第79話 半澤玲子Ⅻの3
文字数 1,348文字
外は晴れて星が出ていた。月も出ていた。満月よりちょっと欠け始めているだろうか。
わたしたちは、神楽坂の表通りの明るさにぎやかさとは対照的に、人通りも街灯もめっきり少なくなくなった短い道のりを、ふたりして牛込神楽坂駅へ向かって歩いた。
ほどよい月明り、そして楽しいお話の余韻と、酔いのほとぼり。二人の足音が少しずれながら響く。
どちらからともなく、身を寄せ合っていた。佑介さんがそっとわたしの左肩に手をまわした。ほとんど同時に、わたしは首を傾けて、彼のコートの胸のあたりに頬をぴたりとつけた。
彼が声にならないようなかすれ声でささやいた。
「玲子さん……好きです」
言わなくていいの、わかっているの、とわたしは心の中で言った。
佑介さんは、立ち止まって、両手でわたしを引き寄せた。わたしは彼のほうに首をもたげて目をうっすらと閉じた。彼の唇が近づいてくるのがわかった。
はじめ、それはちょっとわたしの唇に触れ、一度離れてから、今度は強く長く押し当てられた。
わたしは両手を彼の首に回した。ハンドバッグが肩までずり落ちる。わたしを抱く彼の両手が、背中から腰のほうへと下がっていき、その力はさらに強くなった。
あそこが濡れてくるのがわかった。何年ぶりなのだろう。もうこの成り行きは止まらないと感じた。でも……。
だれかが道の向こう側を通り過ぎる気配を感じた。
好奇心でこっちを見ているだろうか。なに、かまうものか。
身を離してから、わたしは言った。
「あしたの佑介さんのお仕事が……」
彼はわたしの目をじっと見ながら、しばらく黙っていた。
それから
「ええ」
と素直に答えた。そしてわたしの手をぎゅっと握った。わたしもぎゅっと握り返した。
人通りの途絶えた暗い道を駅へ向かって歩き始めた。
駅へ降りる階段はもうすぐそこだった。もっと遠ければ、もっと時間があれば、と思った。
明るい改札口を通ってから、わたしはやっと彼に耳打ちした。
「佑介さん……わたしも好きです」
彼はわたしを見て、黙って微笑んだ。ふたりで手を固く握りあいながら、ホームに向かった。階段を降りる時、もう一度唇を合わせた。
わたしはそのまま乗って行けばいいが、佑介さんは、次の飯田橋で乗り換えてしまう。
「また一駅でお別れね」
「そうだね。また連絡するね」と彼が言った。
わたしは二度、三度大きくうなずいた。そして、車両の内と外とで、前と同じように、でも今度はわたしが車内、彼がホームに残って手を振り合いながら別れた。代わりばんこだ。
目が覚めてからしばらく、ベッドの中で昨日の余韻を楽しんでいた。
布団のぬくもりと、きのう二人の心の間に通った温かさとが重なった。布団をきゅんと胴体の真ん中のほうに抱き寄せた。布団に顔を埋めると、うっかり昨夜の興奮にそのまま襲われそうになった。
起きてみると、だいぶ寒い。本格的な冬が近づいているようだ。でも空は気持ちよく晴れていた。
床暖房をつけて、エアコンも暖房にした。
母に会おうと思った。
「中間報告」という言葉が浮かび、自分で笑ってしまった。「中間報告」というよりも、もう一月以上会ってないし、実家には2か月以上帰ってない。母もおそらくわたしに会いたがっているだろう。
電話すると、4時に生徒さんが3人来るのだという。じゃあお昼を一緒にということになった。