第95話 半澤玲子ⅩⅣの1

文字数 1,892文字



 2018年12月15日(土)


さわやかに晴れた冬らしい朝だ。

佑介さんのために活けた花が、ガラス越しの日を浴びて、輪郭鮮やかに見える。

ピンクのバラとカスミソウと鳴子ユリ。

活けてからもう何日も経っているのに、不思議と衰えを見せない。全体がわたしの今の心境とマッチしているように感じられた。きっと佑介さんが息吹を吹き込んでくれたんだわ。

今年もあと半月。

テレビでは今年の十大ニュースとか、流行語大賞とかやってるけど、そんなこととは関係なしに、わたしにとって、夏の終わりから今日まで、じつにいろんなことがあった。

もちろん、佑介さんとなさぬ仲になったことがダントツ大きいけれど、それ以外でも、エリの事件、さくらちゃんの婚活、中田さんのこと、岩倉さんのこと。安岡新課長の就任と、勤務に対するわたしの心境の変化。

佑介さんとのこれからがどうなろうとも、わたしは年度末の人事異動の際に退職することを決意した。年が明けたら内示の時期が来るので、早めに退職願いを出す。来年四月から大原流師範獲得に向けて邁進あるのみ!

そう決めると、心が今日の空のようにすっきりした。


でも悲しいニュースもあった。

おととい、さくらちゃんとお昼ご飯を食べた時、彼女から、例の話が破談になったことを聞かされた。それが、ちょうどわたしが休暇を取っていた11日の晩だという。佑介さんとわたしが幸福感に浸っていたころ、彼女は失意を味わっていたのだった。

何かが行き違って人生の明暗を分ける。

それはよくあることかもしれないけれど、あんなにわたしのことを慕ってくれている部下がそういうことになるなんて、他人事とは思えなかった。

「向こうは嫁として入ってもらうのが絶対条件みたいで、いえ、彼自身は別に親の言いなりになるような気弱な人じゃないんです。でもやっぱりお店を閉めるわけにはいかないでしょう。だから、すごくすまながってましたけどね。わたし、母に言われたんです。あんた、醤油屋の女房として一生やってく覚悟あるの、これから老親介護だってあるのよって。結局、娘に苦労させたくない母の言うことももっともだし、それで、この前、話し合って、なかったことにしようって」

さくらちゃんは下を向いて、きれいにネイリングした両手の爪をこすり合わせていた。

「お母さんが反対してるって言ったの?」

「……ええ。言いたくなかったんですけどね。やっぱり言っちゃいました」

それから彼女は、顔を上げてきっぱりとした表情を見せた。

「もちろん、わたしが自分で決めたことだとも言いました」

「彼はどうしたの。素直に受け入れた?」

「優しい人だから……わたしが言い出す前から気づいてたみたいで……そう、わかったって一言だけ。結局わたしに根性がないんですよね」

「でもそれは……なかなか難しい問題よね。さくらちゃんだけの気持ちでどうなるものでもないわ」

彼女の目が涙で滲んでいた。ぐっと歯を食いしばっているようだった。


わたしは、うまく慰める言葉がなかなか見つからなかった。

美人、とは言えないけど、こんなに可愛くて明るくて人柄がいい彼女が、私が聞いただけでも三度も出会いを逃している。

「それは残念だったわねえ。せっかくいい線行ってたのにねえ」

「でも、いいんです。二人ともよく事情を理解しあって別れたんで、傷つけあったわけじゃないんですから」

さすがにその声は沈んでいた。

しかし考えてみると、その相手も、かわいそうだなと思った。家業に縛られて、なかなか出会いの機会がない。そこにさくらちゃんみたいな素敵な女性があらわれたのに、周りの事情で断念しなくてはならなかったのだから。

「さくらちゃん」

「はい」

「いい男はほかにもいっぱいいるわよ。まだまだこれからよ」

結局、こんな月並みなことしか言えなかった。

彼女は明るい調子に戻って答えた。

「はい、そう思ってます。婚活サイトはもうやめて、別の方法で好きな人探そうって。半澤先輩みたいに」

「半澤先輩みたいに」と言われて、穴があったら入りたいような気持ちになった。これで「わたしも婚活サイトで出会ったのよ」とは口が裂けても言えなくなってしまった。

「わたしなんか、参考にしない方がいいわよ。大したことないもの」と答えるのがやっとだった。

さくらちゃんは何か聞き出そうとするふうを見せたが、わたしは「そろそろ戻りましょ」と言って逃げた。

じつは、「大したことある」のだ。さくらちゃんは直感的にそれを察しているのだろう。隠そうとしてもやっぱり自分の幸せそうな雰囲気が出てしまうのだろうか。

複雑な気持ちのまま、立ち上がった。

さくらちゃんが食べ残したパスタのお皿が気になった。
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