第145話 殺るか殺られるか

文字数 1,176文字

 樹対優子の勝負は完全に優子の勝ちだった。

 同じ時期からキックボクシングを始め、ずっとお互い互角の実力で競い合ってきた。優子がいなくなってからもトレーニングを続け、神奈川一になる為、常に上の力を目指してきた。だが今の優子と自分にはそれは明らかな力の差があった。全てにおいて樹は1歩も2歩も及ばなかった。

(し…信じられねぇ…これが、優子か?)

 樹は完膚なきまでに叩きのめされ、力ずくですら自分は優子を止めることはできないのかとやりきれない気持ちになった。だがここで立てなければもっと辛い現実を見ることになる。樹はどうにか立ち上がる。

『もうやめとけ樹。お前じゃ今のあたしには勝てねーよ』

 優子は樹のことを見もせず言った。

『そうかもな…チクショウ。だけどよ優子…もうあたしたちの為に頑張らなくていいんだぜ?』

『は?…なんだと?』

 聞き捨てならない言い方だった。

『お前、あたしやあの2人を守る為にあたしらを切り捨ててそのクソヤローの言いなりになってきたんだろ?さっきそこで聞いたよ。赤い髪の奴に全部な』

(心愛?何故心愛が樹にそのことを…)

『だから優子、もうお前だけに背負わせたりしねぇ。だからもう1人で歩かねーでくれよ』

 優子は固めた決心が揺らぐのを感じていた。だけどそれはできない。樹にも旋にも珠凛にも、自分の命と引き換えにしても明るい道をずっと歩いていてほしい。

 だから樹のその言葉だけで十分だった。

 優子は歯を食いしばり心の中の耳もふさいで渾身の一撃を樹の腹に叩きこんだ。

『うぅっ!』

 樹は目の前は真っ暗になった。

『…樹、嬉しかったよ。あんたがあたしに会いに来てくれて。でも、もういいんだ…ありがとう、樹…』



 優子は樹を鷹爪に気付かれないよう校舎の影に隠すと美術室に向かった。例の戦国原と一緒にいた時に手に入れた拳銃は美術室の使っていない引き出しに隠してある。拳銃を手にすると丁度電話が鳴った。鷹爪だ。もう近いに違いない。いよいよだ。優子は電話に出た。

『おう、あたしだ着いた。持ってきてくれ』

『ねぇよ』

 優子のあまりの即答に数秒の間が空いた。

『あ?』

『お前のブツはもうねぇよ。残念だったな』

『んだと?…てめぇ!ふざけてんのかこの野郎!いいからさっさと持ってこいクソガキ!』

『だからねぇって言ってんだよ。盗まれちまった』

『てめぇ正気か!?この後取り引きがあんだぞ!ねぇで通る訳ねぇだろ!』

『知らねぇよ。盗まれちまったんだ。ここにはもうスプーン一杯の粉も残ってねぇんだからな』

『分かったぞ。てめぇでどっかと取り引きして売っ払っちまおうってんだなコノヤロー。いい度胸してんじゃねぇか』

 鷹爪は車を降りて校舎に向かった。

『ヤクザモンのブツに手ぇ出すってことはてめぇよ、覚悟はできてんだな?ガキィ』

 優子は鷹爪が校舎に向かってくるのを窓から確認すると電話を切った。
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