第47話 堤 佑介Ⅶの2
文字数 2,832文字
西山の爺さんにどう話せばいいか、悩ましい問題である。彼がいっそ拒否してくれればいいが、とまで思った。
しかし逆に拒否された入居希望者のほうで、人権侵害だとか人種差別だとか騒ぎ立て、サヨク・マスコミがこれをかぎつけたら、彼らの恰好の餌食にされるだろう。
そんな先のことまで考えなくてもいいのかもしれない。
しかし、西山ハウスの空室率の高さがいい例だ。そのほかにも、戸建ての空き家がたくさんある。多少裕福な中国人に目をつけられれば、プラートと同じように、買い叩かれてしまうだろう。
日本政府は不動産の外資規制をやっていない。一方中国は土地私有を認めていないので、当然日本人が中国の土地を買うことはできない。
それで現在、北海道を初めとして、全国で中国人が土地の爆買いを進めているらしいが、こんなことを放置していると、そのうち領土の大半を乗っ取られてしまうかもしれない。
こんな不公正はないと思うのだが、国交省は、一向にその是正に乗り出そうとはしない。それどころか、外国人向けの案内パンフレットまで作って、どうぞ買ってくださいといった体たらくである。
政府が動くのを待っているわけにはいかないから、不動産業者としても、力の及ぶ範囲で、何らかの抵抗を示す必要があるのではないか。ただ売買や賃貸の媒介で儲かればいいというのでは、あまりに地域住民のことを考えなさすぎる。
全国不動産協会にはウチも加入しているが、この種の問題が議論されたというのを聞いたことがない。いつか機会があれば、本部を通して提議してみてもよいかもしれない。
ここまで考えてきて、そんな公共心みたいなものが俺にあったのかな、と思った。
一方では、中国人というだけでカテゴリーに括って、一介の不動産業者がしゃしゃり出て何らかの抑止行動に出るのもためらわれた。正直なところ、頭が痛い。
一方、ゲイカップルのほうは、格別問題ないと思う。それでも事実を知ったら西山の爺さんは拒否反応を示す可能性がある。だからこれは「友人」のままで通すことにすればいい。
西山さんにしてみれば、一度に三室も埋まるのだから、経営面では喜ばしいことだ。でも、中国人のほうは、知らせないわけにはいかない。ディレンマに悩むのではないか。
とにかく、早く知らせて、考える時間を確保してもらうのがいい。さっそく電話を入れた。
「三人の方から申し込みがありまして……」
「さよか。そりゃ嬉しいこってす。やっぱりあんたはんとこ頼んでよかった。おおきに」
心から喜んでいるふうが電話の向こうから伝わってきた。話しづらくなった。
「ところがですね。一つだけ問題があって……」
「何やねん、問題て」
「申し込んだ方のひとりが中国人なんです」
「あ、中国人。さよか」
西山さんは、しばらく無言で、考えているふうだった。よきにつけ悪しきにつけ、関西人は、関東人よりも猥雑でたくましい世界を生きているので、外国人に対するイメージをはっきりと固めている可能性がある。
「中国人と言っても、いろいろですからね。私が直接会わなかったので、何とも言えないんですが、一応勤務先はきちんとしていて、年収は高くはないですけど、そこそこという報告は受けています。」
私は言葉をつないだ。
「なんぼやねん」
「申込書には、35歳で年収300万とありますが、まだ証明書類を渡していませんので、本当かどうかわかりません」
「家族はいてはる?」
「奥さんに子ども一人とあります」
「証明書類かて、適当に作れるやろ」
西山さんは、思いのほかしっかりしていて、鋭く突いてくる。このへんは長年の勘がはたらくのか。
「それは疑えばきりがありませんが、当社としては、媒介が仕事ですから、書類がそろえばお話を続けさせていただくほかはありません」
西山さんは、また少し黙った。慎重に考えているふうだ。
「いまこの電話で返事せんとあきまへんか」
「いえ、まだ時間がありますから、お考えいただくのがいいかと思います。諾否はあくまでオーナーさんの決断ですから。ただし、私どもとしては迅速を心掛けていますので、オーナーさんのご承諾しだい、証明書類をすぐにでも送付する必要がありますし、書類がそろった段階では、拒否しにくくなるのはたしかですね。さき様も『せっかく苦労して揃えたのに、なんで』ってご不満をお持ちになるのは当然ですから」
またしばらく間があった。
「こういうこと、でけへんやろか。いまけっこう引きが多いようでんな。ほんで、書類は一応渡しておいてやな、さきさんが揃えてる間に、申し訳ないけど、もう一杯になってしまいましたて連絡入れる」
私は、この狡猾な知恵に内心舌を巻いた。75になろうという爺さんである。でもさすが大阪で長年営業職に就いていただけのことはある。昔取った杵柄か。
しかし自分自身としては、ウソをつくのは職業的良心が咎めるところがあった。西山さん自身の本当の気持ちを探ってみたくなった。
「失礼ですが、これまで中国の方と接触なさったご経験はおありですか」
「そりゃ大阪時代にぎょうさんありますがな。あの連中、とにかく利にさといちゅうんか、ずるいちゅうんか、こちとら顔負けやで。一度なんかわし騙されたさかい、会社にえろう迷惑かけてしもたこともありますねん」
やっぱりそうか。中国人VS大阪人。熾烈な商取引の世界。誠実さなど効かない世界かもしれない。
私が黙っていると、西山さんは畳みかけてきた。
「ほんでどやねん。そうゆうことできます?」
「それは……考えていなかったですけど、担当者が女性ですし、ウチは誠実さをモットーとしてますので、ちょっと難しいですかね。」
「やっぱ関東人はぼんぼんやね。外国人お断りにしときゃよかったね」
「それは、人権、人権で騒がしい当節、厳しいと思いますよ。内部事情申し上げて恐縮ですが、私どものほうにも火の粉が飛んできかねませんから」
「さよか。ほな、女房とも相談して、も少し考えてみますよってに、明日こちから電話します」
「よろしくお願いいたします」
西山の爺さんの中で、少しでも空室を満たそうという気持ちと、中国人を入れたくないという気持ちとが戦っているようだった。
最初会った時は弱々しい爺さんが泣きついてきただけかと感じたが、いざ取引となると意外と思慮深く、しぶといところを見せた。とすると、あの泣きつきも、半ばは私相手の演技だったのかもしれない。
こうなってみると、これは契約を成立させた方が面白いという、野次馬的な好奇心さえ頭をもたげてきた。もちろんこれは、先刻考えたことと矛盾する、理に合わないヘンな好奇心だったけれど。
とりあえず、書類送付に関しては、中国人は一日ペンディング、ゲイカップルは今日中に送るように、山下に指示した。
不動産屋も営業が命だからなあ、と帰宅途中で考えた。あのくらいの商魂をもたないといけないのかもしれない。俺は仕事以外の時間には、余計なことばっかり考えていて、西山の爺さんの言う通り、「やっぱ関東人はぼんぼんやね」。