第14話 半澤玲子Ⅲの2

文字数 3,400文字


「ごめーん、待った? あら、さっそく着てきたのね。似合うじゃない」

エリのほうは、今日は白シャツにデニムパンツというラフないでたちだ。心境の変化? そうでもあるまい。

「ううん、さっき来たばっかり」

「そう、じゃよかった。いや、出がけに電話が入っちゃってさ」

「あら、もしかして例のお方?」

「そんなんじゃないのよ。仕事、仕事。この前言った例の働く人女性向け家事支援、いよいよ本格的に乗り出すらしくてさ。」

わたしはそんな話、忘れてた。でも「うん、うん」と覚えていたふりをした。

「お飲み物は何になさいますか」

若くて足がすらりとした女の子みたいなウェイターが近寄ってきて言った。

「生ビール」とハモってしまった。

「課長から、こういうプロジェクトはやっぱり女性に企画を立ててもらうのが一番いいからって、急きょ、月曜日から取り組むことになったってわけ」

エリの言葉を聞いて、そういえば物流業界もいろんなことに手を出そうとしているって言ってたな、とだんだん思い出してきた。

「たいへんそう。全通運じゃ初めての試みなんでしょう?」

「そうね。でもこっちにお鉢が回ってくるんじゃないかって何となくわかってたよ。」

「要するに、働く女性の家事負担を減らそうと」

「そう。わたしら一人もんには関係ないね。子どもがいて、旦那も忙しい家庭なんかがターゲットだろうね」

「家事だったら旦那と均等に分担するってのはどうなの」

「いやいや、なかなかそうはいかないよ。『理解ある男性』とかいうのも最近は増えてるみたいだけど、ほんとに戦力として期待されてる男は、いくら理解があったって物理的に難しいしね。旦那が一番忙しい時と奥さんが育児で手が離せない時とは重なるんだよ。それにさ、むしろ女の方に、家事育児はまだまだ女性中心でって観念が残ってるのよ。だからこそ市場開拓の余地があるわけだしね」

思わず、テラスのテーブルを囲んでいる家族の方に目がいってしまった。食事はたけなわで、子どもたちの楽しそうな表情が笑い声とともにこちらにも伝わってくる。

奥さんは男の子がちょこちょこするのに気を使っていた。旦那は、短い口ひげを撫でながら、ワイングラスを口に持っていくところだった。あの旦那は「理解ある男性」なんだろうか。あの家族は幸せなんだろうか。



今日はスパゲティとラザニアと二つとって、二人で分け合い、あとはピザのLサイズで済ませることにした。スパゲティをあの女の子みたいなボーイが運んできた。

「ねえねえ、あの子、フィギュアの桐生結貴に似てない?」

私はさっきから感じていたことを口に出した。

「ちょっとね。わたしも思った。ウチにもああいう男の子いるよ」

「ああいう華奢な男の子ばっかりになっちゃったら、家族なんて養っていけるのかしらね」

「ばっかりってことはないだろうけどね。でも草食系が増えてることは確かよね」

「男性の4人に一人は50代になっても未婚だって話聞いたことあるんだけどさ、これってだんだんモノセックス化していくってことなのかな」

「それはわかんない。精子が少なくなってるなんて説もあるけどね。それより社会問題としては何と言っても少子化という現実だよね。一人っ子同士の結婚が二代続くと、双方の親が4人、寿命が延びてるからじじばばが合計8人。このうち何人かがこけると、こりゃ若夫婦はたいへん。高齢者ビジネスはこれからが正念場ね」

「ってことはさ、家族の数が減っていくんだから、エリのさっきの話も、市場開拓が難しいってことにならない?」

「そうなのよ。一人暮らしだったら別に家事支援なんていらないもんね。うん、市場規模の算定がまず課題だろうな。この企画、うまく行くのかな」

「エリが例の人と結婚すればさ、少しは市場規模の拡大に貢献するじゃん」

「ハハ……限りなく確率低いね」

「ところでその後は? 二回目のデートの模様。詳細に報告せよ」

エリと会う前はこの話題は気が重いなんて思ってたくせに、自分から誘導してしまった。

「またそこに話もってくのか。はいはい。お話いたしましょう。それがさあ、この間の日曜日。いきなり寒くなって最悪だったでしょう。風邪引きそうになっちゃうから散歩もできなかったんだよ。」

「ふむふむ。でも室内でいちゃいちゃやればいい。もしかしてキ……」

「まさかそんな。そこまで行くわけないだろ。でもまあ、喫茶店でけっこうねばってね。それからお食事でございます」

「彼氏のご趣味は何でございますか」

「そう、美術に詳しいみたいね。ブリューゲルとかボッシュとか、あのへんの画家のことでずいぶん蘊蓄を傾けてたな。ヨーロッパの美術館巡りを何度かしてきたらしいのよ。情熱たっぷりに話してた」

「あら、素敵じゃない。これから芸術の秋だし、エリもかなり好きなほうでしょう」

「嫌いじゃないけど、ブリューゲルやボッシュってなんかちょっとキモくない?」

「うーん、好きかって言われたらうまく判断できないけど、偉大な画家であることは確かよね。東京には美術館が腐るほどあるし、デートに使うには最高じゃない」

「うん。ただね、知識が豊富過ぎてちょっとついていけない感じもある」

「それは贅沢というもの。ふんふんって聞いてあげればいいのよ。なんならわたしがもらい受けようか」

「それも一案ね」

エリは企画会議のような口調で言った。結婚時代の夫のことがふと思い浮かんだ。あんな彼でも、しらふだと可愛いところがあることはあった。囲碁の話になると際限がなかった。

「男って自分の得意分野だと相手かまわずしゃべりまくるところあるじゃん。あれってけっこううんざりするけど、そういうもんだって割り切れば、我慢できるんじゃない。エリだって自分の趣味があるんだから、それ利用してこっちに惹きつけるようにすれば」

「ほうほう、レイコお姉さまにしては、珍しく熟女の処世訓ですな。なかなかいいアドバイスをいただきました」

そう言われて、わたしは、ほんとに柄にもないことを言っているな、と感じた。

これは、やっぱり人のことだからそうなれるんだろうな。また、話がほかならぬエリのことだから、というのもある。男女の出会いというテーマに、エリをダシにして、ついつい自分が前傾姿勢になってしまっているのだった。

日はとっぷり暮れていた。家族連れが帰り支度をしているところだった。旦那がレジの前までやってきた。女の子と男の子が表でふざけ合っている。それを窓越しに見ていると、何となく自分が切なくなってきた。

去年の夏は、花火をどっさり買い込んで、妹の家にお邪魔して、みんなで花火大会をやったっけ……。



「それより、レイ、あれ考えてみた?」

不意を突かれて一瞬戸惑ったが、すぐ気づいた。

「あれって、恋活サイト?」

「うん。わたしは勧めるよ。自分がマッチングしたからってわけじゃなくてね、これから先のレイの人生をさ、わたしもちょっと考えちゃったのよ。出過ぎてたら申し訳ない」

「いや、出過ぎてなんかないよ。ほんとにそうだよね。でも、それは……恋活サイトって選択でなくてもなあ、もうちょっと、何ていうか、その、出会いの手段をどうするかよりも、まず、自分なりの生き方の基本をどう決めるか、だと思うんだ」

「わかるよ、それは。その通りだと思う。でもね。偉そうに聞こえたらゴメン。そういうのってさ、まず基本をこう決めて、そのための適切な方法を探してっていうように、何か順を追った企画みたいに行くものじゃないような気がするんだ。わたしたち、もう若くないでしょう。志望大学目指して受験勉強に励むのと違うんじゃないかしら」

エリの言ってることは、まったく的確だ。賢い女だ、と改めて思った。

「そうね。何でもいいから動いてみて、そこから何かが見えたり開けたりしてくるのよね。相手がいなけりゃ何も始まらないもんね」

「相手次第でもあるし、けっこうしがらみに取り巻かれてもいるし」

そう、自由だなんて自分を思いこんでる暇はそんなにない。温もりがかすかに残ったピザを口に含んで、その固まりかけた感触を味わいながら、少しずつ、少しずつ、自分をまずある形のほうに追い込むことが大切なのかもしれないと思うようになってきた。

「ねえ、エリ。もう少し話したい気がする。よかったらこれからうちに来ない? 泊まってってくれるとさらにありがたい」

「……いいよ。ただし湿っぽいの苦手だから、ワインとつまみで盛り上げようよ」
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