第8章 直美の日記 -  4(3)

文字数 2,219文字

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「言ってしまってからいつも思うの、ああ! またやっちゃったってね。その
 時も、教室に戻った時には大後悔、だったわ。でもね、あの頃のわたしに
 は、ごめんなさいなんて、とても言えなかったから……」

 ――わたしはもう、彼女に謝ることができないんだね。

 美津子がいきなりそう言って、話をし始めたのは、

 退院祝いでのことだった。

 神懸かり的に軽い怪我だった幸一は、
 
 事故からちょうど一週間後に退院する。

 そして彼の退院から数日後、
 
 近所にある小料理屋の一室に六人揃って集まった。

 ところがそんな会が始まって、三十分くらいした頃だ。

 唐突に直美との過去を話し出し、美津子がその場の空気を一変させる。

「だからね、教室に戻ってからも、ずっと後ろから彼女のことは見ていたの。
 午後の授業の間ずっと、彼女、やっぱり苦しかったんだと思う。なんとな
 く、そんなふうに感じたのを思い出したのよ、だけど、わたしは何もしなか
 った。なんにも言わずに、ただじっと、見ていただけだった……」

「俺も、少しだけ覚えてる、確か、その次の日から彼女学校休んで、しばらく
 して出てきてからは、声を掛けてもぜんぜん返事してくれなくてさ、どうし
 てなんだろうって、ずっと思ってたんじゃないかって思う」

「おいおいそれって、そのドッジボールこそが、入院するキッカケだったって
 ことじゃないか? なんでそんなことしたんだよ、彼女、その後、死んじゃ
 ったんだぜ!?」

 幸喜の話を耳にして、悠治が思ったままを声にした。
 
 悠治の声で、それまでとは段違いに重苦しい静寂が訪れる。

 きっと誰もが、次に言うべき言葉を探していたのだ。

 しかしそんな時間も長くはない。

 ドン! 

 ジョッキをテーブルに置く音が響き、続いて美津子の声が響き渡った。

「そんなことわかってるわよ! だったら、そうだったらどうすればいい
 の!? なんだったら、今から警察にでも出向きましょうか!」

 美津子は悠治を睨み付け、それからすぐに視線を逸らして横を向く。

 そんな美津子に向かって、幸喜は何かを言い掛けるのだ。
 
 もういいじゃないか……だったか、

 もう気にするな……なんて、そんな感じを声にしかける。

 しかしすぐに、今の美津子に何を言おうと、

 きっと無駄であろうと思い直した。

 だからと言って、
 みんながみんなそんな事実を知ってはいない。

 下を向いたまま、ゆかりが沈痛な面持ちで呟いたのだ。

「そんな昔のこと、今さら、気にしたって仕方がないよ……」

 その瞬間、美津子の顔付きが劇的に変わった。

 顔に怒りの色が一気に浮かび、と同時にゆかりの顔をギッと睨む。

 そうしてさっき以上の勢いで、美津子は声を上げたのだ。

「何言ってるのよ! わたし由子から聞いたのよ! 辛かったんでしょ? 苦
 しかったんでしょ? ならどうして黙ってたのよ! どうして言ってくれな
 かったの? こんなこともう止めようって、直美ちゃんがかわいそうだっ
 て、そう思っていたなら、わたしにちゃんと言ってくればいいじゃな
 い!!」

 そこで一瞬、美津子は由子が気になった。

 それでも目をまん丸にするゆかりから、

 視線を逸らすことなど到底できない。

「それを何も言わないで! ぜんぜん知らなかったみたいに、今になって言わ
 ないでちょうだい!」

 テーブルを両手で叩き、美津子はそんな勢いのまま立ち上がった。
 
 それから大慌てでハイヒールを履いて、
 
 やがてその足音も小さくなって消え失せる。

 そうして再びの静寂の後、幸喜が独り言のように声を上げた。

「とりあえず……個室で、よかった……」

 続いて下を向いている幸一へ、やはり静かに問い掛ける。

「幸一さ、あいつの言っていたのって、本当のことだったのか?」

 ドッジボールが胸に当たって、心臓の病気が再発してしまった。

 そんなことが、絶対にないとは言えないだろう。

「ゴメン、ドッジボールの話は聞いたこともないし、本当のところ、よくわか
 らない。でも、彼女はそんな感じのことで、ずいぶん苦しんでいたのは事実
 だったと思うよ。だけどさ、もっと大事なことを、みんなは忘れちゃってる
 んだ。その後にあったことなんかをさ......美津子もおまえも、忘れちまって
 るんだよ」

 そこで一旦言葉を止めて、幸一は幸喜から視線を外して下を向いた。
 
 それから大きく息を吸い込み、ほんの少しだけ微笑むような顔をした。

「まあ、だからって、非難しているわけじゃない。俺には、そんなことをする
 資格なんてないし、そもそもさ、文句を言うような話じゃないんだ……」

 そう言ってから、幸一は残った四人に向けて話し出した。

「これから話すことは、日記に書かれていたことが基本にはなっている。だけ
 ど、話しているうちに、あいだあいだできっと僕の想像やら、実際に体験し
 たことなんかも混ざっちゃうと思うんだ。だから、そのつもりで聞いてほし
 い。そしてできれば最後まで、質問なんかなしで聞いてもらえるとありがた
 いな……」

 そんな前置きから語られた話は、

 四人が覚えていることも少しくらいはあったのだ。

 しかしその大半は覚えておらず、

 幸喜と悠治は終始不審げで、何か言いたそうな顔を何度か見せた。

 ただ、由子とゆかりは違っていた。

 二人も多くを忘れていたが、

 それぞれ思いの深いところだけ、

 しっかり脳裏に刻み続けていたのだった。
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