々と勤務していたさくらちゃんの姿が思い浮かんだ。わたしが退社する時、彼女はまだ残ってて、「お先に」っていったら「お疲れさま」って、元気よく返事したけれど、何となく思い屈しているように見えた。
破談になる前日だったというのは、あとで知ったことだ。
朝、掃除を念入りに済ませた。冷たい空気が部屋を満たした。床暖房とエアコンで急いで温める。お昼を早めに食べて、ゆっくり食事の下ごしらえにとりかかった。
お献立。
・新玉ねぎとツナの和風サラダ
・鯛の和風カルパッチョ
・厚揚げと豚肉の和風煮
・なめこ汁
・なすのおしんこ
・大根の葉とじゃこの炊き込み御飯
時間が近づいたので、床暖もエアコンもつけっ放しで出てきた。
黒いダウンジャケットを着て、改札の外側で待っていた。足元から寒さが伝わってくる。
右奥のほうからゴーッという音が近づいてきた。たぶんこの電車だ。普段着の自分。それを佑介さんの前にこれからさらす。
平日のこの時刻、まだ通勤客は乗ってないから、電車はすいている。そして、ゆっくりと停車した。この駅で降りる人はあまりいない。
わたしは改札の外側から身を乗り出して車内を見回す。ぱらぱらと客が降りる。
少し前のほうから、青いダウンジャケットを着た彼が近づいてきて、すぐ私を見つけた。着ぶくれして大きく見える。肩にかけた、もう擦り切れている古鞄。わたしのプレゼント、使ってね。
「寒いねえ、きょうは」
「寒いわねえ。夜、雪が降るかもしれないって言ってたわ。そうしたら雪の誕生パーティね」
「それも風情があっていいね」
さすがにこの狭い改札で抱き合うことはせずに、急いで地上に出る。
寒さがひときわ身に染みる。わたしは彼の腕に抱きつくようにして歩き出す。
「……すっぴんで来たの」
「ん?」
「こういうわたしも見てほしいから」
「うん。いいんじゃない」
「あ、こっち曲がるの」
もうほとんど真っ暗だ。後ろからスカイツリーのライトアップが道をぼんやりと照らしてくれる。
「地図で見たけど、このへん、すごくお寺が多いね」
「うん。お寺だらけ。うちも東本願寺のすぐそばよ」
「いいところだね。雷門は近いし。自分で探して見つけたの?」
「うん。でも特に選んだわけじゃなくて、何となく決めちゃったの。あ、ここです」
エレベーターで8階まで。防犯カメラに映されるのもかまわず、そこで口づけを交わした。寒さから、気分がだんだんと甘さのほうに移っていく。
「わあ、きれいだなあ。築何年?」
「10年かな」
いつかのエリと同じことを聞かれたな、と思ったが、
「まるで新築みたいだね。ヘンな話、これだと立地もいいし、駅近だし、相当高く売れるよ」
そうか、佑介さんは不動産屋さんだった。そこに目が行くのは当然だ。
でも、考えてみると、ここを売るというのは、場合によっては、意外と現実的な話になりつつあるのだ。佑介さんはそんなことを考えて言ったのではないだろうけれど。
「あ、これがおととい活けたやつだね! うーん、すごい! 可愛くて、すきっとしてて、しかも力強くて、うまく言えないけど、すごいよ」
「ありがとう。どうもありがとう。二つのバラがわたしたちのつもり」
わたしたちは、抱き合いながら、しばらく「作品」の前に立っていた。うれしかった。すごくうれしかった。
シャンパンとケーキで型どおりにお祝いした。わたしの立てたローソクは二本。佑介さんはわざと力を込めて吹き消した。
猫印のバッグを渡すと、佑介さんはとても喜んで、「YUSUKE」の文字をゆっくり撫でた。
「すぐ食事にするから、ケーキは食後に食べましょうね」
「いろいろ、すまないね。手伝うよ」
「だいじょぶよ。もうだいたいできてるの」
まずサラダとカルパッチョを並べる。
煮物やなめこ汁の食材も調味料も下準備してあるので、火にかけるだけ。
炊き込みご飯はスイッチ・オンでOKだから、頃合いを見計らって。
カーテンの隙間から外を見ていた彼がテーブルに戻ったのをきっかけに、ビールから始めた。
「景色もいいねえ。なだれ込みたくなっちゃった」
「まあ。ホホホ……。でも狭いわ」
「そうだ。今度僕のうちにも来てくれる? こんなきれいにしてるれいちゃんが見たら汚くてびっくりすると思うけど、きちんと片付けておきますから」
「行きたいわ。今年中に行きたい」
佑介さんはさっそく古鞄から手帳を取り出して、
「うーん、クリスマスに、と言いたいところだけど、この辺はちょっと厳しいな。28日なら、仕事納めで午前中で終わるから、それでもいい?」
「いいわよ。私は28日はもうお休み。そしたら、あの幻のポトフ、作ってあげるね。材料知らせるから、買っといてね」
「わかった。それってすごくいいね。幻のポトフか。そういえばあのメールは切なかったな。あれ読んだとき、すごく一緒にいたいって思いがこみ上げてきて」
言いながら佑介さんは、サラダとカルパッチョにお箸をつけた。味付けがすごくいいとほめてくれた。
「この味がいいねと君が言ったから11日はゆうくん記念日」
「ハハ……その『ゆうくん』のところを○○としておいて、何か二人にとって大事なことを表す言葉を入れた方がいいかも」
そういうと同時に、彼の表情がちょっと真剣になった。思わず言ってしまってからそうなったという感じだった。わたしもそれを聞いて、真剣な気分になった。
佑介さんは、わたしのグラスにビールを継ぎ足した。わたしも彼に注いであげた。
あんまり真剣になると、楽しさが半減する。いまはちょっと待とう。でも今日か明日かで、私の気持ちを必ず、しっかりと話す。
そう決めてからすぐ立ち上がり、キッチンに入って炊飯器をオンにした。それから煮物を作った。
煮物を大きな鉢に移して、そろいの取り皿で食べた。
「うまい! お料理屋さんみたい」
「よかった。厚揚げがおいしいでしょ。これ、四谷三丁目に山形料理の店があって、そこの鍋がおいしいんで、似てるのをネットのレシピで探したのよ」