第27話 堤 佑介Ⅳの5
文字数 1,502文字
「すみません。ラスト・オーダーになりますが」
見渡すと、もう他の客は一組しかいない。
「そろそろ終わりにするか」
「そうしよう」
「あ、けっこうです。どうもごちそうさま。おあいそ」
「どうもありがとうございます」
「アキちゃん、セクハラに遭わないように」
アキちゃんは、マスターとまた目配せして、ほほえみながら、
「ウチのが守ってくれますので」
「二重にごちそうさま、それじゃ、また」
外に出ると、ついこの前とは打って変わって、ひやりとした空気が頬を撫でた。篠原の足は少しふらついている。
「おい、大丈夫か」
「大丈夫、大丈夫。いや、しかし今日は久しぶりに楽しかったな。言いたいことが言えた気がする。またやろう」
「大学ってところもけっこう抑圧的空間だな」
「けっこうなんてもんじゃないさ。俺みたいな異端児にとってはな」
どちらからともなく握手をして、駅に向かった。
たしかに楽しくはあったが、まだ聞き足りない思いがかすかに残った。それは、男女関係というのは、政治的な、また社会的な強さ、弱さといった切り口では語れない部分があるのではないかという疑問だった。
表通りをまかり通っている「正義」のあれこれでプライベートな問題を測り取るのには、どこか無理がある。これは社会学とか、倫理学とか、政治の声といった枠組みではうまくとらえられないんじゃないか。
つまり篠原と本当に議論してみたかったのは、社会正義の以前にある男女の性差についてどう考えるのかという問題だった。というのも、最近の「どっちが正義か」という表通りの議論は、いつも、具体的な性差の問題を無視しているように私には思えて仕方ないからだ。
人権、平等、自由、格差、合法性、多様性、多文化共生、責任、どの語彙も抽象的で、普通の生活感覚から乖離している――しかしこれは、結局自分だけで感覚を研ぎ澄ませて考えるしかないのかもしれなかった。それに、次の機会もある。
改札の手前でふいに篠原が言った。
「それにしても堤。さっき俺が言ったこと、もう少し真剣に考えてみろよ」
「さっき言ったことって?」
「サイコンだよ、サイコン」
「ああ、その話か、考えとくよ」と受け流してはみたものの、人から言われると、たしかに自分の内面でリアリティが増してくるのを否定できなかった。
改札をくぐってから、逆方向なので、「じゃ、またな」と言いながら篠原と別れた。
トイレに立ち寄った。
再婚か、いい女がいればな。
放尿しながら、そういう個人的な身の振り方のほうもおろそかにするわけにはいかないな、とだんだん本気になっているのを感じた。
そうすると、好奇心でこだわっていたさっきのテーマとは、まったく別の形でそのことが自分の心を占領してくる。しかし、こちらの方は、「どう考えるか」というよりは、「どう行動するか」という問題だろう。
いや、そうでもないのかな。結婚経験や不倫経験はあっても、自分だって「生涯未婚率」のお仲間と大して変わらない境遇にいるといってもおかしくない。行動する前に「考える」ことも必要だろう。
女性と深い接触をしなくなってから長い時間がたつ。それを自分の意思の問題のように思っていたけれど、知らず知らずのうちに、いまの時代風潮に影響されていたのかもしれない。つまり、男性が女性に遠慮して近づかなくなっている風潮に。
酔いも手伝ってか、これからのことを考えてちょっと篠原のアドバイスに乗り気になってきた。年甲斐もなく、はずむようにホームへの階段を降りた。
明日予想される忙しさのことなどはどこかに吹き飛んでいた。もちろん、自分から積極的にならずに、うまい話が向こうからくるはずがないと一方ではみずからを戒めてもいたけれど。