第99話 半澤玲子ⅩⅣの5 

文字数 2,519文字


いろいろな話をした。

佑介さんは、『広い世界の端っこで』を見た、と言っていた。

「さらっと見ただけなんで、よくわからないところもあったんだけど、幼いころヘンなオヤジの駕籠のなかで、未来の夫の周平と出会ってるでしょう。それ、妹に描いて見せるよね。あれ、ゆきさんの空想なんだよね。一応、結婚話の時に周平がどっかで一度会ってるって言うけどさ。でもその好きな絵をずっと描き続けていて、そのままアニメで日常生活を描いていく画面の流れにつながってくとこが、すごく見事だね」

「うん。そうそう。それで、あのヘンなオヤジさん、最後のほうで、橋の上で話してるふたりの後ろを影みたいにスーッと通り抜けるのよね」

「え? そうなの? 見落としてた。今度もう一度見てみよう」

「わたし、原作の漫画も読んだのよ。そこにもほんのちょっとだけ出てくるの」

「あ、そうなの。原作とアニメとどっちがよかった?」

「うーん、一概に言えないけど、アニメでは、たとえば子どもの時におばあちゃんのうちで天井裏から降りてきてスイカの残りをしゃぶる貧しい女の子が出てくるでしょう。あれ、ゆきさんが闇市で買い物してから遊郭に迷い込んじゃう時に出てくる遊女のお蘭さんなのよね」

「あ、そうか、それも気付かなかった。だからスイカの絵に引きつけられるのか」

「うん。それがね、原作では、そういう伏線がはっきり描かれてなくて、その代わり、お蘭さんは周平さんの昔の恋人だったってことになってるのよ。恋人って言っても遊郭で知り合ったんだろうけどね。それがさりげなく示されてゆきさんはそれを知って複雑な思いに駆られるのね。そういう翳りみたいなのが、アニメにはない」

「なるほど」

「それと、周平さんの勤め先にゆきさんが会いに行って街を散歩するシーンで、ゆきさんがこのごろあまり食が進まないって言って、二人で『あーっ!』て言いあうところがあるでしょう」

「あった、あった。あれ、妊娠したんじゃないかってことでしょ。それで、ヘンだなって思ったんだけど、義姉さんが二人分、って言って、てんこ盛りのご飯差し出すのに、翌日んなると、おかゆ一人分しか出さないよね。あれ、どういうことなの」

「あれ、よくわからないわね。ちらっと産科医院から出てくるカットがあるんだけどね。それも原作だと、産科行って調べてもらったら栄養不足の生理不順だったってことがちゃんと書いてあるの。で、産科の帰りにもう一度お蘭さんの所に寄って、いろいろ話すんだけど、そこでお蘭さんがゆきさんの名前聞いて、はっと覚るのよ。ゆきさんはゆきさんで、荷物整理してた時に派手な茶碗発見して、それで覚るのね。そういういきさつがアニメじゃ省かれてるから、そこは原作のがていねいだし、なんていうか、文学的な深みがあるわね」

「その原作持ってる?」

「ええ。あとで貸してあげるね。でもわたしはやっぱり直美ちゃんと右手を失う時のシーンが、アニメならではと思ったわ。原作ではちょっと物足りない描かれ方してる」

「ああ、そうなんだ。アニメで人間の何とも言えない感情を表現するのって、難しいんじゃないかって思ってたけど、あの真っ暗になっていろんなイメージがちかちか飛び交うの見たら、一瞬にして運命が変わってしまったゆきさんの、呆然とした感じと虚脱感がすごくよく出てたね」

「それもさりげなくなのよね。それって、絵はうまいけど、ぼーっとしてるっていうゆきさんのキャラとマッチしてるんじゃないかしら」

「ああ、なるほど。そうだね。いい映画、紹介してくれてありがとう。僕はあれ見てるうち、広島の実家に戻って原爆でやられるんじゃないかと思ってたんだよ。でもそれだと悲惨さが強調され過ぎて、メッセージ性が出ちゃうでしょう。ちょっとした偶然で地雷を踏んづけちゃったってのが、全体のトーンを壊さない要素になってると思う」

「うん。そっちは時限爆弾があるから気をつけろよーって声がするんだけどね。ゆきさん、ぼんやりしてるのよね」

「うん。考えてみると、僕たちの日常って、あんなふうかもしれないね。だからこそ戦争のさなかでも、戦争に負けても逞しく生きていけるのかもしれない」

「そんなに悲惨さが強調されてないところがいいわね」

「そう。広島の原爆っていえば、教科書なんかに乗ってる丸本夫妻の『原爆図』とかさ、マンガの『はだしのケン』とかがもてはやされてきたでしょう。ああいうのって、やたら悲惨さが強調されるから、それだけで政治的なメッセージ性持っちゃうんだよね。それをサヨク政党が利用する」

「わたし、ああいう気持ち悪い絵とかマンガって、好きじゃないわ。ああいうの見て、平和の大切さを知る、なんて気持ちにほんとになるかしら」

「たぶん、一部のインテリはなるだろうね。頭で理解しようとするから。それで思い出したんだけどね……」

「あ、ちょっと待ってね。ゆうくんの持ってきたお酒出してくる」

わたしは冷蔵庫で冷やしておいたのを取りに行った。もう一度乾杯。


佑介さんは、それから、広島の原爆慰霊碑の文句がふざけてると言い出した。

「安らかに眠ってください。過ちは繰返しませぬから」というあれだ。過ちは誰が犯したのか、主語がない。原爆投下は、明らかにアメリカの民間人大虐殺という戦争犯罪なのに、日本人や日本政府は、それに対して正当な怒りをぶつけたことがなく、ただ「平和への祈り」を繰り返すばかり。敗戦は、かくも日本人を去勢してしまった。GHQに完全に洗脳されて、日本人はこんなに悪い戦争をしたんだって思いこまされてしまった云々。

わたしもほんとにそうだと思った。でも、珍しくやや興奮気味の佑介さんをなだめなくてはならなかった。

「ゆうくん。顔がちょっと怖くなってる」

「いや、ごめんごめん。いつの間にかヘンなほうに話が行ってしまって。誕生日にふさわしくないね」

これは、彼がまじめな証拠だ。そういう真面目なところがわたしは好き。でも、もし食卓でしょっちゅうやられたら、ちょっとうんざりかもな。こういうの我慢するのが難しいんだよな。

そう考えた時、もう自分が彼と夫婦気取りでいることに気づいた。それで、さっきの決意を思い出した。やはりいまここで話してしまおう。
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