第52話 半澤玲子Ⅷの4

文字数 3,346文字



そして今日。

今日はさいわい職場では何事もなく、平穏無事に過ぎた。仕事も比較的早く終わった。

それにしても失敗の連続。

投入れを割っちゃったほうは、会社に弁償すれば済む話だし、そんなに心のダメージも大きくはなかったけど、昨日のやつはきつかったな。

でも、ふと、さくらちゃんがあんなに思いやってくれたことを思い出した。あれはありがたかった。

そして、お土産までついていた。彼女の婚活はうまく行きそうだ。わがことのようにうれしかったっけ。

しかし、とわが身に戻ってみて、さて、今回の挫折で、このやり方での彼氏探しはもうあきらめるか。それとも、たった一度出会っただけなんだから、もう少し続けるか。

エリに相談してもいいんだけれど、エリは今、それどころじゃないだろう。彼女はあれからどうしたろう。別れたろうか、まだ続けているだろうか。

いずれにしても、いまはまだ会うべき時じゃない。ここは自分で決めるしかなかった。自己責任、自己責任。

結論が出ないときは、例によって、マンガの「ふーちゃん」みたいにお風呂に入るに限る。今日は体が温まるマイバス4にしよう。



お風呂から上がって、何となくスマホを開いて、Fureaiアプリに行ってみた。ぜんぜん期待など抱かずに。

一応習慣のように毎日見てはいたけれど、マッチングが来ていても、まじめに相手のプロフィールを探ってあれこれ迷うのはやめていた。岩倉さんに焦点を絞っていたからだ。

その焦点がもう完全にぼやけてしまった。かといって、誰かほかの人を積極的に調べるという気も生まれてはこなかった。

ただ、少し気分を変えたかった。これまでマッチングしてきた男たちのプロフィールを、お風呂上がりの気分で野次馬式に追いかけてみた。ちょうど大して読む気もない雑誌をパラパラめくるように。

写真、年齢、プロフィールの文章、どれもいまいち。

趣味の一致するケースは多かったが、趣味の欄は、わたし自身があれこれ寄せ集めて書いているので、共通項があったとしても、実際には、感性としてそんなに重なり合うとは限らない。みんな同じようなことをたくさん並べるものだ……。



ふと10日前に来た男のプロフィールが目に留まった。



【堤 佑介婚活サイトFureaiプロフィール】

ニックネーム:ゆう

年齢:55歳(認証済み)

身長:171㎝

タバコ:吸わない

趣味:音楽、美術、映画、落語鑑賞、読書、気の合った友人との会話



《自己紹介文》

プロフィールを見ていただき、ありがとうございます。

仕事に追われる毎日です。

趣味欄にいろいろ書き並べましたが、どれも忙しくて思うに任せません。

離婚してから13年経ちます。

もう遅いかもしれませんが、連れ添う人を求める気持ちが募ってきたので、

無理とは思いながら登録してみました。

一人娘は成人して職を持ち、別れた妻と同居しています。

自分は昔から不思議がり屋のところがあり、

ものごとを理屈っぽく考えるたちです。

いろいろな社会問題に関心があります。

いまの仕事は、さまざまなお客様とじかに接することが多いので、

人間好きの自分には適しているのかもしれません。

あまり自分から希望を語るべきではないとは思いますが、

もしお付き合いしていただけるなら、

世代が近く、共通の話題を持てる人がいいと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。



《ディテール》

職業:中規模不動産会社営業所長

休日:水曜日、第三木曜日

体型:中肉

居住地:東京

出生地:横浜

家族:長女一人。両親は他界。

同居人:独り暮らし

年収:700万円以上

婚姻歴:離婚

好きな料理:和食、イタリアン、その他何でも

お酒:飲む

性格:真面目・明朗・好奇心旺盛

学歴:四大卒

休日の過ごし方:読書、散歩、覚書を書く、音楽鑑賞(主にクラシック)、時々落語

転居の可能性:時と場合による

望ましい交際:ゆっくりメール交換をし、機が熟してから会う

初デートの料金:自分が全額負担



ほかのプロフィールとはちょっと違う、と感じられた。ほかのは、自分を売り込もうという気が見え見えなのが多い。

でもこの人のには、それが感じられない。文章の調子は、ちょっと硬くて、ぶっきらぼうと言ってもいい。年のせいかもしれない。

でもその前にまず顔。

不動産屋って、偏見持ってたけど、なんか、らしくない雰囲気してる。特に美男てわけじゃないけど、眼鏡の奥のちょっと垂れ眼気味の目が優しそうだ。それでいて意志が強そうで口元がきりっとしている。歳のわりに、オヤジ臭くなくて、どことなく可愛い。

物事を真剣に考えるタイプっていうか、「ディテール」の性格欄に「真面目」と書いてあるのと、そんなにギャップがない感じ。

離婚やその後の家族関係をわざわざ書いてるのも、正直そうで好感が持てる。

「不思議がり屋」「理屈っぽく考える」「いろいろな社会問題に関心がある」――こんなことを書いてくる人はあまりいない、と思う。少なくともわたしが受け取ったプロフィールの中にはなかった。

そして、休日の過ごし方として、「覚書を書く」というのが、いちばん変わっている。そんなことあえて書く人がいるだろうか。

おもしろい人だ。不動産の営業なんてやりながら、それとは別の自分をどこかにしっかりと取っておいているようだ。謎めいている印象がある、と言ったらいいかな。

もっとも岩倉さんだって、教師をしながら、登山に情熱を傾けていた。そういう意味では共通しているわけだけど、これくらいの年長者になれば、わらじを二足も三足も履いている人はたくさんいるだろう。

でもこの人のは、そういうこととはどこか違っている。仕事と趣味、というのではなく、「社会問題への関心」にどうしても引きずられて行ってしまうという感じなのだ。



それにしても、覚書って、いったい何を書いているんだろう。思わず興味を持ってしまった。

もちろんとんだ食わせ物だっていう可能性もある。岩倉さんで失敗したばかりなのに、書いてあることをそのまま信用しちゃいけない。

しかし、わたしは、こういう試みにとにかく踏み込んでしまったのだ。やめてしまうか続けるか、さっきまでどっちつかずの堂々巡りをやっていた。

けれど、仮に続けるなら、こういう変わった人をマークするのも一興かもしれない。どうせアラフィフのババアだ。それに10日も前に発信されているから、もう別の人とマッチングが成立しているかもしれない。ダメ元のつもりで噛んでみるか。

さくらちゃんの明るい未来を想像して、そしてお風呂に入ってさっぱりしたら、なんだか元気が出てきて、やるだけやってみようという気になっている自分を発見した。

疲れてはいたけれど、こちらからメッセージを送って、その反応を見るのも面白い。なんだか妙に強気になって、昨日と一昨日の失敗に対する取り返しをしてやろうかとも思った。



《初めまして。

マッチングしてうれしく思います。

わたしはあまり自分からこんなことをするタイプじゃないんですけど、プロフィールを拝見して、関心を惹かれました。

これからお話しすることにご興味がなければ、どうぞそのまま聞き流してください。

まだこのサイトに登録してからそんなに時が経っていないのですが、数少ない方たちとのマッチングがありました。でも、「ゆう」さんのプロフィールは、わたしには、他の方とは違った一風変わったユニークなものに思えました。

こんなことを申し上げてお気に触ったらお許しください。

どこにそれを感じたかと言うと、いくつかあるのですが、いちばん興味を惹かれたのは、休日の過ごし方の欄に「覚書を書く」とあるところです。どんなことを書いていらっしゃるのかな、と知りたくなりました。

また、「いろいろな社会問題に関心がある」とのことですが、どのような社会問題でしょうか。わたしはむずかしいことはわかりませんが、日頃考えていることとの間に少しでも共通点を見出せたら、うれしく思います。

お忙しそうで恐縮ですが、お返事いただければ幸いに存じます。》



わたしにしてはずいぶん大胆なことを書いてしまったな、と思ったけれど、なに、かまうものかと半分破れかぶれみたいに決心して、送信ボタンを押した。やはり岩倉さんとのことの反動の気持ちが強かったのかもしれない。

これで今夜はぐっすり眠れるような気がした。
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