第17話 堤 佑介Ⅲの1

文字数 3,404文字

                             
 2018年9月8日(土)

週の初めにだいぶ気温が下がって過ごしやすくなったと思ったのに、週半ばからぶり返して、今日はまた真夏日だ。

それよりも、4日に台風21号が西日本を直撃し、関空への連絡橋にタンカーが衝突、多くの倒壊・半壊家屋が出た。それもつかの間、6日の夜中に今度は北海道胆振地方で震度7が襲って、全道がブラックアウトしてしまった。

いやはや今年の日本は猛暑、水害、台風、地震と自然の猛威が立て続けにやってきて、これは神様の何かの警告ではないかと言いたくなる。

首都圏はいまのところ被害に遭っていないが、いつ直下地震や南海トラフ地震がやってこないとも限らない。

少し前に土木学会が阪神淡路大震災のデータをもとにして、南海トラフ地震による被害総額のシミュレーションをやっていたが、それによると、なんと1400兆円、首都直下の場合だと700兆円を超えると推定していた。こうなったら日本は終わりだ。

政府はソフトな防災対策ばかりやらないで、インフラなどハードな対策にどんどん金をつぎ込んでもらわないと困る。「ヤマモリ」なんてくだらない問題で時間を空費して、政治家や官僚はいったい何をやっているんだろう。

もっともあれは野党があらさがしのために仕掛けているんで、民自党は早く打ち切りたくてしょうがないんだろうな。野党もどうしようもないな。

わが不動産業界だって、他人様に商品を進めるのに、耐震性や浸水の防止など、防災関連の部分をもっともっと重視しなくてはならない。お客さんも当然そこを突いてくる。

また、いくら災害列島だからといって、日本から逃げ出すわけにはいかないんだから、毎日の活動をやめることはできない。建設中のビルや住宅も、粛々と進めるほかはないわけだ。


折しも今日は、大手から販売を委託された新築物件の発売開始日だった。

初日なので、私も現地に行かなくてはならない。こういう時は一応、責任者の威厳とやらを客に示しておく必要がある。「威厳」などという言葉を浮かべてみて、少し自嘲的な気分にもなったが。

山下以下、賃貸担当グループに後を任せて、現地へは4人で赴いた。山下はベテランだから、彼女に任せておけば、たとえ売買の部分が手薄になっても大丈夫だろう。

ウチでは、賃貸と売買とに担当を一応分けている。賃貸のほうが物件数が多いし、維持管理業務もあるので、人数を多く配置している。

しかし、格下の社員は時々担当を入れ替えて、臨機応変に対応できるようにしている。こうしておけば、一種の社員教育にもなって、一石二鳥だからだ。

新築物件は、駅から徒歩20分、バスだと7分、バス停からは徒歩3分、土地190㎡、二階建て、延べ床面積112㎡、価格8,780万円。

うーん、これで売れるかどうか微妙なところだ。しかし相場からすれば、条件はそんなに悪くないから、案外客がつくかもしれない。

幟を何本か立てた。チラシも相当撒いた。ただ、マンションに比べると、ここのところ戸建ては相当売り上げが落ちているのが心配だ。先だっての若い男が言っていた「フユーソー」を狙うしかないだろう。

洋間の一室があらかじめ仮のオフィスに充ててあり、私はそこに座り(と言っても、客が来れば立ち上がって出迎えるが)、岡田が主たる説明役、八木沢が補佐、受付役に去年正規として入社した川越嬢。

9時に到着して、10時開場。前にも何度か下見しているが、やはり新築特有のいい香りが鼻をくすぐる。

「今日は晴れたのはいいですけど、暑さが気になりますね。いまから30度近いですからね」と岡田。みんなの士気が落ちてはいけないと思って、私が応じる。

「うん。でも雨よりはマシだろう」

ところが出だしは上々だった。午前中だけで、17組が訪れた。3組の夫婦が同時に内見に訪れた時間帯もあった。

天候はけっこう決定的なのだが、暑さはどうやらそんなに響いていないようだ。みんなもう慣れてしまったのかもしれない。

中に脈のありそうな中高年夫婦がいた。ていねいに書かれたシートを見ると、夫57歳、妻54歳、子どもが社会人一年生の姉と大学生の弟二人。中堅IT関連企業の管理職で、年収も悪くない。

私と年齢が近いので、ふと羨ましい気持ちが心をかすめる。

この夫婦には岡田が対応した。

「子どもが自立しないもんですからねえ。マンションが手狭になって」

奥さんがニコニコしながら言った。

「新築ってやっぱりいいわねえ。設備が素晴らしいわ」

「最近は、そこに力を入れませんと、お客様に喜んでいただけないんですね」

「庭がけっこう広いのがいいね」とご主人。

「お庭造りなどは」

岡田がそつなく奥さんに水を向ける。

「わたし、前からの夢だったんです。ベランダや室内に鉢植えを置くだけでは物足りなくて」

「ここですと、季節の花がいろいろと楽しめますよ」

「そうですね。バラなんかにも挑戦してみたいわ」

もう住んだ気になっている奥さんをよそに、ご主人はしばらくあちこちを見まわしている。やがて今度は私のほうに向きなおって聞いた。

「この建物は、耐震級数はいくつですか」

来た、と思った。最近の客はよく研究している。

「はい。最高度の3を採用しております」

パンフレットを見せながら、地盤の揺れの建物への影響を最も少なくする免震構造を採用していることも説明する。

「この構造だと、普通の耐震設計と違いまして、最高震度7まで持ちこたえます。」

次なる質問。

「この地域一帯の地盤て、大丈夫なの?」

いいところを突いてくる。

「はい。杭を打ち込んで固い地盤にぶつかるまで何センチかを調査するんですが、この地域は、19センチで、関東では2番目に安定していることがわかっています。土地によっては50センチくらいずぶずぶ行っちゃうところもあるんですよ。あと免震構造は軟弱な地盤にはむしろ不向きなんですが、ここは盤石ですから、その点でも適合していると言えるんですね」

熱心に説明を聞いてくれた。客の中には、冷やかしも多く、「こんな高い金、うちじゃ無理だよ!」などと捨て台詞を吐いて去っていく人もいるのだが、この夫婦は違った。


午後もそこそこ盛況だった。三十代後半から四十代が多かった。金利が低いので、チャンスと見ているのだろう。消費増税の前の駆け込みを狙っている点も挙げられる。

一人の男性客が訊いた。

「来年10月になったら10%払わないといけないわけですよね。この価格だと8%との差額が……」

八木沢が最後まで言わせずに応える。

「ええ。18万近く出ますね。大きいですよね。ただ一応はそうなんですが、阿川政権の決定が不透明なものですから、それが出るまでは私どもも8%で計算させていただいております。」

「というと、10月以降でも8%のままっていう可能性もあるわけですか」

「皆無ではございません。おそらく年末までには決定すると思うんですが。申し訳ございません。今の時点で確かなことが申し上げられなくて」

「軽減税率は適用されるんですか」

「不動産はされないんです。大きい買い物ですから政府もガッチリ押さえようとするんでしょうね。ただし、ローンを組まれる場合は、住まい給付金制度というのがございまして、8%のままだと10万円から30万円ですが、10%に増税後は10万円から50万円までの一時金が出ることになっています。また、もしかしたらさらに優遇措置が取られるかもしれません」

八木沢の説明を傍らで聞きながら、いまさらながら、消費増税という政策に対する苦々しい思いがこみ上げてきた。なんでこのデフレの時期にわざわざ消費を悪化させるような政策を取るんだ。

お客さん、すみません。消費者の方たちだけじゃなく、こちら納める方もたいへんなんです。申告期になると一度にどっとですからね。しかも粗利全体にかかるんですよ。

ウチの場合はきめ細かさが要求されるサービス業だから、外国人を使うわけにはいかないが、コンビニや外食産業や建設業なんかでは、最近にわかに外国人が目立つようになった。あれはやっぱり経営が苦しいから、人件費を削減せざるを得ないんだろうな。

それに、大企業じゃ、給料支払いにかかる消費税の控除を狙って下請けに外注するところが多いというのも聞いたことがある。下請けいじめだ。

こういうところにも、増税が追い打ちをかけて、景気回復はますます遠のくだろう。困ったものだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み