第46話 堤 佑介Ⅶの1
文字数 3,126文字
2018年10月14日(日)
先週の日曜日、手はずが整ったので、渋々ながら西山の爺さんの要求に従って、広告を打った。裏面に前から売り出している戸建ての売却物件や、最近出た賃貸マンションを掲載して、抱き合わせの形を取った。
ポスティング用チラシ12000枚。ウチとしては普通の賃貸物件よりはかなり多いほうだ。もちろんネットにも出した。1000枚撒いて1件問い合わせがあればいい方だから、12件の問い合わせで成約が四分の一として、3件は確保できる計算になる。あとはネット頼り。
チラシの原稿は私自身が起草した。駅近で環境の素晴らしさと家賃の安さ、敷金、礼金なしを強調。
しかしこれはしょせん捕らぬ狸の皮算用である。ところが、山下に聞くと、昨日までに20件を超える問い合わせがあったという。そのうち8人を案内。もちろんまだ内装のリニューアルはしていないが、だいたいがいい反応を見せたそうだ。
成約には至っていないものの、まずは幸先良し、と思ったのだが……。
今日、契約を結びたいという連絡が3件入った。
私は別の売却物件の査定をしなければならなかったので、山下に任せて外出した。帰ってくると、山下は何となく浮かない顔をしている。
「どうだった?」
「それがですね。一人は普通の若夫婦で問題ないんですが、あとの二人がちょっと引っかかるんです。いえ、わたしは全然かまわないんですけど、一人が中国人、もう一人がゲイカップルなんですよ」
「へえ。よりによって」
私は、この前篠原と飲んだ時、中国人の不動産買い漁り面積が静岡県全県に相当しているという事実を聞かされ、何とはなしに嫌な予感がしたことを思い出した。
それから最近、自分がLGBTに関心を持っていることも、妙に符合する話だった。
「つまり、それを西山さんに伝えるのは、気が重いと」
「そうなんです。受け入れてもらえるかどうか心配で」
「たしかに、あの爺さんにしてみれば、痛し痒しだろうな。さっそく店子が見つかったはいいが、ちょっと異種の人たちをそうすんなりと受け入れそうに思えない」
「わたし、ゲイカップルのほうはまだいいかなと思ったんですけど、中国人だと、マナーの悪さが評判になってますし、家族と称して仲間をどんどん引き込んじゃうなんて話も聞いてますし」
「うん。私たちが別に偏見もってなくても、オーナーがどう感じるかが問題だからね。契約申込書見せてくれる?」
中国人のほうは、年齢35歳、職業は貿易関係で、聞いたことのない企業名が書いてあった。中国に本社がある日本支社か。年収は300万。同居人は妻と子ども一人、妻の収入は不安定だが、合算で420万くらいはいくという。現住所は品川区で、入居希望理由は、もっと安い家賃を求めて、とある。
これだけの情報では本当かどうかはわからない。
「この会社だけど、実在するの?」
「ネットで調べたら、一応実在しました。赤坂にあって、リサイクル原料の輸出入を扱っているそうです」
「ああ、あの辺はいろんな外国人がいるね。日本語は流暢なの?」
「流暢と言うほどではありませんけど、一応ふつうに話せます。3年前に本国から転勤になって、ビザはあと2年で更新すると言ってました。それで、所長に相談した方がいいと思って、証明書類の用紙はまだ渡さなかったんです。後でご連絡しますと言っておきました」
なるほど。本当なら断る理由はないが、西山さんの反応次第である。山下のとっさの機転に感謝した。
一方、ゲイカップルのほうは、同居人の欄に「友人」と書いてあったのと、なんとなくそれっぽい雰囲気なので、それと知れたという。年齢は31。職業はグッズ小売り。年収360万と書いてあった。
グッズとは怪しげだな、と私は卑猥な連想に誘われた。そして自分で笑ってしまった。
これも西山さん次第だが、身元さえしっかりしていれば、問題はない。しかし山下は、こちらも慎重を期して証明書類を渡さなかったという。
「どうもご苦労様。西山さんには私が当たりましょう」
「ありがとうございます」
山下はほっとしたような表情を隠さなかった。
中国人を入居させるかどうかは、周囲の環境への影響の問題だろう。もしこの当事者が、日本のマナーをよく理解して守る紳士的な人なら――そういう人が大部分なのだろうから――入居してもらって一向にかまわない。
だが、一般に中国人はどの国へ進出しても、中国人としてだけまとまって、けっしてその国の文化に溶け込もうとしないと聞く。東南アジアからオーストラリアに至るまで、華僑の伝統を受け継いで、自国の文化を持ち込み、そこで一種の自治区を形成してしまう。
「自由で寛容な国」オーストラリアでは、想像を絶するほどの広大な土地を買い取り、市民権をじわじわと勝ち取り、そうして気づいた時には、政治の中枢で発言権を持つに至った。いまようやく政府は危機を感じて、数多くの規制に乗り出しているそうだ。
欧米でもその進出ぶりは半端ない。去年の12月に謎の急死を遂げた中国系のサンフランシスコ市長は「聖域都市」宣言をして、国の政策に従わずに不法移民を囲い込んだという。
また一年くらい前だろうか。イタリアで日本語の先生をしている人のブログ記事を読んだことがある。イタリアは、北アフリカ系の不法移民・難民に悩まされているだけではないと知って、印象に残っていたのだ。
その記事によると、フィレンツェの隣にある人口19万ほどのプラートという普通の地方都市が、人口の九割を中国人に占められてしまった。15年くらい前から中国人移住者が増え、標識も漢字、聞こえてくる言葉は中国語というわけで、完全に乗っ取られたのだ。
この街は、繊維産業が盛んでイタリアの高級生地の産地だったため、裕福な家も多かった。ところがイタリアの業者が現ナマを突き付けられて中国人に工場を売ってしまってから、この街の繊維産業は中国の安い布地の勢いに勝てず、衰退していったという。
他人事とは思えない。個人個人はいい人たちでも、文化の違いからくる摩擦だけはどうしようもない。
けやきが丘は純然たるベッドタウンで、産業などは何もないが、都心に通うのはかなり便利だ。だからそう遠くない将来、中国人に占領される可能性があるというのは、あながち私だけの空想とは言えない。
有名な埼玉県の芝山団地でも、人口5000人のうち半分近くが中国人で占められているという。
ここでも分断が起きていて、中国人は自治会には加入しない。祭りの準備はすべて日本人、中国人は楽しむだけ楽しんでおきながら、後片付けも手伝わないという。日本人は高齢化していて、亡くなる人も多く、やぐらを組む力仕事に耐える人々も年々減っているそうだ。
これは実態を確かめようとわざわざ芝山に移り住んだ某新聞記者が書いていた。
ちなみにこの新聞は「リベラル」を気取ることで有名な毎朝新聞である。
万一、西山ハウスに入居を申し出てきたこの中国人が、背後にそうした関係を背負っていたとすると、家賃の安さを聞いて、親族、知人友人が押し掛け、西山ハウスの残りの空室を満たしてしまわないとも限らない。
篠原に示唆されていたにもかかわらず、これは想定外だった。
さらに将来的には、それが蟻の一穴となって、近辺のアパートや比較的安価な賃貸マンションに殺到するかもしれない。駅前には、豊かな森に囲まれた大団地もある。築50年と古いので、家賃は安く、しかも空くことが多い。
そうすると、仮にトラブルを起こさないとしても、付近の住民たちは快く思わないだろう。けやきが丘は高級感が売りで、ほとんどの住民はそれを崩されたくないと思っている。なのに、この街のイメージが次第に壊れていく可能性だって皆無ではない。