第76話 決心
文字数 2,378文字
樹が学校に来た翌週の月曜日、珍しく朝鷹爪から電話が鳴った。
あまりいい予感はしなかった。
たいがいこんな早い時間にかかってくるとろくな内容じゃない。
『あぁ、あたしだ。今週土曜の夜、預けてたブツ取り行くわ。取り引き相手が決まったんだ』
めんどくさい女だ。ヤクザのくせにてめぇのシャブ位持ってられないのかよ。
まぁ、今に始まったことじゃないが。
『分かりました。場所は学校でいいてすか?』
『あぁ、構わねぇ。12時位に行く』
『はい。じゃあその時間で…』
優子は美術室に行くとその預かり物をしまった引き出しを見た。
バッグに入った大量の覚醒剤。そんな物を持ち歩くことなどできず、自分と美術の杉山以外はまず来ることのないこの部屋の杉山も使っていないであろう棚の引き出しに一時的に隠してあったのだ。
だが優子が引き出しを開くとそこには何もなかった。
『え?確かにここに…』
優子はビックリして他の引き出しや扉を開くが棚のどこにも隠したはずのバッグはおろか粉一粒も見当たらない。
ない。なくなっている。
まだ小分けにされていない10kg程の物だ。末端価格にして数億円という金に化ける魔法の粉。
優子は何度も思い返し記憶を辿ったが確かにここにしまっていた。それは間違いない。
ということは誰かがここから持ち出したということになる。
だが誰が?
『あれ?白桐、もう来てたのか。おはよう』
優子が考えこんでしまっているとやがて杉山がやってきた。
まさか杉山が不審な物だと思って持ち出したのだろうか。
『なぁ、先生。この引き出しにあった物、知らねぇか?』
『ん?いや、知らんが何かあったのか?』
『いや…ちょっと…』
(知らない、か…)
いや、もちろん持ち出したとしたらごまかすだろう。
だがあれを見ただけでは覚醒剤とは分からないはずだ。おかしいと思ったらまず自分に聞いてくるんじゃないか?
でも、もし仮に分かったとしたら警察に言ったとしてもおかしくはない。
見たところ嘘は言ってなさそうだが…
いや、そんなことよりも土曜日までになんとかしなければならない。
「なくした」では済まない。
数億円のシャブをパーにしてしまったなんてことが知られたら、まず間違いなく命はない。殺される。
だが杉山じゃないとしたら一体誰が?何の為に?
『白桐。ちょっといいか』
杉山は改まって優子を呼んだ。
『なんだよ…』
『お前、このままで本当にいいのか?』
『は?な、なんだよ。急に真面目な顔しやがって』
杉山はいつになく真剣な様子でいる。
『もうこの学校に来て5年になるな…私も教師になって30年近くになるのか。そう考えるともう何百人と担任してきたことになるけど。その中でも白桐、君は私にとって特別な1人だよ』
昔を思い出してはにかむような、そんな穏やかな表情が優子には何かを話そうとする前ふりに見えていた。
だからやはり杉山が持っていったのかもしれないなんてことを思っていた。
『君は、こんないい歳こいて何もできない先公の私といつも教師ではなく1人の人間として接してくれた。嬉しかったよ。ありがとう』
『何改まってんだよクソメガネ』
『ただ謝りたいこともある。もっと君の抱える苦しみに早く気付いてあげれていたらと思っているよ』
『…何言ってんだよ…』
『君が本当にいたい場所はここじゃないだろう?いや、君はここにいるべきじゃないってことがこの何日かでよく分かったよ。君には君のことを何年経っても待っててくれている友達がいたじゃないか。君の後輩たちはどんな裏切りをされても君を疑わず会いに来た。君の親友は君のことをずっと心配して考えていた。きっとまた君のことを諦めないで助けに来る。そういう目をしていた』
分かっていた。
もちろん気付いていた。
でも自分には応えられない。
『だから…なんだってんだよ…』
『君と言い合っていたあの金髪の子に私は言われたんだ。校内に注射器が落ちてるのを見て平気な顔しないでくれ。先生なんだからって』
優子は目を見れなかった。
『彼女たちも不良なのだろうけど彼女の言っていることは間違ってない。私1人が何を思おうとできることは少ないかもしれないけど、君は私の大切な生徒だからこのままでいさせたくないんだよ。君を君の思う所に行かせてあげたい。君の高校生活、大事な青春をこのまま終わりにさせたくないんだ。白桐、君はきっと何か1人で背負いこんでしまっているんだろう?私に何かできることをさせてほしい。君にこれ以上、後悔するような生き方をさせられないんだ』
杉山が自分のことをそこまで思ってくれているとは思わなかった。
その気持ちは嬉しい。
でももう後戻りはできない。
『…いいんだ、先生。後悔なんてしてないよ』
『白桐…』
そうだ。3人を守る為に選んだ道じゃないか。後悔なんてあるはずない。
やっとこの地獄のような高校生活だって終わるじゃないか。暴走族だって今年で引退できる。
これで全て切れる訳じゃなくても少しは気も楽になる。
でも、そのもう少しだって時にまさかこんなことになってしまうなんて…
何故だ?一体誰だ?
鷹爪にこのことを知られないように今から探せるか?
いや、そんな手立てはない。もう次の土曜日だ。どうにもならない。
その時あたしは殺されるのか?
……殺される?
何故あたしが殺されなきゃならないんだ。
ここまであたしの人生を狂わされてきて、何故あたしの方が死ななきゃならないんだ。
あんな奴殺されて当然のような女じゃないか。きっと色んな奴から恨みを買ってるに違いない。
考えろ。
どうする?
考えろ。
どうすればいい?
考えろ考えろ考えろ!
どうするんだよ!
時間もない。手がかりもない。誰も頼れない。
考えたって、ダメだよな…それなら…
……どうせ命を狙われるなら、やるだけやってやろうじゃないか。
あまりいい予感はしなかった。
たいがいこんな早い時間にかかってくるとろくな内容じゃない。
『あぁ、あたしだ。今週土曜の夜、預けてたブツ取り行くわ。取り引き相手が決まったんだ』
めんどくさい女だ。ヤクザのくせにてめぇのシャブ位持ってられないのかよ。
まぁ、今に始まったことじゃないが。
『分かりました。場所は学校でいいてすか?』
『あぁ、構わねぇ。12時位に行く』
『はい。じゃあその時間で…』
優子は美術室に行くとその預かり物をしまった引き出しを見た。
バッグに入った大量の覚醒剤。そんな物を持ち歩くことなどできず、自分と美術の杉山以外はまず来ることのないこの部屋の杉山も使っていないであろう棚の引き出しに一時的に隠してあったのだ。
だが優子が引き出しを開くとそこには何もなかった。
『え?確かにここに…』
優子はビックリして他の引き出しや扉を開くが棚のどこにも隠したはずのバッグはおろか粉一粒も見当たらない。
ない。なくなっている。
まだ小分けにされていない10kg程の物だ。末端価格にして数億円という金に化ける魔法の粉。
優子は何度も思い返し記憶を辿ったが確かにここにしまっていた。それは間違いない。
ということは誰かがここから持ち出したということになる。
だが誰が?
『あれ?白桐、もう来てたのか。おはよう』
優子が考えこんでしまっているとやがて杉山がやってきた。
まさか杉山が不審な物だと思って持ち出したのだろうか。
『なぁ、先生。この引き出しにあった物、知らねぇか?』
『ん?いや、知らんが何かあったのか?』
『いや…ちょっと…』
(知らない、か…)
いや、もちろん持ち出したとしたらごまかすだろう。
だがあれを見ただけでは覚醒剤とは分からないはずだ。おかしいと思ったらまず自分に聞いてくるんじゃないか?
でも、もし仮に分かったとしたら警察に言ったとしてもおかしくはない。
見たところ嘘は言ってなさそうだが…
いや、そんなことよりも土曜日までになんとかしなければならない。
「なくした」では済まない。
数億円のシャブをパーにしてしまったなんてことが知られたら、まず間違いなく命はない。殺される。
だが杉山じゃないとしたら一体誰が?何の為に?
『白桐。ちょっといいか』
杉山は改まって優子を呼んだ。
『なんだよ…』
『お前、このままで本当にいいのか?』
『は?な、なんだよ。急に真面目な顔しやがって』
杉山はいつになく真剣な様子でいる。
『もうこの学校に来て5年になるな…私も教師になって30年近くになるのか。そう考えるともう何百人と担任してきたことになるけど。その中でも白桐、君は私にとって特別な1人だよ』
昔を思い出してはにかむような、そんな穏やかな表情が優子には何かを話そうとする前ふりに見えていた。
だからやはり杉山が持っていったのかもしれないなんてことを思っていた。
『君は、こんないい歳こいて何もできない先公の私といつも教師ではなく1人の人間として接してくれた。嬉しかったよ。ありがとう』
『何改まってんだよクソメガネ』
『ただ謝りたいこともある。もっと君の抱える苦しみに早く気付いてあげれていたらと思っているよ』
『…何言ってんだよ…』
『君が本当にいたい場所はここじゃないだろう?いや、君はここにいるべきじゃないってことがこの何日かでよく分かったよ。君には君のことを何年経っても待っててくれている友達がいたじゃないか。君の後輩たちはどんな裏切りをされても君を疑わず会いに来た。君の親友は君のことをずっと心配して考えていた。きっとまた君のことを諦めないで助けに来る。そういう目をしていた』
分かっていた。
もちろん気付いていた。
でも自分には応えられない。
『だから…なんだってんだよ…』
『君と言い合っていたあの金髪の子に私は言われたんだ。校内に注射器が落ちてるのを見て平気な顔しないでくれ。先生なんだからって』
優子は目を見れなかった。
『彼女たちも不良なのだろうけど彼女の言っていることは間違ってない。私1人が何を思おうとできることは少ないかもしれないけど、君は私の大切な生徒だからこのままでいさせたくないんだよ。君を君の思う所に行かせてあげたい。君の高校生活、大事な青春をこのまま終わりにさせたくないんだ。白桐、君はきっと何か1人で背負いこんでしまっているんだろう?私に何かできることをさせてほしい。君にこれ以上、後悔するような生き方をさせられないんだ』
杉山が自分のことをそこまで思ってくれているとは思わなかった。
その気持ちは嬉しい。
でももう後戻りはできない。
『…いいんだ、先生。後悔なんてしてないよ』
『白桐…』
そうだ。3人を守る為に選んだ道じゃないか。後悔なんてあるはずない。
やっとこの地獄のような高校生活だって終わるじゃないか。暴走族だって今年で引退できる。
これで全て切れる訳じゃなくても少しは気も楽になる。
でも、そのもう少しだって時にまさかこんなことになってしまうなんて…
何故だ?一体誰だ?
鷹爪にこのことを知られないように今から探せるか?
いや、そんな手立てはない。もう次の土曜日だ。どうにもならない。
その時あたしは殺されるのか?
……殺される?
何故あたしが殺されなきゃならないんだ。
ここまであたしの人生を狂わされてきて、何故あたしの方が死ななきゃならないんだ。
あんな奴殺されて当然のような女じゃないか。きっと色んな奴から恨みを買ってるに違いない。
考えろ。
どうする?
考えろ。
どうすればいい?
考えろ考えろ考えろ!
どうするんだよ!
時間もない。手がかりもない。誰も頼れない。
考えたって、ダメだよな…それなら…
……どうせ命を狙われるなら、やるだけやってやろうじゃないか。