第61話 半澤玲子Ⅸの2
文字数 3,667文字
出社時刻になった。夜になるともっと冷えることを考えて、クローゼットからお気に入りのベージュのハーフコートを引っ張り出した。
出社すると、中田さんが12日付で京都支社に転勤になることを知らされた。彼自身から聞いたのではなく、さくらちゃんに教えられたのだ。
昨日、わたしが外出した折に、課に残っている人たちに伝えたのだという。中田さんはわたしには黙っていたことになる。
本人に聞こえないように、さくらちゃんと小声でやり取りした。
「みんなを集めて?」
「いいえ。課長自身がデスクを回って、それとなく知らせてました」
「みんな、びっくりしてたでしょう」
「ええ。わたしもびっくりしました」
「優しくて人望が厚かったものね。残念ね。新しい人は決まってるの」
「さあ。決まってはいるんでしょうけど、正式には発表されてないです」
京都での役職は経理部長ということだったので、支社とはいえ、一応は栄典ということになるのだろう。
複雑な心境になった。
すぐ思ったのは、わたしの失敗の責任を取らされたのではないかという懸念だった。さくらちゃんに聞いてみると、あれはその日のうちに修復したのだから、それはないだろうということだった。わたしにも特にお咎めはなかったのだし。
「上からの単純な人事異動だと思いますよ。独身ですし」
次に思ったのは、もしかして、わたしと同じフロアにいることが気づまりになってきて、自己申告したのではないかということだった。この疑いは、さくらちゃんには言えない。
しかしよく考えると、何かもっともらしい理由をつけたにしても、ウチの社で自己申告がそう簡単に受け入れられる可能性は低い。やはりさくらちゃんの言うのが正しいんだろう。
身近に起きたことを、あまり自分に直接関係があることとして結びつけてはいけないと反省した。
そういえば昔、別れた夫から、酔った勢いで「女はよ、何でもてめえ中心に地球が回ってるって思ってるから、始末に負えねえよ」と言われたことがあった。その時はものすごくムカついて、人のこと言えるのか、自分はどうなんだと反発した。
けれど、年を経ていろいろ見てきて、いま思うと、たしかに女は、周りのことを自分に引きつけて解釈しようとする傾向が強い。男のジコチュウとはまた違った意味でそう言えそうだ。だから女どうしの関係ってドロドロともつれがちなんだ。
でもわたしにしてみれば、どうしても中田さんと自分とのかかわりにこだわってしまう。そして、ほっとする気持ちと、何となく中田さんが可哀相に思える気持ちとがないまぜになってやってきた。一抹の心のしこりが残った。
今日からちょうど一週間後に経理の仲間で送別会をやることになったそうだ。その時に、機会をとらえて私の懸念を確かめてみよう。
今日はオフィスの一日が何となく長く感じられた。中田さんとは席が間近なわけではないし、直接顔を突き合わせる角度ではない。それでもこのフロアはパーティションで仕切られてはいないので、顔をあげてそちらを向けば、視線が合ってしまう。
だから、今日はなるべく下を向いて、視線を合わせないようにしていた。パソコン上の帳簿とずっとにらめっこ。
でも午後3時ごろになって中田さんは外出した。わたしは思わず両腕を挙げて大きく伸びをした。
あくびが出たのであわてて口を手で押さえた。
隣の藤堂さんが笑いながら「お疲れ?」と聞いた。わたしより少し前の入社だ。有能で、課長補佐的な役割をこなしている。
「ううん、それほどでも。今朝早く目が覚めちゃったもんだから」
「今朝、寒かったわよね。うち、戸建てだから冷えるのよ。半澤さんのところはマンション?」
「そう。8階だから、冬はけっこうあったかいわね。でも今朝、窓開けたら寒かったー」
「こないだまであんなに暑かったのに、秋って短いわね」
「ほんとにね」
藤堂さんは、結婚してお子さんもいる。たしかもう高校生くらいじゃなかったかしら。だから、彼女とは仲良くしてはいるけど、どうも共通の話題がそんなにないのだ。ママ友どうしだったら、きっと教育の話で盛り上がるんだろう。
わたしは、そのことを羨ましいとは思わなかった。ただ、どうしても会話が途切れてしまう。向こうも高齢独身女にあえて話題を振ろうとは思わないだろうし、こっちの身上に探りを入れようとすることは避けるだろう。
そんなわけで、それからしばらく、お互い仕事に没頭した。
ようやく退社時刻が近づいてふと窓の外に目を向けてみたら、もう真っ暗だった。街の灯が早くも煌めいていて、人々をいざなっているようだ。
朝、晩秋の気配を身に浴びたその日、今度は、日が急に短くなったことを思い知らされた。
それはそうだ。もう11月。冬至まで数えても二か月ない。
ロッカーからハーフコートを取り出してはおり、一階に降りた。今日はひとりで飲みにでも行こうかしら。秋の夜寒のなかを、女ひとり、何か思いを秘めながら街路を歩き、とあるカフェバーのドアをくぐった、なあんてね。
ふとエリを誘ってみようかと思ったが、もうちょっと我慢した方がいいような気がした。この前、告白されてから、まだ3週間も経っていない。どう進展しているか、何らかの決着がついているか……。
仮についているにしても、エリ自身が、ある落ち着いた気分になってからの方がいいだろう。わたしもそういうエリと向き合いたかった。それにはもう少し時間が必要な気がした。
会社から二駅ほどなので、渋谷に出て、昔何度か行ったことのある宮益坂のカフェレストランに行くことにした。ちょっと引っ込んだところにあって、フランスの家庭料理を食べさせてくれるのだ。電話したら、席を取っておいてくれるという。
渋谷駅を出て、いつもの恐ろしい雑踏をかいくぐりながら信号を渡り、坂を昇る。
そういえば、つい一昨日、ここで例のハロウィンのバカ騒ぎがあったのだ。軽トラックがひっくり返されて警察沙汰になったそうだ。いつごろからあんなことが始まったのだろう。
ここ二、三年、テレビで見ていると、何をするでもない若者男女がぞろぞろぞろぞろと、身動きも取れないくらいの至近距離で、多くはヘンな仮装をしながら歩いている。その光景は、何というか、とても虚無的なイメージだ。
昼間ブラック企業でしごかれて、憂さ晴らしに、ともかく「ハロウィン」という名目を頼って集まってくるのだろうか。
別に西洋のお祭りに便乗することそのものに抵抗感はない。クリスマスだって同じだから。
また仮装して、その上でカーニバルみたいに何かイベントをやるならわかる。
でも見ていると、彼らは何にもやる気配がない。というか、特定の主催団体があるわけじゃないから、それはできない相談だ。お金だってほとんどないんだろう。
この目的もなく何のまとまりもない若者群衆は、はっきり言って気持ちが悪い。ヨーロッパに押し寄せた難民の群れのようだ。
痴漢もすごく多いのだという。その点でも難民に似ている。無秩序に大都会のど真ん中に放り出された無気力で孤独で寄る辺ない若者たち。
一時の気晴らしといえばそれまでだけれど、わたしの若い頃にはこんな現象はなかったんだから、どうしても、いまの社会全体のどんよりした雰囲気を象徴しているような気がしてならない。「社会生活難民」とでも名付けたくなった。
そして今年、とうとうミニ暴動みたいなことになってしまった。当然だと思う。
お店に着いて、赤ワインとポトフを注文した。やっと人心地がついた。
運ばれてきたお酒と食事に口をつけながら、あのバカ騒ぎのことがまだ気にかかっていた。
政府は雇用改善を自慢しているけれど、本当は、その中身が問題じゃないのかしら。ブラック企業に雇われて低賃金でこき使われていたり、パートやアルバイトや派遣ばっかりだったら、実際には生活は悪化してることになる。
多くの若者がそんな現状に置かれていて、希望をなくしている? だから、あんな無気力に見える集まり方をしてくる?
いままでこんなこと、ほとんど考えたことがなかったけれど、なんでこのわたしが柄にもなく考えるようになったのかしら。そう思ったら、ハタとあることが頭に浮かんだ。
もしかして、堤さんの影響かな。
そうだ、きっとそうだ。
いい年をして、頬がほてってくるのを感じた。いえいえこれはワインとあったかいお料理のせいよ、と自分に言い訳してみたものの、何となく周りのお客さんを意識してしまった。
そういえば、一昨日の彼からのメールにまだ返事していなかった。
堤さんというまだ見ぬひとりの男性へのわたしのいまの思いを、なるべく忠実に伝えたいという気持ちと、いま考えていたことについて彼がどんな答えを用意しているかを知りたいという気持ちとが重なった。
大きな玉ねぎをそのまま口に入れてほおばり、濃厚なスープをすすりながらスマホを取り出した。
この前のメールを見ると、消費税の増税は、必要がないのに、政府が国民を騙しているのだと書いてあった。どう騙されているのか知りたかったし、このことといま考えていたこととは関係があるように思った。