第31話 堤 佑介Ⅴの1

文字数 2,467文字

                           2018年9月25日(火)



またまた大型台風が発生した。昨夜半から猛烈な勢いになり、ゆっくりと南西諸島に近づいているという。5日の台風被害や6日の地震被害がまだ修復されていないのに、被災地が追撃されたらどうなるのだろう。

しかし、この一週間ばかり穏やかな天気で、昨日までの三連休は秋らしい陽気だったので、客の入りもかなり良かった。賃貸の成約がいくつか成立した。

また1か月前に岡田が言っていた例の中古物件は、あれからオーナーとの相談で、価格を下げたので、少しずつ問い合わせが来ているという。

大災害が来ようと何だろうと、私たちが直接被害に遭ったのでない限り、平時には、これまで続けてきた仕事を淡々と、粛々と進めていくほかはないのだ。

三日間の忙しさに比べると、今日は比較的暇だった。午後からは渋谷の本部に出向き、事業開発部や各営業所と合同の会議に出席した。

議題はいくつかあったが、私が一番重要だと思ったのは、やはり単身高齢者の激増にともなう、居住形態の変更可能性についてだった。

提出された資料によると、2000年の国勢調査時から15年で、単身高齢者が約2倍に増えている。

国は介護や医療など、社会福祉の問題としてこれを取り上げるが、不動産業界としては、どういう形の居住形態を供給すべきかという課題となって表れる。

高齢者はもともと流動性が低いので、これまで住んでいた地域内での住み替えを促すような開発スタイルが望ましい。しかしまた、単身高齢者は低所得者層に多いので、移動のモチベーションもそれだけ低い。

けれども層は分厚いので、市場として魅力がないわけではない。医療ケア付きマンションのニーズは高いし、健康な高齢者も多いからだ。

開発部から出された提案は、よく宣伝されているような、いわゆる自然環境に恵まれた高額医療ケア付きマンションなどよりも、これからはむしろ高齢者が住み慣れている地域に焦点を当てるべきだというものだった。

特に日常生活用品が手近なところで手に入る下町的な物件の開拓に力を入れることが望まれると書かれていた。提案資料には、「下町コンセプト」と銘打ってあった。

賛成だった。

デフレが続いているので、私たちのような中堅どころは、大手のように富裕層を狙うのは望ましくない。中流以下、できれば低所得者層をターゲットとすべきだろう。第一、供給するこちら側の資金力に限界がある。

売買や賃貸取引に直接かかわっている者として意見を求められた。

私は、提案に賛意を表したうえで、次のようなことを述べた。

最近は戸建てよりも集合住宅にシフトしていること。

医療機関なども、たまり場的な要素を持った昔からの町医者的な存在がいるのが望ましいこと。

普段の生活に連続したコミュニティ的な条件を備えた地域をターゲットにすべきこと。

そうした要素が不足している地域ならば、「下町コンセプト」に当てはまる物件を積極的に探し求めるのが得策と考えられること。

さらに、特に低層で低価格の賃貸物件に目星をつける必要があるのではないか、たとえば街なかの空き家を安く買い取り、リフォームしてアパートを直営するのなども一つのアイデアだと付け加えた。

おおむね同意を得られたが、まだ混沌とした雰囲気のまま、会議は終わった。



近くの杉乃家で、ビールを頼んで、少し早い夕飯を食べながら、さっきの会議の中身について考えた。

自分が担当しているけやきが丘は比較的富裕層が多いので、今日の話に当てはまるような対象地域として想定してはいなかったが、案外そうではないかもしれないとも思った。

駅前にはURが50年前に開発した大きな団地があるし、昔からの商店街の広がりもある。庶民的な飲食店も多いし、クリニックもたくさんあった。

町全体は、若い層の転入が多く、鉄道会社を基幹としたデベロッパーが、イメージアップに力を注いでいる。半世紀の歴史があるとそれなりに成熟していて、高齢者のコミュニティ形成も進んでいるように思われた。

また高齢者の貧困家庭だってけっこうあるかもしれない。安価で新しくて老人が住みやすい集合住宅を提供すれば、団地から移ってくる人々もけっこういるかもしれない。

そのあたり、次の会議の時までに調べておこう。意外と地元のことをわかっていないものだと思った。

しかしこういう企画は、成就するまでに5年、10年と時間がかかる……と、そこまで考えた時、10年後は自分が高齢者の仲間入りをしていることに気づいた。

にわかに目の前の10年という時間が、リアルなかたちで意識に迫ってきた。

俺はこれからどう過ごしたらよいのだろう――それはまるで青春期の悩みのようだった。

私の隣の席では、杖を傍らに置いた80近い男が一人でしょぼしょぼと鯖をつつき、味噌汁をすすっていた。俺の未来の姿――侘しい連想に誘われた。

この前、篠原と会った時の再婚話を思い出した。あの時は酔った勢いで、少し浮き浮きして、年甲斐もなく夢を膨らませたが、その後仕事に追われてそんな気分を忘れていた。

紹介話があれば受けてもいいし、いい人がいればつきあってもいい。でもそんなに簡単に見つかるもんじゃないからな。結婚にまでこぎつけるとしたら、さらにたいへんだ。



ふと亜弥に会ってみたくなった。彼女が勤める事務所は表参道にあって、会う時はいつも渋谷近辺にしている。

これまではいつも向こうから連絡してきた。いまでもこちらから連絡するのは気が引けるところがある。ちょっと迷ったが、でも、そうしてもいいじゃないか、自分の気持ちに素直になろう。

そう思ってスマホを取り出した。

「あら、どうしたの」

「いや、ちょっと会いたくなった。今日は忙しいか」

「うーんと、ちょっと仕事残ってるけど、渋谷だと、8時くらいなら大丈夫かな」

「何が食いたい」

「そうね。ステーキ!」

「ステーキか。若いな。じゃ、マロリーの7階に、何とかいう肉バルがあったろう」

「ああ、マツムラね。そこでいいわ」

「じゃ、先に行って席とっとくから8時に」

「オーケー」
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