第82話 堤 佑介Ⅻの1
文字数 2,597文字
2018年11月25日(日)
昨日の朝、本部の前園君から電話があった。報告書の提出は、ウチが一番早かったという。
「こないだはお世話様でした。とても勉強になりました」
「こちらこそ」
「それで、課長がですね、せっかく早く出していただいたので、報告資料を基に、所長と私と三人で、もう少し話を詰めたいというんですよ。急な話で申し訳ないんですが、今日午後は、ご都合いかがですか」
玲子さんとの約束がある。長引くようだと、間に合わないかもしれない。しかしそんなことは言ってられない。岡田に代わってもらうわけにもいかない。
「いいですよ。ただ夜ちょっと予定が入ってますので、3時ごろからでもよろしいでしょうか」
「ええっとですね。こちらから申し出ておきながらたいへん申し訳ありません。私が3時に予定が入ってまして、4時でしたら何とか」
「わかりました。それでは4時に伺います。ぎりぎり6時半くらいまででよろしいでしょうか」
「十分です。勝手なことを申し上げて、申し訳ありません」
「いいえ。とんでもない」
というわけで、まず渋谷に出向いて一仕事終えてから、玲子さんと会うという形になった。
しかし長引けば、最悪、デートは延期ということもありうる。
お昼近くに、けやきが丘駅からバスで5分ほどの、高級住宅が多い松風台で、84歳の高齢女性が一人で住んでいた戸建てを売りに出したいという話が入った。昼休み後、八木沢が現地に赴き、帰ってきて、状況をわたしに報告した。
「お母さんはいなくて、息子さんが来ててですね。お話を聞きました。ご家族は別のところに住んでて、こちらに引っ越してくるわけにもいかず、お母さんを引き取るのも難しいんでいろいろ悩んでいたけれど、試しに老人ホームに入ってもらって、ダメだったら、その時点でまた考えようということだったらしいんです。そしたら、お母さんが、ホームが気に入っちゃって、これでいいって言ったんですって。それで、こっちは売ろうという話になったそうです」
「データはどうなの?」
「そんなに広くないんですね。2階建てで延べ床95平米くらいかな。まだ登記簿取ってませんから正確にはわかりませんが、庭がほとんどなくて隣家と軒を接してますから、容積率150%くらいでしょうね。三方囲まれてて、南側が狭い道路です。しかも築40年経ってるんですよ」
「ふむ。建物の傷み具合は?」
「水回りなんかは一応改装してますけど、かなり古い感じが目立ちますね。ちょっとあれはそのまま売るのは厳しいと思います」
「うん。まあ、その判断はわれわれ専門家の判断として、オーナーさんはそのまま売りたいって言ってるの?」
「今のところそういう感じです。わたし、松風台って広い高級住宅ばっかりみたいな印象持ってたんですけど、そうでもない物件もあるんですね」
「高級住宅は目立つからね。たしかに印象と実態は食い違うことが多い。松風台には、慎ましい家もけっこうあるよ。それはそれとして、とりあえず売主さんの希望通り、上物付きで査定して、一定期間出してみたらどうかしら。買い手つかなかったら、壊して更地だな」
「はい。そのほうが高く売れると思います」
「そのへん、売主さんによく話してわかってもらってください。今日はちょっと無理だけど、私も近いうち見に行って、判断しましょう。どうもご苦労様」
「はい、わかりました」
「課長がけっこう気に入ってるんですよね、報告書」
本部の一室で、前園君が言った。
「いや、前園君のおかげですよ」
「そんなことないです。所長が書かれた冒頭の位置づけと、優先順位に感心してましたよ」
すぐに課長の島崎が入ってきた。私の本部時代の同僚でもある。
「これ、いいよね、堤。今回のプロジェクトにぴったりだよ」
「ありがとう。しかし、正直言って、こないだの横浜営業所の所長が質問してたように、ウチ程度の事業規模じゃ、単発的で限界があるね。都市計画的広がりが持てない」
「そりゃ、わかってるさ。でもやらなきゃしょうがない。それで、大筋この路線でいいと思うけど、細部をもう少し詰めたいんだ。」
それから私たちは、交渉の進め方、交渉の主体を本部とウチのどちらに置くか、期限、プレゼンの張り方などについて協議した。一番もめたのが、交渉の主体の問題だった。
ウチでは、人員数と能力からしてとても責任が持てない、本部から出向要員として二、三名現地に派遣して仮事務所でも置いてもらえるのが最も望ましい、そうでなければウチに常駐してもらうしかない。そのスペースなら何とか提供できると説明した。
しかし島崎もなかなか強硬だった。そんな余裕は確保できそうもない。何とかそちらで頑張ってもらえないかというのだ。私は繰り返し事情を話し、それは無理だと主張した。第一、本部の出向要員とウチのスタッフの接触を深めておく方が得策ではないか。
この議論で感じたのは、あの温和で、私とも気の合っていた島崎が、官僚的な姿勢をずいぶん露骨に示すようになったことだった。それは本部に長くいて、昇進途上の彼としては仕方のないことなのかもしれないが、それにしても、「彼は昔の彼ならず」だ。しかし、ここで気まずくなるわけにはいかない。
前園君が、現地視察をして、岡田と一緒に報告書の原案を書いてくれていたことが幸いした。話が膠着状態に陥っていた時、彼が遠慮がちに、自分が出向してもいいですよと言ってくれたのだ。
結局、私の説得がおおむね通って、本部要員の出向が認められるかどうか、上と相談してみるということになった。
「わかった。でもこれは急ぐ話だからな。1号や13号が売れてしまったら元も子もない。そのへんはどうなんだろう」
「まあ、いまの情勢では、そんなに早く売れることはないと思うよ。その見込みについても報告書に書いた通り。何しろ、ウチの近辺でも、空室が1年2年埋まらないのはざらだからね。まして空き家の買い取りとなったら」
会議というのは、双方の言い分がもともと決まっていて、同じことの説得を繰り返すことが多い。時間はそのあいだにどんどん過ぎていく。
本部を出たのは、6時40分頃だった。あわてて渋谷駅に走る。クソ島崎め、と心の中でつぶやく。
牛込神楽坂駅に近づいたころすでに7時になっていた。玲子さんにメールを入れる。すぐに「お店でお待ちしています。どうぞごゆっくりいらしてください」と返事が来た。ほっとした。