第110話 半澤玲子ⅩⅤの1 

文字数 3,162文字

2018年12月28日(金)
《12/16 17:24
恋しい恋しいゆうくんへ

メール、待ち焦がれてました。ありがとう。

わたしもすごく楽しかったです。人生のうちでいま、いちばん仕合せかもしれない。

こんな年になってって、諦めていたのに、素敵なゆうくんに巡り合えて、いまだに信じられない気持ちです。


鞄、気に入ってもらえてとてもうれしいです。オフィスで話題になるなんて、わたしもちょっと誇らしい気持ち。噂なんてほっとけ。


きのうは、実家の母のところに泊まりました。さっき帰ってきたところです。

みんな打ち明けちゃったよ。母はすごく喜んでた。それで、一度お会いしたいって言ってました。お正月にでもいかがですか。

辞職して華道に打ち込む決心の話もしました。これも母はすんなり認めてくれました。前に話したときは、こっちもぐらついてたから、あんまり本気にしてなかったんだけどね。


「即興曲」90と142、ありがとう。母のところから帰ってくる途中、新宿で途中下車してイヤホンを買いました。ほんとにすごくいい音です。

90は帰ってきてすぐ聞きました。全曲、すてきね!

142は、いまちょうど聞き終わったところです。旋律の美しさもさることながら、なんていうか、とても内省的で、こないだ「暗い」なんて言っちゃったけど、孤独に美を追究してるシューベルトの姿が浮かんでくるようです。寄り添ってあげたい感じ。

あ、もちろん、こういう素晴らしい曲を勧めてくれたゆうくんに寄り添うのよ。


活け花のほうは、明日にでも大原流の本部に連絡を取って、いろいろ聞いてみるつもりです。母は、分派争いのことなんて遠い昔のことだから、もう関係ないだろうって言ってました。

今度は、傾斜型だけじゃなくて、並ぶ形や開く形など、いろいろ挑戦してみるつもりです。ただ、部屋が狭いのがちょっと気になります。


わたしも正直なところ、年末処理で、やっぱりちょっと忙しいので、28日にしてよかったです。でも待ち遠しいなあ。音楽のことやいろんなこと、また教えてくださいね。


旅行のお話、うれしい! 金沢でいいですよ。昔行ったことあるけど、もう何年前になるかしら。ついでに加賀も回ってみたいですね。


お仕事、たいへんそうだけど、どうぞ無理なさらないでね。

またメールくださいね。待ってま~す。大好きなゆうくん》


佑介さんへのお返事メールを書いた16日の夜、珍しく妹の真奈美から電話があった。何か月ぶりだろう。半年以上?

「ご無沙汰してまーす。姉ちゃん元気だった?」

「ほんとご無沙汰だねー。元気だよ。まあちゃんたちは?」

「うちも元気よ。詩織がもうすぐ受験でしょう。いま追い込みでたいへん」

「あ、そうだったわね。志望校、もう決まってるんでしょ」

「もちろん」

「どこ?」

「エリスが第一志望なんだけどね。ちょっと厳しいかな。それで滑り止めに江南女学院選んだのよ。こないだの模試では、まあ何とかこっちは行けそうで。でもあの子ちょっと気が小さいから本番に弱いんじゃないかしらって心配でね。だから、この冬期講習で猛特訓受けなくちゃなんないの。体力的には大丈夫だと思うんだけどね。でもいま、子ども少なくなってるのに私立は希望者が多くて昔より厳しくなってるのよね。こないだも塾で父母面談があったんだけど、やっぱり先生も詩織の気の小さいとこ見抜いててさ。クラスのランク一つ下げて、そこでいい思いして自信つけるのも一つの手ですね、とか言うのよ。でもさ、そう言われちゃうと、今度は何となくムカついちゃってさ。だいち、詩織になんて言っていいか、傷ついちゃうんじゃないかって、親としてはなかなか難しいところなのよね。それでさ……」

どこかでストップをかけないと、延々と続く。要するにわたしに何の用があって電話して来たんだ。

「詩織ちゃんなら上のクラスでも大丈夫よ。それで、今日は?」

「あ、そうそう。それでね。冬期講習が24日から始まっちゃうのよ。クリスマスイブからよ。クリスマスも返上。だから代わりに23日にウチでパーティやろうって話になって、子どもたちに聞いたら、玲子おばちゃんにも久しぶりに会いたいって言うの。23日、都合どう?」

「来週の日曜日ね。大丈夫よ」

だいたい電話の声が高い。それに「子どもたちに聞いたら」は余計だろう。自分は別に会いたくないんだけど、と白状してるようなものだ。

「じゃ、悪いけど(悪いなんて思ってないんだろう)、ウチに来てくれる? 詩織も、小学校最後のクリスマスだしね。雰囲気盛り上げたくて」

「わかったわ。何時ごろ行けばいい?」

ちょっと冷ややかな調子になってるのが、自分でもわかった。

「そうね。あんまり早くてもなんだから(なんだから、って何よ)……あ、5時くらいでどうかしら」

「わかったわ。崇さんもいるんでしょう?」

「それがゴルフで、帰りが8時くらいになっちゃうっていうのよ。途中から合流ね」

何となく、ご一家の雰囲気がわかるような気がした。そっか、三人だけじゃ寂しいもんね。

「そしたらさ、あらかじめネット通販で、プレゼントが当日時間指定で届くようにしとくからさ、詩織ちゃんと英ちゃんに何が欲しいか聞いてもらって、また連絡くれる? うん、メールで指定してくれるとありがたい」

「わかった。じゃね」と、急に電話を切ろうとする。

こっちで気い遣ってプレゼントの話もちかけてるんだから、ありがとうぐらい言ったらどうなんだ。

それに、たまに自分からかけてきたんだからもう少し愛想ってものがあるだろう。英太のことは一言も言わないし。

しかたなく、「英ちゃんはこの頃どうなの?」とこっちから水を差し向けた。

「英太はサッカーに夢中よ。こないだも地区の大会でミッドフィルダーで出てさ、準決勝まで行ったんだけど、惜しくも敗退。すごく悔しがってたわ。小さいのに負けず嫌いで、よく頑張ってるなあって思う。パパもあいつはなかなか根性あるなって言ってるのね。まあ、勉強のほうはいまいちだけど、そろそろあの子も来年は考えなくちゃ……」

はい、そのへんでいいでしょう。

「あら、まだ3年生でしょ。男の子はわからないわよ。両親が頭いいんだからこれから伸びるわよ」

と、ごまをすっておいて、それ以上は続けさせず、

「あ、お正月はどうするの。お母さんところには行かないの?」

「それが、お母さんにもしばらく会ってないから、行きたいのはやまやまなんだけれど(ほんとにやまやま?)、なにしろ、詩織が大晦日と元旦しか休めないのよ。だからせめて家で過ごそうと思って。姉ちゃん、代わりに行ってあげてくれる?」

「代わりに」はないだろう。でも、そのほうが佑介さんを紹介できるから、わたしとしては好都合だ。

「いいわよ」とあっさり言っておいて、今度はこちらから電話を切った。

みんな、自分の関心事にしか興味を示さない。もっとも人のことは言えないけど。

しかしあのキンキン声でまくしたてるのだけはやめてもらいたい。母親続けてるうちによけいひどくなったような気がする。

兄弟他人の始まり、か。母にもしものことがあったら、何か言いだしそうだな。あ、それよりもわたしが母の跡を継ぐ時点で、きっと何か言ってくるだろう。佑介さんとのことだって、黙ってるわけにいかないし。

今度行ったとき、そんな話が出るかもしれない。向こうから何か聞いてきたら、佑介さんのことは黙っているにしても、この際、辞職して華道一本で行くことに決めたことをはっきり言うことにしようか、どうしようか。やっぱりまだやめておこうか。

でも、こんな取り越し苦労に悩まされるのは、精神衛生上、よくない。活け花で母の跡を継げるかどうかだって、まだわからないんだし。出たとこ勝負で行くことにしよう。

そう思って、この夜は佑介さんの面影を胸に抱いて、早々と寝た。
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