第11話 堤 佑介Ⅱの3

文字数 3,133文字


こんなことを考えているうちに、昼過ぎになった。2,3日前に比べるとずいぶん涼しかった。バルコニーの向こうの空はどんよりと曇っている。あまり外に出る気もしなかったので、半日は本でも読んで過ごそうと思った。

買い物は休日にまとめてやるが、夕方になってからでもいいだろう。

何気なく本棚に目をやると、『電子マン』というのが目に入った。13、4年前の本だが未読だった。当時オタクの恋愛成就をテーマにした『電車マン』が大ヒットして、数か月後にそのリアクションとして書かれた本だ。

『電車マン』はそれなりに面白かった。オタクの童貞主人公が電車の中で若い女性を助けたのがきっかけで、女性に魅力を感じ、相手も好意的に迎えてくれるので、勇気を振り絞って「脱オタ」を果たしていくという、他愛ない筋書きだ。

しかし全編3ちゃんねるの書き込みで埋め尽くされた表現のスタイルが斬新だったので、いまでも印象に残っている。

これはたぶん、個人の書き物ではなく、3ちゃん運営者と出版社が共同で構成したものだろう。

おびただしい掲示板書き込みでは、すべてが主人公の「脱オタ」を応援してくれる格好になっているが、そんなはずはない。編集に相当のエネルギーを注いで、意図的に取捨選択したり、関係ないスレッドも強引に寄せ集めたりしたに違いない。

それでも、こういう種族が膨大に存在して、お互い知らないどうしがネットを利用して一大村落を作っている事情はよくわかった。

もう少しこの世界を知りたくなって、『電車マン』のカウンターだという『電子マン』も買ったのだが、こっちは積読になっていた。読んでみることにした。

分厚い本で、サブカル情報満載だが、言いたいことは簡単だった。でもそれなりに読ませる。買い物は中止して、ビールを飲みながら冷蔵庫にあるもので晩メシをすませ、後半は繰り返しが多いので、斜め読みした。読み終えたのが夜の9時ごろ。



こちらは、マスコミが作り上げた恋愛幻想を目の敵にして「恋愛資本主義」と呼ぶ。

その自由競争市場では、選ばれたイケメンだけが支配権を握ってきた。それに踊らされた大量の「負け犬女」たちが、もてない「キモメン」のオタクたちを蔑視して、奴隷のように利用する。しかしすでに三次元、つまり生身の現実世界での「恋愛は死んだ」。

だからこれからは、個人の妄想にもとづいた二次元世界、つまり漫画、アニメなどの視聴覚メディアを享受して、そのなかのキャラに愛を傾ける「萌え」が、金とセックスの渦巻く三次元世界の恋愛にとって代わる。

「萌え」は、セックスだけが目的の残酷なイケメン軽薄男たちの世界と違って、モテないが優しいオタク男たちの妄想力による創造的な世界だ。

そこには現実世界のように傷つけあうこともない純粋で対等な愛の世界が広がっている。脳内で妹や姉や妻を作って、それで平和な「家族」を築けるのだ。

二次元が「恋愛資本主義」の支配する社会に革命を起こして、三次元に対する優位を獲得する日は近いから、オタクたちよ、暴発しないでもう少し我慢しろ、というのである。



アホらしいと言えばアホらしい。平安貴族の社会じゃあるまいし、昔からつきあうかつきあわないかの許諾権は女性が握っている。それを女性自身も知っているから、自分の容姿を磨くことに余念がないのだ。

男にとって女性は可愛い存在だが心をつかむのが難しい困った存在でもある。恋愛自由市場で敗者になった男は、諦めて次に挑戦するしかない。二次元はしょせん二次元。

この作者は、豊かな妄想力を二次元の専売特許みたいに強調しているけれど、現実の恋愛だって妄想から始まって妄想に終わる。実際に会ってひとめぼれなんてのも中にはあるが、きっかけが二次元であることも多い。

お見合い制度がなくなった代わりに、恋活、婚活サイトなんかがけっこうはやっている。あれは写真やメッセージなどの二次元情報が始まりじゃないか。

それに、いったんお互いに好意を持ったからって、しょっちゅう会えるわけじゃないから、その間は、メールなんかの文字情報で埋め合わせて、妄想を膨らませたり、維持したりしなくちゃならない。相手の写真を何度も眺めたり、顔を思い出して絵に描いてみたりして。

そうだ。この本の作者は、二次元と三次元をはっきり分けているけれど、事実は、二次元が三次元を支えたり、三次元の出会いが次の二次元妄想を誘発したりする。そうやって、結局は、うまく行った現実の出会いというのは、二次元妄想が三次元の現実に回収される形で成就するんだ。

この本は、モテないブサイクなオタクのコンプレックスやルサンチマンを慰撫する効果ぐらいはあっただろう。あるいはこれを読んで二次元世界に目覚める男も多少はいたかもしれない。しかし結局はそれだけのこと。



でも――と、ふと気づいた。

『電子マン』を『電車マン』と対で考えると、ちょっと笑って済ませられないことを示唆していると思った。

二次元はしょせん二次元といったけれど、もちろんこの作者はそんなこと百も承知なのだろう。自分のオタク的な趣味嗜好を『電車マン』的な三次元優位主義に逆らってあえて対置して、同時に時代の変化をやや誇張して表現しているのだ。その姿勢は、とても意識的なのかもしれない、と思った。

考えてみれば、ここには現実の日本のあり方が映し出されている。私の仕事にも無縁とは言えない。

この本が書かれたころよりもデジタル技術は格段に進歩した。またSNSサービスやYou Loopなどの動画共有サービスもどんどん充実して、個人が安い値段で「二次元」メディアに接することはとても容易になった。中学生だって、エロ動画も見放題だからな。

毎日の食事でも、コンビニやスーパーが、栄養バランスの取れた個食セットを品ぞろえしてくれているので、男の一人暮らしには不便を感じない。コンビニや自販機が全国津々浦々にこんなに普及している国は日本くらいだそうだ。私自身もずいぶんそれで助かっている。

あれだけの栄養バランスの取れた食事を、毎日家庭で主婦が作るとなったら、手間がたいへんだろう。だいいち、いまは共働き夫婦が多いんだから、そんな時間もない。できるとしたら、よほど経済的にも時間的にも余裕のある専業主婦だけだ。

スマホの爆発的な普及も大きい。私たちの青春時代には携帯電話などなく、固定電話か公衆電話だけだったから、親に聞かれたくない電話は、親がいない時か、公衆電話を利用するしかなかった。

でも、これだけ個人のプライバシーが機能的に守られる時代になってみると、そういう心配はほとんどなくなってしまった。PCだって、パスワードでロックしておけば見られる気遣いもないし。

こういう形での技術革新が、プライバシー尊重の風潮を作り出したと言えるかもしれない。時代が総力を挙げて個人主義のほうへ、個人主義のほうへとみんなを押し込んでいる気がする。

それに、最近では、別にオタクでなくとも、恋愛で傷つくのを恐れて、あまり現実の女性と関わろうとしないとか、異性の友人さえいない若者が増えているとかいう話をよく耳にする。

次々に「萌え」作品が生み出されていく「二次元」は、そういう若者たちの恰好の受け皿になっているに違いない。女性でさえ男性をしのぐほどに二次元世界に吸収されていっていると聞いたこともある。

また不況が続いているから、経済的な理由も大きいのだろう。恋愛するにはお金がかかるし、結婚ともなればさらに安定収入が必要だ。先日オフィスに訪れたあのカップルも、これからどうなることやら。

私自身がこの年で独身だし、恋愛をめんどくさいと感じる若者の気持ちがわかるような気がする。実際、恋愛は本気になればなるほどめんどくさいものだ。
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