第137話 覚醒

文字数 1,860文字

 人間、激しい痛みを感じるとその痛みに逆らうような力を発揮することがある。

 出産の時など、妊婦が立ち合った夫の手をつかみ考えられないような力で握っていたなどよく聞く話で、痛みに限らず例えば恐怖だったり怒りだったり、羽交い締めにされくすぐられていた人がそこから逃げ出す為に信じられない力で振り切ったなど誰でも1度はあるのではないだろうか。

 雪ノ瀬瞬は今間違いなく薬の効果が切れ死ぬほどの痛みに襲われている。

 だが瞬は片腕をプランプランさせ片目しか開かない、そんなとてもバランスの取れない状況の中、真っ直ぐ四阿の方へ走るとドロップキックした。

 ありえない動きだ。

 そしてそのことに1番驚いているのは四阿だった。四阿は今何が起きたのか分からなかった。
 いや、目で見て分かっているのにも関わらず、もう1度頭の中を整理しようとした。
 そして四阿の脳みその中がまだ何もまとまらない内に瞬がおもいきり飛びこんで四阿を殴り飛ばした。

『ぶっ!』

 するとすかさずまだ四阿が起き上がらない内にダッシュしてきて蹴りつけダッシュして蹴り飛ばしてを繰り返した。

『くっ…そ、そうか。てめぇさては薬切れたみてーなフリして本当はまだ切れてなかったんだな!?』

 そうでなければ説明がつかない。だが時間は完全に2時間を過ぎている。
 いや、または隠し持っていた予備のステロイドと鎮痛剤を見てない内に打ったのだろうか?
 でもそんな時間はなかったはずだ。だが、でなければあり得るはずがない。

 それに何か、薬が効いていたさっきまでとは全く別物のような動きと雰囲気だ。

(くそっ、こうなったら足だ。動けねぇようにしてやる!)

 四阿は攻撃の目標を足に向けた。ひたすら同じヵ所を蹴り続け殴り倒してはその隙に足に集中攻撃をかける。
 蹴り、踏みつけ、拳も交え瞬の足を滅多打ちにした。

(どうだ!チクショウめ!)

 だが瞬は立ち上がり向かってくる。

(くそっ!こいつなんで倒れやがらねぇ!くそっ!くそっ!くそぅ!)

 完全に限界を超えたはずだ。左腕は折れ、目は片方しか開かず、隠しようのない激痛は確かなはずだ。
 しかし足で歩いてくるし片腕でまだファイティングポーズをとっている。

 四阿はこの時初めて恐怖した。

 まるで腹を空かせた狼が自分を食い殺そうとしているような殺意がその青い瞳からは感じられた。

(…食われる…)

 そう思った時、四阿は1歩後ろに退がった。

 雪ノ瀬瞬がゆっくり1歩ずつ近づいてくるのに合わせて四阿はまるで本物の狼に迫られながらいきなり襲いかかられないように慎重に慎重に距離を取るように退がっていった。

 瞬が飛び上がる。

 それは今までのダメージが全て嘘だったかのような、足にくらわせた攻撃などなかったことのような少しも衰えなど思わせない軽快な動きだった。
 そして空中でもうどういう動きをしたのかも理解に苦しむような回転を加え、そのまま強烈な蹴りを叩き込んできた。

(なんなんだコイツ!)

 四阿は恐れおののきながらもこれ以上退がらない覚悟を決めた。

 ジョーダンじゃない。相手は薬の効果が切れたただの人間だ。
 こっちは得体の知れないヤバいステロイドに中国製とかいう胡散臭い鎮痛剤を2本ずつも打ってるんだ。
 負けてたまるか。

 四阿は拳を振りかぶった。

 バチン!

 おもいっきり殴ってやった。今のこの無敵の体で。誰もが近寄れないこの力で。

『うっ!』

 しかし四阿は気づくと胸ぐらをつかまれていた。
 雪ノ瀬瞬の瞳はしっかりとこっちをにらみつけている。

『くそっ!っらぁ!死ねっ!死ねっ!』

 四阿は胸ぐらをつかまれながらも両手でパンチを打った。
 しかしその拳をかわすと雪ノ瀬瞬の拳が飛んできた。

 痛みはない。確かに痛みはない。だが圧倒的な恐怖があった。

 雪ノ瀬は胸ぐらを放さず続けて拳を振るってきた。
 もちろん四阿もやり返す。

 だがそれでも雪ノ瀬瞬は手を放さず、見えているのか分からない目で確実に殴りつけてくる。

(マジかよ…こいつ、ヤベぇよ…普通じゃねぇ…ぜってー変だ…あたしこのまま薬切れたらどーなんだ?殺されちまうんじゃねーのか?いや、それまでもつか?もう嫌だ。こんな奴とこれ以上やり合いたくねぇよ…頼むから倒れろよ!)

 しかし瞬は倒れることなく四阿を圧倒し続けた。

(何故だ…なんでだよ!腕は折ってやった…足だって立ってるのがやっとのはずだ…薬も切れたはずなんだよ!)

 四阿はとうとう瞬に背中を向けた。

 だが狼は獲物を逃がさなかった。

(誰か助けてくれ!この化け物をどうにかしてくれ!)
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