第81話 半澤玲子Ⅻの5

文字数 2,254文字



食器を洗ってから、ちょっと散歩に行くと言って表に出た。出たところで、落ち葉を掃除している増川さんのおばさんと出くわした。わたしはまず黙礼した。

おばさんは、少しけげんそうな表情をしたが、すぐ気づいて、笑顔を返した。

「まあ、玲子ちゃん? お久しぶりねえ」

「お久しぶりです。母から聞きました。このたびはご愁傷さまでございました」

「はい、どうもありがとう。でも、もう年でしたしね。順繰りに逝くのよ」

「おばさん、大丈夫ですか」

「ええ。ちょっとごたごたしたけど、もう元気になったわよ」

「これからお寂しくないですか」

「そうね。息子たちに来てもらおうかとか、いろいろ考えてはいるけど、向こうの都合もあるしね。ま、四十九日過ぎてからゆっくり考えるわ。いざとなったら一人でもいいと思ってるの。お宅のお母さんだって、ああしてがんばってるしね」

話している間にも、落ち葉が舞い降りてくる。

今年は木枯らしが吹かないそうだ。だから落ち葉は一つ、また一つと、静かに枝を離れていく。その風情は、はかなさが目に見えるようで、なかなか味わい深い。増川のおじさんもそういうふうに散っていったのだろう。



公園を一回りして家に戻ると、3時だった。

「準備、手伝うわ」

「なに、大したことないよ。3人だからね。それより玲子、なんだったらお前も一緒に活けない?」

「わたしが? おじゃまじゃない?」

「そんなことない。むしろありがたいわ。みんなにも紹介するよ」

「花材は余分にあるの?」

「あるわよ」

「どんな方たち」

「学生さん一人と、30代二人、みんな女性。まだ初級よ」

「わかったわ。付き添うのも勉強になるわね」

「そうよ。アドバイスしてあげて」

アドバイスまでできるかどうか、それは自信がないけれど、いい活け方かそうでないかは判断がつくだろう。



「これ、娘の玲子です。少しばかり心得があります。こちらが渋川さん、と、山根さん、で、こちらが学生さんの前原さん」

「玲子です。どうぞよろしく」

「よろしくお願いしまーす」

「今日から傾斜型のレッスンに入ります。傾斜型は、主枝をぐっと左か右に延ばして、垂直線から60度ないし90度の範囲内に傾けます。そして客枝を前方に。上から見た時は、そうですね、主枝と客枝の間が120度くらい開くのが標準です。それ以外はすべて中間枝です。その点は直立型と同じで……」

母が板についた調子でしゃべり始めた。

わたしも母と並んで、プリンセスと呼ばれる花器の前にラナンキュラスと鳴子ユリを置いて、神妙に母の話を聞いた。鳴子ユリが主枝と中間枝、ラナンキュラスが客枝。

みんな真剣に活けていた。それぞれの生徒さんがほぼ活け終わったところで、母が一つ一つ点検、修正。私のには何も言わなかった。前原さんのはけっこうセンスがよかった。若いってことは素晴らしい。

山根さんがちょっと悪戦苦闘している感じ。で、わたしが、中間枝の挿し場所についてアドバイスした。

「このあたりにもう一本、そうですね、これくらいの長さで挿すと、右側の空きすぎてる部分がしまってくるんじゃないかしら」

「わあ、ほんとだ。どうもありがとうございます!」

「いいえ。先生に見てもらってくださいね」

母がちょっと直すと、やはり一段と形になってくる。この前の冗談半分の話を思い出し、研鑽をつんで、ここで教えるのも悪くないなあ、と思った。でもすぐに佑介さんのことが頭に浮かんで、この間と同じような混乱に陥った。

彼にもここに来てもらって、いえ、わたしのマンションで、それとも彼のマンションに出張して、でも、彼は忙しいし、休日は食い違ってるし……などなど。バカな妄想に耽っているうち、レッスンは終わって、お茶菓子が出た。わたしが用意すべきだった。



「先生、ありがとうございまーす」と若やいだ声。渋川さんが気を利かして「玲子先生もありがとうございまーす」と言うと、二人がそれに唱和した。

玲子先生、か。そういえば、明日あたり、そろそろ会社のエントランスのを頼まれそうだ。

「いつもおんなじこと言ってますけど、先生に直していただくと、ぐっと引き締まりますね」と渋川さん。

「わたし、こちらに来てよかったです。大学にもカリキュラムに一応、華道ってあって、取ってるんですけど、ああいうところだと、大ざっぱで、いまいち繊細な心みたいなのが学び取れないんですね」と前原さん。

母は終始にこにこしている。

「みなさん、すごく熱心だから、わたしも教えがいがありますよ」

「あの、すっごく失礼なこと、お聞きするんですけど……」ともじもじしながら山根さん。

「なあに?」

「玲子先生は、もしかして先生のお跡を継がれる……?」

わたしは思わず吹き出してしまった。大きく手を振って、今日はたまたま実家に戻っただけで、自分には全然そんな資格はないんだと弁解した。

でも考えてみれば現実的な疑問だ。

「ホホ……そうね。もうわたしも何年できるかわかりませんものね。それって考えておく必要があるわね。どう、玲子」

ちょっと、母さん、こっちに振ってくるなよ。

「ええ。でもそのためには、これからお勤め辞めて猛勉強しないと」

ふーん、とみんなは感に堪えたように息を漏らした。

「お花って奥が深いんですねえ」と渋川さんがまとめた。



みんなが帰ってから、母と夕食も共にすることになった。

その折にも、「跡継ぎ」の話が出たが、この前わたしが冗談半分で言ったことが、今日はもう少し現実味を帯びてきているのが感じられた。

後片付けを終えてから、ハナを抱っこして、チュッとキスして、実家を後にした。
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